ようやく生活基盤が整ったので、日記も定期的に書けそう。それでリズムが作っていけたりするだろうか?
定期券を落とした。でも、ちょうど昨日、切れたところだったので、不幸中の幸いというべきか。今日の『クローズアップ現代』を食い入るように見てしまった。日本家屋、古民家というのは、私がずっと住み慣れてきた環境なので、改めてその住みやすさ−慣れないとなかなかたいへんなのだけど−を実感した。畳の上でごろりと転がる気持ちよさといったらない。
_ 大概の本は、それを何処で買ったか覚えている。武田百合子の名前を知ったのはマリ・クレールで。あまりにも独特の日記だったので、すぐに記憶したのだと思う。ちょうど『砂の器』を映画館で見るという記述のある『日日雑記』。ほどなく、『富士日記』を読んだ。お正月中、繰り返し読んでいたようだから、年末頃だったのか。その頃は大きな街でウェイトレスのアルバイトをしていて、週末はたいてい9時頃に仕事が上がった。電車に乗る前に必ず、ソニープラザと紀伊國屋を覗いて帰ることにしていた(ソニプラって、そんな時間でも開いていたっけか)。『富士日記』は上・中・下と並んでいて、こういう時のつねで、中巻を手にとってぱらぱらとめくった。表紙見返しの著者近影を見る。私の好きなタイプのかわいらしい大人の女性が写っていた。その日は中巻を買い、翌週には下巻、最後に読んだのが上巻だった。
_ 河出のムックの中で、飼い犬だった犬のポコが死んでしまう場面は、飼い主の花さんが「『富士日記』のポコが死ぬ場面は読めない」と書いているのを読んだ。あの場面は飼い主でさえ、まともには読めないのだ。私は今までに自分が飼ったことのあるいろいろな動物の最期を思い出してしまって、やはり読めない。いろいろな人の武田百合子さんを語る文章が書かれていたけども、個人的には埴谷雄高のものが一番好きだ。淡々としたおかしみがちゃんと伝わってくる。(花さんは泰淳・百合子の娘さん;木村伊平衛賞受賞写真家)。
_ 日記文学とか手紙文学がわりと好きなのだが、白眉は『富士日記』と『あしながおじさん』だなと思う。
_ 啓蟄。
ブリ大根、切り干し大根、ツナおろしパスタ(かい割れ大根入り)。大根メニューで迎えた。デザートはサツマイモとりんごのコンポート。根菜類メニュー。
_ スターバックスはお店によってずいぶんと居心地が違うような気がする。最近、しばしば立ち寄るお店は、とてもよい空間で、うっかりすると一時間とか平気で座りつづけてしまったりする。ここのコーヒーがおいしいとはあんまり思わないのだけど、雰囲気だけはいいなあと思う。照明が落ち着いているからなのかな。あと全席禁煙というのもあるかもしれない。読むものがなにもなかったので、しかたなく、駅で買った週刊文春を読んだ。似つかわしくないような気がしたけど、誰も気にする人などいそうになかったので、ゆっくりと読み耽る。もう病気の痕跡はなし。元気になった。
_ PETER BJORN AND JOHN / Young Folks.
わっ、これ、マンチェスターだなあ、懐かしのアノラックだなあ。スウェディッシュ・ポップとかいうけど、マンチェスターのヘヴンリーとか思い出した。Bounceを読まなくなって久しいのだなあ。懐かしのヴァージン・メガストア河原町店とか、久しぶりに思い出した。あと、Going Under Ground / 胸いっぱい。これもよい。よい。や、昨日、実は摩耶山でドッジボール大会に参加していたのですが、わたし、結構、上手なんですよ。不惑を越した大先輩相手に、結構、真剣に闘ったりして。楽しかった。そのBGMって、これだったんだなあと思い出した。もちろん、後からBGMをつけるならこれだということ。なにか、ずっと前にストックしたままだったモッズなものを掘り起こされたような感じがした。
いろいろ。昨日の夢。外国語による外国における夢。固い羊肉の焼き肉(タンバリン状に円形にカットされている)を、一人ずつ手に持って、それを太鼓のバチで叩きながら柔らかくして食べる。どこか中央アジアの言語によるフォークロアを歌いながら肉を叩く。すると肉の味が柔らかくなりまろやかになるのだとか。そういうことを、わたしは自分ではわからない言語をききながら、頭の中で理解しているらしい夢。
_ これだけ長く生きていると、毎日が誰かの誕生日だったり、命日だったりするわけで、今日は中学2年生のころに好きだった同級生の誕生日だったりする。そういうことはいつまでも覚えているし、何の役にも立たない記憶としてどんどん増殖し続ける。記憶をどこかに埋葬する場所が欲しい。記憶の切り分けというのはできないのだろうか。覚えていたいことと、そうでないことを、もっと意識的に切り分けるにはどうすればよいのだろうか。
先週一週間の怒濤のような忙しさをなににたとえればよいだろうか。とにかくほとんど連日人に会い、息つく間もなかった。作り置きのカレーは腐っているみたいな味がしているけど、捨てる暇もないので、とにかくがーっと火を通して、せっせと食べ続けている。もっと新鮮でおいしいものが食べたい、食生活に気を遣わなければまた病気になる、とか真剣に思うわけなのだが、もう手が回らない。なんでこんな生活を、ここに来てまでしているんだと、悩む。
_ 1月の下旬に、ビザの更新のため、5日間ほど、河童国に出国した。大学院で一緒だった元留学生が勤める大学の教職員住宅に泊めてもらったのは、旧正月目前で、ホテル代が高騰していたことが一番の理由だった。結局、ヨーロッパ人の先生の部屋の一室に泊めてもらったのだが、このアパートの部屋がすごかった。
広い広いリビング、広い広い台所(料理はIHでする!)、広い広い洗濯室兼物干し室、広い広いメインベッドルーム(バスルームあり)、適度に広い客用寝室が2室。家族が住むことを想定しているから、そのほかにも客用バスルームなどがある。一番すごいのは、どの部屋も2面、窓があること。角を利用して、必ず窓が2面ある。外観がちょっとイレギュラーな形をしているのはそのためである。だから、どの部屋もおそろしく風通しがよい。しかも明るい。天井が高い。すごい、すごい。こんな部屋に住めるんだなあ、大学の先生って。。わたしの住むアパートと似ていることは、天井が高いことだけだったと思う。部屋の家具は全部イケア。料理はあまりしないらしく、台所はとてもきれいだったけれど、歩いて3分ほどのところに、各国料理が集まる安くておいしいカンティーンがあるから、それでいいのである。教職員用ジムとプールはすぐ隣にある。
うらやましいとか、自分の状況と比べてどうだとか、考えることすらばかばかしくなるほどの違いである。子どももわたしも、あわただしい滞在をのんびりとすごす事ができた。とはいえ、あー、はやく自分の状況をなんとかしなければという思いも、やはりまた火がついたように燃え上がったのだが、帰国したと同時に一瞬にして消沈。様子を見ながら、こちらのテンポで対応していくしかないのだ。
_ テスト [てすと。]