_ お天気はよいが、冷たい。この季節になると、室内の方が外の気温よりも低くなったりする。
部屋の片づけをしないといけないのだけど、なかなか動けず。しないといけないことが盛りだくさんなのだけど、そう思うとますます動けず。お茶も飲まずに一日中、座り尽くしていたりした。気持ちをもり立てるための動機付けというのは、じっとしていてもある日突然降ってわいてくるはずなどないのだ。経験的にわかっていても、それを待ち続けるというのは、学習していないからなのだろうか?
_ 昨日の夕方のテレビで、外国語を話す人びとが、みなで松尾芭蕉の『奥の細道』紀行をする番組を見る。季語が国によってかならずしも明確に存在するわけではないため、外国で俳句を理解しようとする人にとっての共通の技法は、「ハイク・モーメント」を感じるがどうかなのだという。つまり、ホメロスみたいに、時間的に長い詩の対極的位置付けとして、その瞬間の自然に感じる「俳句的瞬間」を短いことばに置き換えるのだという。外国の方が作った俳句をいくつか日本語的に訳していたのをみたが、やはり、季語というのは大事なのかな、と俳人でもなんでもないくせに、思ったりした。かといって、私に俳句が詠めるわけでもなんでもないのだ。
_ うちの母は、「みんなが高校に行くからという理由で行くくらいならば、やめなはれ」と通告するようなタイプの人である。どちらかというと怖い。なのだけど、私が生まれてすぐくらいから、ずっと絵本付きのおはなしレコードを聴かせ続けるという繊細な教育に関心をもっていたこともあるようで、このことは、私にとってはものすごくありがたいことであった。とにかく一度聴いた音はすぐに覚えるようになった。絶対音感というものが備わっているわけではないのだが、聴いた音をそのまま鍵盤に落とせる。また、その時にきいていたおはなしの内容はさておき、そのミュージカル仕立ての曲と歌詞はほとんど今でも覚えている。
♪ふさふさふさ、たてがみー/あれはひとのものー/きれいな毛皮もー/あれは人のものー/
あーるのはちいさなー/ぶたのしっぽ/ぶたのしっぽぉ、おぅ、おぅ…
という『三匹の子豚』の歌がとても好きだった。うちにもまだLPが残っているのだけど、絵本がもうぼろぼろになってしまって見つからない。もし手にはいるのであれば、ほんとうに欲しいなと思う。親子で歌えるようにと、かなり高度なピアノ楽譜が残っているので、ときどき弾いてみたりもするのだけど、絵本が読みたいな、と思う。恵文社をのぞけば、見つかるのだろうか?
_ きっちょむさんとか桃太郎、浦島太郎という日本昔話の古典から、シンデレラ、みにくいアヒルの子、イワンのばか、などもあった。個人的にはイワンのばかの歌がものすごく好きだった。
♪イワーン/イワーン/イワンが笑うー/ばーかのイワンがにっこり笑うー
というもの。
_ 春は別れの季節と言ってしまえば寂しくなるけど、それぞれの旅立ちの時といえばそう寂しくはないか。お稽古の先生が今タームが最後だとのこと。結構、相性もよかったので、次もこの先生だったらよかったのになと思っていただけにちょっと寂しい。でもまた偶然に会う機会もあるだろうし、これっきりということはないだろう。とてもいい人柄で、教え方も上手かった。こういう先生になりたいなと思ったりしたものである。つまり、よいところをどんどんと伸ばしていくという方針で、全面肯定の教え方。だめだめ、というのは簡単だけど、その逆はやっぱりなかなか難しい。ただおだてればよいものでもないし。来週は先生とお食事会。またみんなで会いたいな。この一年、このお稽古がなかったら、もっともっと煮詰まっていたかもしれないのだけど、ちょうどよい刺激でがんばって通った甲斐があった。春学期はどうするかまだ決めていないけど、また新しい出会いがあると思えばいいのかな。
_ 出発前から、もうここに書き尽くせないくらいにわらわらと忙しかったのだが、なんとか乗り切ってきた。書斎部屋の引っ越し、先輩とふたりでこなしたり、送別会の幹事を二本しているので、留守中のその手配とかもろもろ。あと、科研の会計も3本締めてきた。気力で乗り切ってきたから、あまり疲れとか感じていなかったのが、ここに来てすごいことになった。朝起きて、ラウンジでいつものイチゴジャム・オムレツ・チーズトースト・サンドウィッチという、気持ちの悪いものを食べたあと(わたしにはおいしい)、部屋に戻ってちょっと横になった。うーん、さて活動開始、今日は大学で打ち合わせだったよな、ちゃんと襟付きの服に着替えねば…と思って、時計を見て凝固。11時を回っている。あちゃー、大急ぎで電話を掛けねばと思って、ふと窓の外を見ると、暗い。あれ、お天気が悪いのかなと思った。それでも気がつかず、準備をして外に出ようとしたら、ドアのところにメッセージメモが散乱している。ふむ?「おきてください」「受話器をちゃんともどしてください」「だいじょうぶですか?」とか。なんじゃこれ?とおもいながら、かき集めてフロントに下りると、係の人が、「どこから現れたのか?みんなキミを探していたよ」という。へえ?と、ここで知る。なんと、もう夜だったのです。一体全体、何時間、寝ていたのだろう?前代未聞の失態。当然、わたしがいないと話にならない会議は、翌日に順延されていた。えへへ。。と笑って済まされる問題かなと悩んだ末、恐る恐る事情説明の電話を(国立大学の副学長先生だよ、気安く携帯電話にかけちゃったりした、しかも電話屋から)かけたら、ちゃんと笑って済ませてもらえました。いや、しかし、すみません。ごめんなさい。とても社会人として、許されることではないよな、たとえ某国にあっても。ほんとにごめんなさいでした、みなさん。
_ 20代後半で最初の結婚をして、法で定められた期間が過ぎた翌日に30代で再婚して、長らく駐在妻をしていたイトコが、40代で出産するという。ずっと年下のイトコとしては、うれしい。うちの母なども、結婚相手は日本人でなくても別に構わないというようになっている。こどもはいつでも生めばよいともいうようになった。相手がいてもいなくても、ということだろう。母たちの世代からすれば、何を考えているのかわからないような世代ではあるはずなのに、そんな考え方を口にするようになるとは、柔軟な思考だ。イトコは国家公務員をあっさり辞めて、再婚した。博士であってもなくても、好きな仕事をしてそれでしあわせならばよいではないか、とも言われた。学歴を活かした仕事探しにこだわらなくてもよいとも言われた。気楽になった。そんなわけで、悲観的な態度が長くは続かず、やはり潜在的に楽観主義ではなかろうかと思っていた自分は、間違いなく母の娘だなと思った次第。どこかで世の中をなめているように見えるかもしれないけど、なんとかなるものなのだろう。そうなると思っていれば。
_ 行ったり来たり。
_ 怖い夢を見る。明け方に見る夢はなにもかも総天然色で、なにか受け止めるべきメッセージがあるように見えるのだが、実際には夢を見た直後からどんどんと夢の記憶は退色していくから、午後には忘れてしまうことが多い。今日、明け方に見た夢は、少し怖いものだった。
_ 打ち合わせなど。