_ 寒いなー、遠くの山は頂上のあたりが真っ白だなー、と思いつつ、半袖のセーターとスカートで出勤。間違った。とはいえ、それほどに風は冷たい感じではなく、首元をマフラーで防御していると、大丈夫な感じがした。お昼はあまり食べたいものがなかったのに、タラコスパゲティ(大盛り)というのを頼んだのも、考えてみれば矛盾した。ところが落とし穴があって、スパゲティの量は1.5倍なのだけど、タラコペーストの量はそのままだったこと。ううん。食べた気がしなかった。
_ 同行者のみなさんの勧めもあって、タラコスパゲティにシソドレッシングとタバスコをかけてみた。味がついた分、食べ物になった感じがした。良心的なパスタ屋さんは、大盛りでも普通サイズでも、お値段がおなじだったりする。女子のみんなも女子同士だと大盛りを食べることがあるが、男子が一緒だと普通サイズにしてしまって、後から後悔することがままある。そういう話を食券を買うレジの前でしていたら、キャッシャーのお姉さんが突然、「わかるわよー。でも大盛りっていっても、1.5倍しかないから、私でもぺろりとたべられるわよー。ものすごくよくわかるわよー」と力説してくださった。大盛りを食べる女子が少ないから弁護に回ってくださったのか、共感してくださったのかわからないけど、やはり自分一人だったら普通サイズを食べて、いかにも普通の女子的に振る舞うような気がしないでもなかった。
_ 夕方、小雪が舞い散る中を歩く。とても気持ちがよかった。コートの中はほかほかと温かく、顔に当たる雪はひやりと冷たい。午後5時を過ぎてもまだ明るくて、春が近いのだな、とうれしい。
_ 絶対に返事がこないはずの人に手紙を書く。冥土に飛脚を出すよりも絶望的だが、それでわたしが救われるのであれば、もうそれで許して欲しいと、わがままをとおす。旅に出ると、やっぱり手紙を書きたくなる模様。切手を選びながら、返事を妄想。
_ ずっとけんかしてたんだけど、やっと仲直りした。自分とそっくりの人だから、相手の考えていることが手に取るようにわかる。それが災いするときもあれば、幸いするときもあるみたいだ。
_ 5年前の今頃、子どもを母に預けて家で科研の報告書を書いていた。ふと気が付くと、台所で鍋や食器がカタカタと音を立てているのに気が付いた。それで今更ながらに家じゅうの物音に耳を傾けてみて、ああ、これは何か普通ではないことが起きているのかもと思い、テレビをつけた。ほぼ同時だったのかどうなのか、とにかくもう尋常ではない様子であることがわかった。と同時に、乳母車に乗って散歩に出かけた母と子どものことを考えたのだった。今すぐに探しに行くべきか否か。そうこうしているうちにテレビでは、恐ろしいほどの津波の様子が映し出されていた。5年という年月が長いのか短いのかなんともわからない。
当地と日本の災害復興の速さを比較する研究をしたいという院生と話をする機会があった。目に見えるものごとと、目には見えないものごとをどうやって「見る」のかと尋ねたところ、とにかく日本の復興は速くて素晴らしいという。わたしにはわからない。なにをもって復興を遂げたというのか、なにをもって立ち直ったというべきなのか。それは人それぞれでもあり、簡単には説明できないことのように思える。わたしにはなにもわからないのだが、ひとつだけはっきりとわかっていることは、答えを求めるのに急ぎすぎてはいけないということだ。時間をかければわかるということでもないけれど、簡単に結論付けてしまうこともまた探そうとしている答えから遠いものであるのかもしれない。今から5年後、どのような世界になっているだろうか。それを確かめることがまだできるのかどうか。わたしはあまり楽観的に考えられない。そのことがなんとも言えず、不安な気持ちをあおるのである。
_ ラギ [よくわかんなくても、よかったできごとをわけてもらうとこっちもうれしくなりますです。]
_ ね [へへ、どうもありがとー。]