«前の日(03-12) 最新 次の日(03-14)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|

  1. ね (03-14)
  2. 雪見 (03-14)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

13-03-2003 / Thursday

_ 花粉が多い。花粉症ではないのだけど、飛散度が高い日は、少しだけ反応するようだ。目がかゆくなる。私が反応するような日は、花粉症の人だともっと反応するようで、今日はあちらこちらでくしゃみの声を聞く。

昨日の夢は、黒板に書き物をしている夢。内容はほとんど覚えていないのだが、私は滔々と話している。誰かになにかを説明している風情。

_ 巴旦杏はアーモンドのことだという。ことばの響きにリズムがあって、昔から好きなことばだったのだけど、意味を知ったのはわりと最近のこと。バラ科の樹木なので、今の季節になると、桜と見間違えるような花を咲かせる。枝のつき方が、少しだけ桜とは違う。幹から、どちらかというと鋭角気味に、上に伸びるようについている。よくみると、花の色も、少しだけ濃いめのうす桃色。

美人を形容することばは、地域や言語によってずいぶんと違う。「巴旦杏」ということばをしったのは、たぶん、中国の児童文学を読んだときで、「巴旦杏のような瞳」の女の子が登場するもの。これはなんだろうと思いながら、随分と長い間、調べないでいた。中国の果物なのだろうなあ、などと思いつつ。アーモンド型の目が美人の形容詞になっているのは、中国だけなのかなあ。桜の花がもう咲いているのを見て、これはアーモンドなのかな、もしかして…などと思ってみた。


13-03-2005 / Sunday

_ 引き出しや文箱の中の手紙の整理をする。ほんとに手紙書き魔だった模様。出るわ出るわ、しかも今と違って万年筆で細かく書いていたりで、本当にびっくりする。誤字脱字が全然ないということは、清書していたのだろうか。出した手紙と出さなかった手紙のどちらが多かったのか気になる。友だちからの手紙もたくさん。たくさん。破っておかねばならぬ手紙は一読して、細かく千切った。葉書もたくさん。エアメールもたくさんあるが、普通に電話をかける感覚で、手紙を書き合っていたのだなあ。谷川俊太郎の母:多喜子さんと父:徹三さんの恋人時代も、一日二回くらい手紙を出し合っていて、なおかつそれがすぐに届けられていたらしい(『母の恋文』)。メールだって、勢いがあれば一日3往復も5往復もしてしまう。その楽しさと手紙を受け取る楽しさと、比べることはできないだろうが、手間が掛かる分、手紙の方が出したほうも受け取ったほうも胸が躍るような気がする。そういえば、手紙を書くときはいつも万年筆かフィッシャーのミドルな太さの青色ボールペンだった。そういうこだわりを無くしてしまったのとメール文化の受容とは、きっとタイミングが同じだったのだろうなあ。今でもボールペンは太書きの方を好む。手紙時代の名残だ。記念切手を見ればついつい買ってしまうのも同じく。学部時代のゼミの友だちからの手紙が秀逸だった。「君はみかけは矢野顕子なのにしゃべれば黒柳徹子なところをなおしたほうがよい」と書かれていた。よほど頓珍漢なことを早口にまくしたてていたのだろう。ちなみに今も昔も矢野顕子には似ていない。

_ ANAからのDMによれば、誕生日前後の2週間はバースデー割引があるとのこと。どこかいってみよーかなー。現時点の候補:沖縄・長崎・五島列島。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 雪見 [「君はみかけは矢野顕子なのに」というのは言った人は誉め言葉として言ったのでしょうかね..。(あんまり似てないとわたし..]

_  [矢野顕子は魅力的な人だと思うのですが、如何せん、私に似ていないというところで、意味がよくわからなかったです。 昔、..]


13-03-2009 / Friday

_ 冷たい雨が止まない日。

_ いろいろな人が言及していることだけど、チャイナ・タウンやリトル・イタリー、リトル・インディアはあっても、リトル・ジャパンやリトル・トーキョーはなかなか滅多なことでは形成されないという話がある。夫になった人が住む街にも、実際に在留届を出している人の数を上回る日本人が住んでいると聞く。大学の多い街なので、そのほとんどは留学生であるというが、わたしのように現地で配偶者を得て、そのまま定住している人もやはり多いらしい。日本人会も置かれていて、不定期ではあるが領事手続きなどの出張サービスもある。が、たくさんいるとされている日本人が一同に集まる機会はまったくないようである。これだけ日本人がいるのだから、日本食レストランあるいは食材店などがあっても良さそうだが、実はないのである。食材は中華街の中華食材店にときどき見かける。あるいはコリアン食材店が業務用の大きなビンやパックに入った調味料を売っていたりする。が、とてもひとりでは使い切れない。かといって、共同購入するような仲間もなかなか見つけにくい。お昼ご飯をどこで食べるかでも、相手の財布を心配する必要があったり、心配されることがある。ひとりで行動するほうが気楽になるのは必然か。

母国以外の外国に住む人がみな同じだとはいわないが、外国生活における経済状態の格差やその他もろもろの格差は、予想以上に強固な壁となって、日本人ひとりひとりに張り巡らされているようでもある。あそこにも日本人がいるようですよ、あちらにも日本人がいるようだけど、みたことはない…。そういった囁き声がさざ波のように押し寄せるからには、どこに誰が住んでいるということには、みながそれなりに関心を持っているに違いない。それでも姿形が見えることはない。中国人社会における旧正月や、キリスト教世界におけるクリスマス、イスラーム社会における断食月といったイベントを、日本人が持たないからなのだろうか。他者と容易には交わりあうことがないのは、宗教的な要素の問題だけなのだろうか。

日本人会の構造は、日本における一流会社や高級官僚が頂上に据えられたヒエラルキー構造だとも聞く。そこにおける父母の立ち位置が、日本人学校における子ども社会にも反映されると言う人もいる。

自分自身は変わらずとも、社会的な立ち位置が変わることで見えてくる局面に、戸惑うことのほうが多い。とはいえ、日本人との付き合いにそれほど神経質にならなければ、問題はゼロに近い。ほとんどなにも問題はないような気がする。


13-03-2011 / Sunday

_ 自然災害の現場を歩き続けてきたからということもあるから、今回の巨大地震津波災害の様子を主としてテレビで見ていて、既視感を覚えたりしながらも、全体的に冷静なテレビの報道(ほとんどNHKしか観ていないのだけど)に、ああ日本だなと思ったりもした。だけど、実際は、ツイッターとかがたいへんなことになっている模様。仕事の関連で、最近、読み終えた本、「災害ユートピア」をまたばらばらと繙いている。この本が出版されたのは2009年だけれど、それから2年が過ぎた今ならば、状況はもう少し変わっていて、きっとこのツイッターがらみで新しい一章が付け加えられるようなことになるのだろう。

現場での経験から言えることでもあるのだが、「今できること」を一番効率的にできるのは、やはり緊急援助のプロだけである。自衛隊、警察、医療関係者、被災地の行政の人たち、それからこれから入ってくるだろう国際援助機関の人たちだけだ。被災地の外にいて、被災地に親族や知人がいない人は、ツイッター以外にもできることもある。大体、一ヶ月後くらいを目処に、長期化した避難所暮らしの人のためにできることを考えること。本とか子どものおもちゃを差し入れるとか、女性のためにクリームや化粧品、いい匂いのするリップやハンドクリームを、ちょっとした小袋にいれて用意する。清潔な入れ物に用意した生理用品と下着類を配るというのもある。男性にはひげ剃りセット。被災地にももうすぐ春が来る。花の種や苗を送るというのもある。(もし本当になにかをしてあげたいと考えるのであれば)もう今もポスト巨大震災の日常を生き始めている人びとのことを、ずっと気にかけていくことも大事。自分の日常と被災地の非日常が、今はまったくクロスしなくても、それがいつか平行走行するようになったり立体走行するようになるように、寄り添っていくこと、それを続けていくこと。それが大事。被災地を見守っていくこと、共同体の再生として捉えるのではなくて、むしろ新しい共同体を作って、生きて行く人を支えていくこと。。

今日のためにこれまでこういう研究をしてきたということではないのだけど、自分の経験が何かの役に立つとしたらこういう方面のことだけ。今は失職しているから、ほそぼそとこうしてつぶやくくらいしかできないんだけど。。(わたしはまずは自分の日常を再建すること!)

_ ものを送るということについて。

ちょっと上に書いたけれど、実際にそれを送るということを意味しているのではない。たとえば、そういう活動をしているボランティアNGOに募金するとかそういうこと。というのは、安易にものを送るのは、むしろ迷惑になる可能性があるという事例を数多みてきたため。ロジスティックという役割は、ほんとにたいへんなのだ。たとえば非常用のインスタント麺。救援物資用のテントに入りきらず、ロジスティックの役場の職員が困り果てて闇に流して小遣いを稼いでしまったとか、雨露に濡れてしまい廃棄せざるをえなくなったとか、急性の生活習慣病を発症する人が急増したとか、たくさんある。自分でものを用意して送りたいという場合は、自分が直接持って行くことを前提として、用意してみたらいいと思う。そうすれば、誰にどうやって届けて分配するかを考えることがすでに、ものすごくたいへんだということがわかってくるからだ。どうしてもなにかしたい人は、ひとまず一万円くらい赤十字に募金して、コミットしたいという気持ちを落ち着かせてから考えるのがよい。今回の巨大自然災害は国家的なプロジェクト事業としてしか、復興はあり得ないのだから。国家的あるいは地方行政の枠組みで進められる事業だけではカバーできない問題にこそ、市民としての力を注ぐ場面がある。直接、力を注ぐ人もいれば、間接的に注ぐ人もいるだろう。さまざまな段階で、さまざまな関わり方ができる。自分の日常の延長線上で、他者の災難を考えること。


13-03-2013 / Wednesday

_ 他山の石というのか、人の振り見て我が振り直せというのか、そう思ってはき出される言葉を受け止めないととてもやっていけないなあという気がしたので、パートを休んで你好仕事に行って別の仕事を探しに行ってきた。ひとつ、これならできるかなあというのがあったので、その紹介状をもらって応募したけれど、どうなるかなあ。うまいこと、おばちゃんパートから抜け出せたらいいんだけど。やっぱり安易に家から近いからとかそういう理由で仕事を選んではいけないのだろう。それがわかっただけでも、よい経験だと思え。今回ダメでも、いつか必ず、ここから抜けだそう。

少し前に、某先輩と食事をしたときのこと。関西某所の大学で教える某先輩は、この頃、国内の地元でいろいろな社会調査を学生と一緒にしているとのこと。関西圏に生まれ育った人ならば、ほとんどの人が知っている場所がある。どちらかというと零細規模の工場が林立し、いささか物騒であると考えられている地区である。そこでの社会調査を企画して、学生を送り出しているという。世の中にはいろいろな背景を持った人がいて、大学に進学できるような君たちとは全然違う環境に生きている人もいるんだよということを考えてもらいたいのだという。と同時に、いろいろな事情があって、そういう生活をせざるを得ない人だっているということをどう考えるのか、社会の仕組みがどうなっているのか考えてもらいたんだと、いわばスタディ・ツアーのように思って、学生を送り出しているんだけど、心配で心配でならないこともあるという話を、牛肉ほお肉の赤ワイン煮を食べながらしていたのだった。や〜、そういうことやったら、わたしがいくらでも話しますよ!大学に進学してもうまく行かないという事例として!そして今や某国の人々よりもはるかに厳しい生活を実践している生きた事例として!というと、一瞬、はっとしたような顔をしたあと、そうやなあ、ある意味、あなたも国内スタディツアーの対象としてふさわしいのかもしれないねえと、ショックを受けたように返された。またよく考えずにぱっと思ったことを言ってしまった。言わなければよかったと後で思うことを、いまだにすぐに言ってしまうのは、今の職場に感化されたわけでもなんでもなく、根がそういうふうにできている(Ⓡ西村賢太)からなのだろう。で、あまり反省もせずこうして暮らしている。なんか、やっぱりここから抜け出すのは無理かも知れないと思えてきたです。。

少しだけよいこともあって、ボランティアで日本語で教えている学習者の人が、とても勉強熱心な人なのだけど、センセイは説明がとてもわかりやすいと言ってくれる。いつも言ってくれる。きっと、わたしが外国で外国語を勉強した経験を持つからなのだろう。何がわからないのか、どんなふうにわからないのか、自分が経験したことなので、よくわかるからなのだろう。うれしい。精進して経験を積んでいきたい。


«前の日(03-12) 最新 次の日(03-14)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|