_ ボニー・ピンクを一度、ちゃんと聴いてみたい。ラジオでちょっと耳にするたびに思うのだけど、なにかタイミングを外し続けて何年くらいになるのだろ?トーレ・ヨハンセン時代もあったのですよね。原田知世のそれを思い浮かべればよいのだろうか。あまり中古CD屋には出回っていないような気もする。見つけたら、すぐに買うと思うのだけど。
_ なにかに対する評価というのは、公平に出すべきだと思うのだけど、ついつい個人的事情・関係を斟酌してというのか、それに惑わされて、固定的かつネガティブな評価を下してしまうことがある。それが自分のよくないところだとは思うのだけど。しかし、その人の「過去」とは、どの程度そこに加味されてよいものだろうか。人間はそう簡単に性質は変わらないもので、性格というのは上手に化学変化させることはできる…、逆だったか、と聞くように思う。だとすると、表面上のとか、ビヘイビアーレベルでの見た目の変化というのは、まあ、まだまだ警戒態勢を取っていても悪いことではないのだろうと思われる。ってなことを、他人が私に対して思うことがあれば、おそらくは、「あほか」と一笑に付すのかもしれない。自己中心的な人間は、こういうことを、くどくどと考えるのだ。自分に対する評価がねじ曲がっていると思う一方で、相手のことを信じない。「今、どうであるか」という点にだけ絞れば、それほどに相手との関係について否定的な将来を予測しなくてもすむのかもしれない。。。
と思うことにしたとしても、やはり、私には嘘くさく思われて仕方がないのだよね、今は。
自分の問題で失脚政治家が出直し選挙に出馬する神経とか、またその人物が当選する仕組みというのは、そういうことなのだろうか?
_ でもたぶん、好きなようにすることができる自由があることをわかっている、というのが一番、必要なのかもしれないな、って思ったりする。なにからも自由であることは、べつに他者とかかわりあいにならないということではなくて。そう思うと、なんとなく腑に落ちることがたくさんある。
_ あわわ。。。知らんかった。フェルメールの役って、ミスター・ダーシーだったのかあ。これは絶対、見に行かないと。コリン・ファースが好きなのでした。
_ 昨日は午後からすごい勢いで書類書きに没頭。おかげで、なんとか終わった。やっぱり集中して一気に片付ける方が好きなタイプ。
_ 帰りの電車でも、もう一度『荊の城』の後半部分を読み直し。帰宅して、『真珠の耳飾りの少女』、もう一度最初から読み直し。小説づいている今日この頃。
_ 空気公団の「休日」という歌がよい。きっと積乱雲の中に包み込まれたら、案外と音はしんとしていて、空気もひんやりしていて、それでいてとろけそうに眠くなるんじゃないかと思うのだけど、そういうタイプの音楽。実際には行けないけど行ってみたい場所の筆頭は、多分、雲の上だろうなあ。飛行機の窓から見る分には、なんだか直射日光を浴びるだけの場所みたいだけど。だから厳密には雲の中に行きたいのだろうと思う。地球外では、月と金星。スカンジナビア半島の上をずっと飛行機は飛んでいったのだけど、雪しかないところというのも、なんだか空恐ろしく、しかし行ってみたいような気がしたりした。
_ 昭和の日。カルガモさんの日本名を某さんにお知らせしたとき、「昭和時代の喫茶店の名前みたいやなあ〜」という反応をお示しになった。・・・。築地とかしあんくれーる、とかそういうノリに思われたようであった。って、どういうノリなのか。