_ 魑魅魍魎を追い払うには、「言葉にしてしまう」のがもっとも効果的なのだそうである。大ボスが私が言えなくて遠回しに言ったことを、狙い定めた輩に解き放ってくれた。そりゃ、私の立場ではいえないし、いっても効果的ではなかったのだが、布石は打っていたから、効果倍増となったとは、ちょっとうれしがりすぎているか。これからも、どんどん、言葉にする努力だけは怠らないでおこう。努力するのと、放っておくのとでは、ちょっと違う。
_ 火曜日はゆっくり目に研究室。駅で洗面所に行きたくなったので、いつもの百貨店のいつもの階へ向かうと、きれいなガラス細工の加工即売会をやっている。見覚えのあるガラス細工はやはりボヘミアン。メイド・イン・チェコのシールがすべてに貼られている。薄い髪の色をしたものすごく素敵なお兄さんが細工をしている。またしてもボヘミア幻想に取り憑かれ、やっぱり秋とかもう少し素敵な季節にもう一回、行きたいなと思った。
麻のワンピースとカーディガン。
_ 机の上のクマに着せていた服を脱がせた。クマも衣替え。ただでさえ毛皮なのに、この季節はもうたいへんだ。
_ 夕方、本部で打合せ。あいかわらず、学業に直接関係しない話は楽しい。をを。今、机の前の窓から見える大きな木の幹に、夕日が当たっていて、なんともいえない暖かい茶色と緑が映えている。新茶を買ってかえらなきゃ。
_ 旅行代金を振り込みついでに、カルガモさんと朝の散歩。今日は一駅だけ電車に乗った。乳児の電車賃がただというのはなんとなくわかる。が、今度のカルガモさんの旅行代金が9千円というのが、やはりいまだに信じられず。だって、某国内で国内線に乗ったとしたら、普通にそれくらいかかるわけだ。なのに日本からの国際線の往復チケットがそんな値段?カルガモだから、別送扱いになるのだろうか。そんなこと考えながら、うろうろ歩いてお昼前に帰宅。ごはん食べて、家にいるときは極力観ている、女人天下という韓流ドラマを観て(ナンジョンという悪役がついに正妻さんを毒殺したのであった)、カルガモさんの予防接種へ。今日は三種混合とヒブ。よその子に比べると、みんな泣くからわしもちょっと泣いてみたという感じで、とくに大泣きすることもなく。BCGのときもまったく泣かなかった。ポリオは、ワクチンを口中に投入されたのち、一瞬きょとんとして、その後、よその子が泣いているからわしもちょっと泣いてみるか、という感じで、うわーんと声を上げて、あとはまたきょとんとしてひとりでにっこりとしていたのだった。
明日また早朝出勤なので、資料とか揃えて今日はもう寝る。昔からそうなんだけど、辛いことがあると、寝て忘れてしまうタイプだ。で、明日、解決策を考える。がんばろう。
_ 何度書いたかわからないけれど、わたしが一番好きなのは5月と11月だ。奇数が好きだからでもある。少しまだ早いかなと思いながら袖を通した半袖の腕に、ひんやりとした空気を感じるのだけれど、しばらく歩いているうちに汗ばんでくる5月。ちくちくとする毛糸のセーターの匂いを何度も何度も鼻先で確かめて、ポケットに手を突っ込んで歩く11月。毎日、毎日、綱渡りのような日々で、危うく深い底なしの沼に落ちていきそうになるのだけれど、まだ今は季節の移り変わりを感じる余裕があるようで、そっと窓を開けて空を見上げた。遠くで鶯の声が聞こえた。
_ 子どもを保育園一時預かりへ送った後、買い出しへ。隣の町に、とても安くて新鮮な生鮮食品専門のスーパーがある。朝8時から開いている。QPさんにはできるだけたくさん季節の魚を食べさせたいと思っているのだが、財布さんの都合が悪いことが多く、いつもちっちゃなちっちゃな頭から尻尾まで食べられる魚ばかりであった。今日はちょっと違う魚を食べさせてあげたくて、ほくほくとでかけたらば。。いつもここに来るのは午後の時間帯だったので、しらなかったけれど、午前中はほ〜んとうに新鮮な魚がびっくりするくらいに安い値段でたくさん並んでいる。買いに来ているのは、もちろん一般の主婦の人びとが中心なのだが、食べ物やさんというのか割烹とかレストランとか食堂とか、ランチをたくさん用意するようなお店の人としか見えない感じの人がたくさんきていた。ここは野菜もとても新鮮で安い。青ネギ、水菜、レタスなどをびっくりするくらいたくさん買っている人があちらこちらにいる。わたしはいろいろじっくりと吟味して、新鮮な小あじと小振りの天然鯛を一匹買った。鯛は鱗と中身を処理してもらったら、白子が入っていた。どうやって食べようか。
それから少しだけ、大型スーパーを覗いた。QPさんは、多分、同年代のよその子たちに比べて、圧倒的に持っているおもちゃが少ない。なにか安くて楽しいおもちゃがあれば、ちょっと買ってあげようか、リサイクルショップで探してみようかと思い、そのための情報を仕入れようと思ったのだ。ところが、まあ大型スーパーだからなのか、圧倒的にキャラクター関係のおもちゃが多くて、安くてひねりがきいてそうなおもちゃは、探せなかった。NHKの作ってあそぼで紹介される魅力的なおもちゃは、手作りでできるもの。いろいろ創意工夫すれば買うことないということを実践してくれる番組で、基本的には大好きなのだけど、やっぱり心に残るようなおもちゃも買ってあげたいなあと思ったりもする。ライナスよろしく、QPさんも大人がみたら、いったいなんでまたそんなものを気に入っているのかわからんものを、後生大事にしている。それは、某国で離乳食を保存するのに使っていたタッパーである。なんのおもしろみもないただの丸い小さなタッパーなのだが、これを肌身離さず持っている。で、別になにか特別な工夫をして楽しく遊んでいるわけでもない。ただただそれを掴んでいるのが楽しくて心安らぐようである。それはそれで、まったく問題ないのだけど、よその子がぬいぐるみや人形や、ちょっと洒落たおもちゃを持って乳母車に乗っているのを見ると、わが子が透明の容器をしっかとひっつかんでいる姿が、道端で小銭を求めるストリートチルドレンの子らがもっているプラスチックの容器と重なって仕方がない。まあでも子どもはそんなこと考えないし、QPさんの目には、そのタッパーの中に小さなお友達やらなんかが見えているのかもしれない。それはそれでまた別の心配を呼び起こさせるものでもあるけれど、それはまだしばらく先に心配し直せばよいだろう。
まだ5月の朝の新鮮な緑の芳しい香りが残る公園を抜けて帰宅。
_ あっという間に五月も半ばになってしまっている。この間にまあ相変わらずいろいろとあった。まず英語学校はもう止めてしまった。話すことがメインのクラスとはいえ、コースの半分くらいが英語劇で、しかもそれを映画のように撮影して、教会の行事で発表するということを聞かされて、急速に学習意欲が萎えてしまったのだ。英語劇がきらいなのではなくて、その準備のためにみんなで集まったりとかそういうのが、事実上、わたしには無理だからである。それでもクラスが好きだったら、無理して時間を作ったのかもしれないけれど、そういうふうに思えなかったのは、やっぱりプレイスメントがちょっとまちがっていたからなのかなとも思う。まあこれはわたしが言うべきことじゃないんだけど。とにかくモチベーションが全然、上がらなかったのだ。その理由は例えば、先生が宿題を出したことを忘れていて、ほぼ毎回、宿題の答え合わせだとか回収して採点とかそういうのがなかったこととか。一緒に受講した友達は、一人はすぐに脱落、もう一人は健康上の理由で脱落せざるをえなくなっていた。それぞれにわたしと似たり寄ったりの理由である。なかなかうまくいかないものである。
そのほかのイベントは、またひとつ年を取ったこととか、あやうく滞在ビザの更新を忘れかけていたこととか、新しく下の階に引っ越してきた夫婦がふたりしてまるで機関車のごとく煙草をすう人々であらゆる家の隙間からたばこ燻蒸のように煙が入ってきてたいへんな目にあったこととか、初めて子どもをバイクの後ろに乗せて、新しいダンスの教室の見学に行ったこととか、そのときに命綱ならぬ腰布で子どもに命綱を巻いたのだが、それがあまりにもぎゅっとわたしの背中にくっつけて結んだものだから、子どもの頭がぐっと上向きに反り返る状態になって、窒息しかけていることをま~たく知らないでバイクを走らせていて、あとで横に並んだ別のバイクの人に注意されてこととか、それを知って心臓が止まりかけたこととか、まあそんなこんながありました。なんかほんとうにたいへんでした。でもまあいつものようになんとかした。
大好きな5月だけど、誕生月は実はそんなにいいことが起きるものでもないとかいう話もあって、こんなものかなとは思う。
あとは何冊かまたもらった本を読んだ。読んだあとにきわめて不快な気分になる本が2冊あった。こういうのを最近はいやミスと言ったりするんだっけと思ったんだけど、登場人物に誰一人感情移入できる人がいない小説って、なんともいえないものである。家においておくのも不吉な気分がする。
というわけで、全体的にぱっとしない毎日を過ごしていました。相変わらずのことなんですが(笑)。
もっと親日的で、食べ物がおいしい国に引っ越しをしたいものです。この国は、研究者としていたときのほうがもっと好きだったような気がする。それはつまり、この国の本質に絶対に迫ることができないからだったということが、今ではわかる。その表層的な事実だけで、あれこれ知ったようなことを話していたことはウソではないと思う。だって、もしそれがウソだとしたら、これまでの研究の蓄積はすべて虚構になってしまうから。その虚構も含めたものがこの国の「本質」なのだろう。本音と建て前は、日本の専売特許ではないのだろう。そんなことをずっと考えていた5月前半だった。
_ ぜぶら [どうかしたんですか?]