_ 新しいプリンタのことでうだうだと書いていたら、自分でもいやになったので、簡潔に。
使いたいのに、使えなくて、いやになっています。なんかこう、もっと、シンプルにならへんのかなと。
_ 週半ばにレジュメ作って送ってしまったので、なんか気が抜けている。先週はまだしも、先々週はもう夜逃げしようかと思うくらい、しんどかったことがうそのよう。慣れてはだめだとおもうのだけど、手順をきちんと自分で把握できるだけの余裕を持つことはよいことだなと思った。
_ 社交辞令というのは、誰でも言うものなのだなあ。
いやいや、そんなふうに深読みしてはいかんのか。
_ 耐え難い肩凝りに耐えかねて、母にピップエレキバンを貼ってもらう。それが三日ほど前のことで、効いているのか効いていないのか、もうひとつ判然とせず。できるだけストレッチをして、お風呂で温めたり。今使っているリュックサック、もういい加減に古いということもあって、ずた袋化していることも原因かな。とにかく、肩凝りひどい。あんまに行ったほうがいいのかな、なんて思ったりする。
_ 昨日。大学に一緒に行って、夕方、帰宅。みなにちやほやとされてご機嫌な様子で、家でもしばらく一緒にピアノで遊んだりしていたのだが、ふと額に手をやると、また発熱している。検温すると38.3℃もある。30分おきに検温するたびに、0.1℃ほど上がっていき、午後7時半の時点で38.6℃になっている。かかりつけ小児科の夜間の診察時間は午後8時まで。母乳を飲ませてみると、普通にごくごくと飲む。おしっこもちゃんと出ている。が、うーうーと、小さなうなり声というのかいかにも熱が出ているときに出てしまうような声が、止まらない。ときどき、真っ赤になって、うーと低くうなる。午後8時になるのを待って、子ども健康相談に電話をかける。全国共通の#8000に電話を掛けると、住んでいる都道府県の担当部署に電話が通じるのである。看護師や保健師さんなどに病状を話すと、すぐに病院に運ぶべきか、救急車を手配すべきかなどについて、アドバイスをくれるのだ。看護師さんに状況を説明し、一昨日、HibとDPTを接種したことも合わせて報告し、判断を仰ぎたい旨を伝える。曰く、原因はわからないけれど、ミルクが飲めておしっこも出ているのであれば、今は病院に運ぶ必要はない、経過をよく見て、明朝も熱があるならば、病院にいくのがよろしいとの助言をもらう。アイスノンを頭に当て、ガーゼを濡らして額に当てるなど。タオル地のキモノ風寝間着は、某国での遊び着にしようと思っていたのだけど、こういうときにちょうどいいかと思って、着せた。適度に暖かく、汗を吸い取る。午後10時頃、熱がさらに上昇する。が、これまでのところ、本人はまったく病人のような表情は呈しておらず、相変わらず、あやすと全力でにかっと笑うサービス精神を発揮させる。相変わらず、ピアノのをほうをちらちらと眺め、遊びたいという態度まで示す。そのわりにはうーうーとうなり続けている。熱冷ましの座薬を入れて30分後、熱が下がり始めたのを確認して、わたしもやっと横になった。まだ免疫もある時期だというのに、こんなに熱がしょっちゅう出るとは。。もう亡くなられた某先生の息子さん、生後4週間で国際線に乗って、某国へ行ったそうだ。それで頭がすっかり悪くなってしまいましたというのが先生の口癖だったそうだが、この息子さん、今では立派な公務員となっている。カルガモさんは生後7週間目で乗って、10週間目で帰ってきた。
今朝は熱はすっかり引いていたのだが、夕方からまた発熱。しかし本人は相変わらずご機嫌。わたしはものすごく疲れて、一日中寝てしまい、夕方やっと起き出した始末。夕方、夫から電話が掛かっていたことは知っていたんだけど、もう携帯電話を取り上げる気力もなくて、出られなかった。すんません。年いってからの子育てはしんどいで〜と、いろいろな人が言っていたのを思い出す。が、今のわたしの年齢よりもずっと年上で出産した知り合いの人びとの配偶者は、どういうわけかみな、7〜12歳ほど年下であることもまた思い出した。うちのだんなは見た目年齢は20代なのだけど実際は40代だし、鎖骨をいわしているし(苦)。
_ いつのまにか梅雨の気配がすぐそこでわれわれを待ち構えていたかのような雨模様の明け方、カーテンは引いたままで窓を全開にしてもう一度眠りについた。
布地やさんで、子どもの帽子にぴったりな麻の生地を見つけた。若干、微妙な大きさの布だけど、頭も小さいからこれで足りるかと思って、思い切って清水の舞台から飛び降りて購入(JPY340)。子ども用の帽子は、お店で買うと普通に千円以上の値札がついている。安いお店だと300円というものもあるので、そういうのを買えばよいのだろうけど、そのあたりは気持ちの問題とやらで、わざわざ布を買ったりなんかしてしまうのだった。アンパンマンのキャラクター的かわいさ(お話の内容は別として)がまだよくわからないので、むやみやたらとアンパンマン漬けにはしたくないとか、そういうややこしい気持ちなどもたなければよいのですがね。。
_ 最近、図書館でアガサ・クリスティを片端から借りて読んでいる。大体、2−3冊ずつを在架のものから適当に選び、あと数冊、目に付いた本をやはり片端から借りている。そうやって図書館を歩いていて思うのは、面白そうな本を選ぶ嗅覚ががっくりするほど退化してしまっているということだ。もう随分前から本屋で適当に本を買うことができなくなっていて(経済的にという理由がなのではあるが:苦)、その理由が装幀やら題名やらが放つテレパシーをキャッチできなくなってしまったような気がすることの自覚はあった。主要な原因のほかに思い当たるのは、大密林書店で買いすぎているため、本の評判を読んでからしか買えなくなったということである。書評ではない、よその人の感想や、売れているのかそうでないのかといったことを頼りに本を買うようになってしまったのである。だから、山ほどある図書館の本を見ても、心がときめかなくなってしまったのだろう。自分で読みたい本を選べなくなるなんて、なんということ!なんとかしなければ!