_ 『風博士』(ブラウザじゃなくて、バンド)が届いたので聴いてみる。歌っている人の声に耳が慣れていないのでまだなんともいえないけど、音がとてもきれい。寝てしまいそうになるくらいに、さわやかな音。退屈なのではなくて、静かな音なところがよい。
_ どうもこの頃、紅茶がおいしく淹れられない。このところ、ずっと同じ銘柄のダージリンを飲んでいるのだけど、味と香りに慣れてしまったのか、まったくマスカット・フレーバーどころか、紅茶的おいしさすら感じられない。舌がおかしいのかなと思って、アール・グレイを淹れたところ、これは普通にベルガモット味。夏場だし、水が悪いということにしておこう。
_ ノックが気になって、手持ちのDVDを早回しで観察してみた(暇なのか)。で、わかったのは、そんなシーンが1回しかみつからなかったこと。といってもその1回は、ブリジット・ジョーンズがダニエル・クリーバーのオフィスに入って行くところ。もっとも、透明壁のオフィスなのだから、ノックなどせずとも、ブリジットが来たということはもうわかっている。しかもブリジットは召使いではない。ということで、なにも発見はありませんでした。
基本的にバトラーは「個」を持たない存在なので、主人や客と同室に居て、空気のように主人たちの世話をしているのではないでしょうか。何がいいたいかと言うと、召使いたちは外にいるわけではないということ。常に扉の内側に何らかの召使いがいるのです。サーブされる側が完全にプライベートでいる(寝室などの)場合は、主人が呼び鈴等で召し使いたちを呼びつけるだけのこと。なのでノックの必要性がありません。主人達がパーラーなどで会話しているときに来客があった場合、客に顔をさらすことのできる立場の召使い(first footmanなど)が、いつでも主人の部屋に入れる立場の者(butlerなど)にネームカードを渡し、butlerはノックなどせずに何も言わずスッと部屋に入っていき、スッと主人の後ろに立ちます。すると主人が「何だ?」と聞き、butlerが用件を言う。そんな感じじゃないでしょうか。 少なくとも19世紀ものでノックの必要性があるシチュエーションが思いつきません。20世紀に入っても、たとえば寝袋さんがあげてらした、イシグロの「日の名残り」では、ホプキンスはノックなんてしていないような気がします。(単なる思い込みかもしれませんが。)P.G. Wodehouse の Jeeves and Wooster のテレビドラマシリーズ(スティーヴン・フライ&ヒュー・ローリー主演)には出てくるかもしれません。その疑問を、解決していただきました。 考えてみれば、源氏物語なんかでも、お付きの人びとは、主人や女主人の逢い引きにいなくてはならない存在ですねえ。「お時間です」と声を掛ける必要も出てくるし、主人と従者の関係には「恥ずかしい」とかそういう感情があっては成り立たないものかもしれないなと思いました。突然、部屋に入ったら、主人が裸で逆立ちをしていたりしても、驚かず冷静に、「寝袋さんがお見えです」と言わないといけないわけなのだなあ。「個」の意識の誕生と階級社会の衰退(安易に「階級社会」と使っています)とか「羞恥心」の芽生えとか、関係がありそうな気がしてきました。 雪見さんとムラサキさんが教えてくださった『ゴスフォードパーク』、生協に注文しました。もう生産中止になっているらしいのですが、あわよくばみつかるかもしれないなー、と思って。どうもありがとうございました♪日記めいたことを書くようになって以来、こんなにアカデミックなことを書いたのは、初めてのことのような気がしています。ちょっとは格調高くなったかな(笑)。
_ ネガティブモード全開なのが、恥ずかしい。。気持ちを切り替えないといけない。ちょっとヨーグルトでも食べてくる。
_ また「何様のつもりで教えているのか」という人たちに会うのがいやなんだと思う。ショックを受けたということではなく、得体の知れない新生物に遭遇するのがいやだという感じ。たぶん、火星人と遭遇するほうが、よほど「人間味」溢れる気持ちになるんじゃないかと思う。
_ ダメな生活を過ごしているなと思うことしきり。こんなのじゃあ、ほんとにダメ人間になるしかないような気がする。何か根本的に、間違っている。もっとのびのびとしていたはずなのに。
_ 音楽を聴かなくなったことと関係あるのかな。思いに耽るということがなくなった。うろうろと散歩することも、なくなってしまった。どんなにしても報われないことがあると、そうなってしまうのだろうか。時計の針を見ながら、砂時計の砂を一粒ずつ数えて、なにか仕事をしたような気分になっている。せっかく掘った穴をまた埋めて、しっかり踏み固めてからまた掘り返すような気分。毎日がまんしてばかりで、言いたいことも言わず、何をしているのかと思う。
_ 飛行機が着陸する寸前に、その手前を旋回する小さな丘がある。かつては王国がそこに栄え、丘のてっぺんは、宮殿があった場所らしい。いつかバイクで行ってやろう、そう思いながら、いつのまにか長い時間が過ぎていた。ある日、ふと思い立って、その丘に登った。矢印に従って、小さな細い、しかし辛うじて観光バスがぎりぎり一台通ることのできる道を登った。小刻みに減速しながら、最後にはほとんど停車寸前というスピードでたどり着いたのは、まさに丘のてっぺん。この国にしては珍しく、平らな広い風景が広がっていた。宮殿とは名ばかりで、現在、発掘中の遺構があちらこちらにある。兵隊がかつては集まっていたのかもしれない広場を抜けると、神殿風な場所に着く。その背後には、沐浴場がある。男湯と女湯のように、真ん中にある階段から対称に広がる。自然にできた水場なのか。層を一枚一枚剥がしてできたような水たまりがいくつもあり、思いがけず透明な水を湛えていた。
雰囲気としては、ベトナムはフエの阮朝の王宮のよう。強者どもが夢の後な雰囲気が漂う場所であった。誰もいない。ときどき思い出したようにどこからかヤギやヒツジが現れる。現代の家畜に姿を変えた王宮の人なのだろうか。無表情な顔つきで、草をはみつつ、いつのまにかまたどこかへ消える。
わたしはこの国で、この場所が一番気に入った。静かで、何もないところが気に入っている。屋台も土産物屋も、ここにはない。視界が開けた場所が一カ所あって、そこから丘の下に広がる平野を眺める。霧がかかったような空気の色は、鋭い太陽の日差しをやわらかく屈折させる。しばらくぼーっと、そこに立っていた。持ってきた水筒の水を少しずつ飲みながら、広く見渡せる風景を目に一杯に取り入れる。思いがけず4時間くらいをそこで過ごし、正午過ぎに丘を下りた。しばらくは田園地帯を走り抜け、慌ただしい市街地に戻った。丘を眺めようと下から目をこらしてもなにも見えない。下からは見えない場所に、王は君臨すべき時代だったのだろうか。標高300メートルあるかないかの丘に過ぎないが、そこに漂っていた王国の威厳は、千年以上過ぎた今でも、まだ残っていたのかもしれなかった。
_ ある日。保育園の帰り道、髪をポマードみたいなもので固め、濃い色のサングラスをかけ、肩を怒らせて、上下真っ白の高級そうなジャージを身に纏い、先っぽのとんがった革靴を履いた足はがに股で、ビールやらおつまみの入ったスーパーの袋をぶら下げて歩くおじさんが、わたしたちの前を歩いていた。いつもの道が舗装工事中で、この道を行くしかない。ちょっと怖いなあとは思いつつ、別に何か悪いことをしている瞬間を見たわけでも何でもないし、見た目で怖がるなんていかん!と思いつつ、心持ちゆっくり目に、子どもの手を引いて歩いていた。と、道路の真ん中にダンゴムシを発見した。こんな真ん中を歩いていたら、かわいそうやねー、と子どもに話しかけると、うん、あっちに持って行くと、しゃがんでダンゴムシを捕まえる子ども。その会話が耳に入ったのか、前を歩いていたいかついおっちゃんが、へえ−、小さいのにダンゴムシ、捕まえるの、こわないんかー。おっちゃんはわなー、ダンゴムシなんかようさわらんでー、あんた、ちいさいのにえらいなー、がははははー。おっちゃんは、実は気さくな人だった。子どもも臆することなく、えへへと笑っている。白いジャージのおっちゃんは、そのまま近くの家に入っていった。子どもはダンゴムシを道ばたの草むらに放ち、また歌を歌いながら歩き出した。
Before...
_ ね [ムラサキさん、どうもありがとうございました。女中さんというのは、おしゃべりな人にはつとまらない仕事なのでしょうね。見..]
_ 雪見 [召使はノックをしないという話を聞いて、わたしもやはりそれは 彼らが一人前の人間扱いじゃないからだなぁと思いました。 ..]
_ ね [召使いさんたちは、一人前の人間ではないのですねえ。。 「コンパニオン」が出てくる小説をなんか読んだことがあるような気..]