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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

17-08-2005 / Wednesday

_ うーん。暑いな。昨日は、秋の風が吹いていたのに。

結構、未決事項をいくつか残していくことになり、我が身の鈍くささを呪詛することばをつぶやいているところ。インターネット上で飼っている動物がいるのだけど、いつもこれの面倒を頼んでいた人と疎遠になってしまったので、これを機会に手放すことも決めて、ちょっと涙ぐむ。結構、長いこと、飼っていたので。殺伐とした時代を一緒にくぐり抜けてきただけに、やっぱりさみしい。

_ コミュニケーション不全。それはたぶん優しいのでも、もめ事を避けているのでもなんでもなく、ただの怠慢なのではなかろうかと。相手を傷つけるのが怖いというのではなく、自分が傷つきたくないだけなのだと理解しているけど、ほんとうの理由はちゃんと知らせたほうがよいと思うわけなのだ。などと、私も正面切って伝えられませんので、こんなところに書いたりして、意味なし。

_ んー。

_ 楽しかった。かなり楽しかった。Light my fire.

_ So maybe everything is all for nothing. Still you'd better keep it to yourself.

_ 昨日。

午前中、机に貼り付いて処理。疲れたので、早めの昼食を一人で。戻って、郵便局、銀行。身分証明書が必要だったのだけど、たまたま別財布しかもっていなかったので、生協の公費カードとキャッシュカードしか入っていなかった。。

某お祝いを包んで、預けた。

夕方まで断続的に打ち合わせと処理の継続。日没後、準備。15分前くらいから、某人とふたり、消灯した部屋でスタンバイ。

火を見ながら、忘れるべきことを忘れることに。捨てるべきものは、捨てる。忘れるって、大切。捨てることも、然り。然りながら、かけたエネルギーの数千倍、しんどいらしい。

某所にて越、緬、羅宇、泰などのメインランド食を食べて丑三つ帰宅。


17-08-2009 / Monday

_ 耳がもげかけたクマと一緒に、祖母と岡崎の動物園に行ったのはなぜだったのだろうか。。昨日からずっと思い出そうとしていた。そういえば、両親も弟もいない。あれはもしかして弟が生まれるから一人で祖父母の家に預けられていたときのことだったのだろうか。次の日には病院へ行って、弟が生まれるのを待っていたはずだ。わたしは長いすに座っていて足をぶらぶらとさせていた。あまりにぶらぶらとさせていて、椅子から跳ね落ちてしまい、わたしは廊下で顔を打って唇を切った。真っ赤な血が廊下にぼたぼたと垂れ落ちたことを覚えている。もちろん病院なので、すぐに手当てを受けることができた。そのときのヨードチンキの赤黒い色と鼻先に迫ってくるピンセットに挟まれた脱脂綿をよく覚えている。

弟は生まれたときからびっくりするくらいに漆黒の髪が、ふさふさとしていた。祖母はまずそのことを喜んだはずである。わたしは2歳を過ぎる頃まで、ほとんど髪の毛が生えてこなかったからだ。弟が生まれた前後くらいから漸く、髪がそろい始めてきた。今度はあまりにも密集して生えてきたので、おかっぱの頭がヘルメットに見えるようだった。ヒラメちゃん、もしくはクンちゃんのごとき厚ぼったい髪は、まだつやつやと光っていた。ピンドメやらゴムなどの類を一切受け付けず、仕方がないので、いつも耳の下で切りそろえる髪型にしかできなかった。弟の髪は今もふさふさとしている。わたしの髪は分け目の辺りがすっかりと薄くなってきている。耳がもげてしまいそうなほどになっていても決して手放さなかったぬいぐるみは、弟の登場で静かに居場所を交代したのかもしれない。わたしとはまったく異なり、黒目がちな大きな目をして、真っ黒のふさふさの髪をした弟は、まるで人形のようだったから。ふと忘れていた記憶が数珠繋ぎにこぼれて落ちてきた。


17-08-2013 / Saturday

_ 引っ越しの準備がまったく進まず、気持がまったく沈んだまま、必死になって元気を出そうとしている。だからなのかずっと頭が痛い。元気を出してひとつずつ片付けいかなければ。2年前に退官された恩師の奥様からどんな準備をしていけばいいか電話で教えてもらった。奥様は凸凹大の同窓でもあるし、やはり日本語を教えていらした。それで久し振りに人と話して笑って、ちょっと頭に空気が通った。ちょこちょこと必要な本を集めているんだけど、わたしにできることってなんでしょうという質問に対し、やっぱり誰しも専門性というのがあるから、あまり日本の公式な日本語教育の要領に従うのではなく、アカデミックライティングとかきちんとした文章が書いたりするような指導を目指したらと言われる。そんなことができるんだったら、今ここでこんなことしてないよな…と思ったりしたけれど、そういう余計なこと考えるから頭が痛くなるのだと思い直して、持って行く本を選びなおしたりした。でも本当に、しんどい。頭の芯がずっとぱんぱんにふくれあがっているような気がしている。


17-08-2014 / Sunday

_ 高校では夏休みに作文とか創作物(小説・詩・戯曲など)とか小論文などなどを書く課題が、現代文の宿題として出された。わたしは一年生と三年生のときに、課題が選ばれて掲載された。選ばれるのは基本的に各クラス一名だったと思う。なので、毎年、30数編のさまざまな散文やら創作物を編集した文集が出されるのであった。一年生のとき、ひとつ上のサッカー部の人のエッセーがわたしの文の隣に掲載されていた。映画に関するものである。ジョージ・ロイ・ヒルという映画監督の作品についての、短いけれど、とても気の利いた素敵なエッセーだった。わたしはこのとき初めて、映画監督について書かれたエッセーを読んだのではないかと思う。とにかく格好いい文章で、文体だった。「スローター・ハウス5」、「リトル・ロマンス」そして「ガープの世界」について書かれていた。わたしは全部、映画を観たいと思った。しばらくして本屋に行くと、たまたまなのかどうなのか、ジョン・アーヴィングのスペシャル・コーナーが設えてあった。そこで、わたしは「ガープの世界」を買ったのだった。

それからいつ映画を観たのだったか、もうはっきりとは覚えていない。でも、とにかくT.S.ガープ役を演じたロビン・ウィリアムズの、愛嬌があるのに、どこかしら少し寂しげなあの口角をきゅっと上げた笑顔というのか悲しい顔が好きになったのだった。彼の出演した映画を全てみた訳ではない。でも、それ以来、ジョン・アーヴィングを読むたびに、妄想の登場人物の誰かひとりに、かならずロビン・ウィリアムズを配置したものだった。頭の中のBGMはいつもどんなときも、When I'm 64(ビートルズ)。「ガープの世界」の主題歌だった。彼がいなくなって、本当に寂しい。

「私一人」。ベティ・バーカル/ローレン・バコールの自伝を買った日のことも、とてもよく覚えている。6月のある大雨の日、文字通り、本当に貯金箱を割って小銭を掻き集めて、夕方、ひとり電車に乗って大きな本屋まで行った。映画コーナーで見つけて、背伸びしてその本に手を伸ばした指の感触まで覚えている。白地に青で書店名が入った、今では考えられないくらい洒落たカバーを付けてもらい、我慢しきれずに電車のなかで読み始めた。何度も何度も読んだ。ボギーとローレン・バコールには特別な思い出があった。ローレン・バコールには100歳くらいまで、生きていて欲しかった。でも今頃は、ボギーに再開して、ふたりで楽しく素敵な時間を過ごしていることだろう。胸が締め付けられるような死が続いて、少し寂しい8月となった。


17-08-2016 / Wednesday

_ 海外に住んでいると、日本では絶対に知り合いにならないような人と知り合いになったりする。わたしは何も自慢するようなことはないので、初めて出会った人にも、ある程度長く知り合いでいる人にも、基本的にはあまり深い話はしないようにしている。この時代だからということもあるが、海外に住んでいる一部の日本の人が、そこで知ったことを実に見事に次の人に明かすことが多いということを、今の場所に根を下ろすようになって初めてわかった。信用とまではいわないけれど、まさかこんな個人的なことを誰かに話すことはないだろう、とさえ思いもしなかったようなことを、実に気軽に次の人へ、そしてまたその人は次の人へと話していかれたこともあった。そういうのは個人の資質の問題で、海外に住んでいようがいまいが、どこでだってその人がいるところではありうることなのかもしれない。わたしはそういうことに関して、とても疎い人間だったということなのだろう。今はよほどのことがない限り、愚痴のひとつだってこぼさないようにしている。人を見る目がないことがいいことなのか悪いことなのか。すくなくともわたしに関しては、人を信用しすぎるのは見る目がないことであり、もっと自分を守るということを考えなければもっとひどい目に合う、と今では思っている。このことは、あまりよいことではないとは思いつつも、海外に住んでいるということを理由に、自分では納得している。人を信頼するのは信頼されるよりもむずかしい。性悪説がいいということではなく、もっと見極めて、ものごとをよく見て考えなければと思っている。

この半年ほど、わりと頻繁に会って話をする人がいた。同性だし、わたしにとっては少し年上のイトコやわかいオバのような気安さもあって、食事やお茶もよくしたし、仕事の話などもよくした。基本的にはとてもよい人だと思う。ただ、そうしている間にわたしのことを懐柔させやすい人間だとみられたのか、どちらかというとその領域に踏み込んでもらう必要はまったくないということに、最近、あれこれ意見をされるようになってきた。

たとえば服装とか髪型とか化粧の仕方とかそういうことである。いつも幸運を呼び込むためには白い服を着る必要がある、髪は一か月に一度はカットしなければならない、二週間に一度はエステで手入れをしなければならない、人は見た目が大事、とかそういうことである。それぞれ大なり小なり、悪いことではないと思う。余裕があればそうすればよいことで、わたしはそうする人のことをそれは素敵なことですねとは思うものの、そうしない/できない人のことまで考えたりすることはしない。見た目とはいうが、それは内面あるものが映し出される話であって、そうでなければ何をしたって白塗りになるだけの話である。

ここにAさんという人がいる。Aさんは、どちらかといえばクラスにひとりはいそうなタイプのファッション雑誌とかほとんど読みそうにないタイプで、流行とかそういうことに関係なく、自分のセンスを大事にし、それさえも開拓の余地はまだまだあるから、いろいろと冒険して挑戦している途上にあって、いつかきっと自分の型のようなものを手に入れるはずの人である。なんといってもこの人はものすごく難しいことで知られるある国家資格を持っている人なのだ。この資格には、頭の良さや技術だけでなくセンスも必要とされる。わたしはそれだけでもう尊敬してしまうのである。

このAさんのことを、年上のイトコかオバのような人は、かなり辛辣にコメントをする。服装とか髪型についての感想はまだしも、化粧だとか肌の手入れだとかもっと込み入ったことまで、干渉している。わたしだったら耐えられないと思っていたし、いつかAさんに、年上の人からのコメントはあまり気にしなくてもいいんじゃない?と言いたいと思っていたくらいなのである。わたしに言わせれば、Aさんのどこかギクシャクとしているところはすべて経験の少なさから来ているだけのことだ。これからいくらだって、自分の力で変わっていく人だと思っていた。それが、このAさんを変えることに成功したと年上のイトコかオバのような人は思い込んだのか、次なるターゲットはわたしだと思うようになったらしい。わたしは、人が美しく見えるのは、服装とか化粧とか髪型よりもむしろ、姿勢とか内面だと思っている。姿勢というのは態度のことではなく、物理的な立ち姿とか歩き方とかそういうもののことだ。どんなにきれいにしていても、背中がしゃんとしていないのはよくない。そう思っているから、年上のその方がわたしに触手を伸ばしてきたときも、さらりとかわすことができた。人の意見に耳を傾けないとかそういうことではなくて、ある領域に関しては、わたしはできるだけ自分の考えをとおしたいというだけのことなのだ。研究とか仕事に関しては、最終的に決めるのはもちろんわたしだけど、できるだけいろいろな人の意見を聞きたいと思っている。風水的には黄色の服とか茶色の服はよくないと、わたしの場合は書かれていたりするのだけど、自分が着たいと思ったら、なにを着たっていいと思うから、よく着ている。外で素敵な人をみたら、その人みたいな服をまねっこしたっていいとも思う。今よりも素敵な化粧の仕方があるならば、挑戦したっていいし、エステにだっていけばいいのだ。

でもわたしがそうしないのはひとつには、別に今、問題があるとは思わないこと、ふたつめには経済的な余裕がないこと、これだけである。

見た目が変わることと経済的状況の改善にはもしかすると相関関係があるのかもしれない。でもそれよりも、年上のイトコかオバのような人のやり方は、どこか人をコントロールするようなところが感じられて、違和感を覚えるのだ

人を変えるということは、その人が今もっているすべての資質を否定するようなところがある。人に影響を与えるということは、意図せずに、ある人が持っているよい部分(悪い分のときもあるかもしれないけれど)をほかの人が「欲しい!」と思わせるようなことだと思う。海外をあちらこちら回って活躍してこられて、華々しい経歴のあるかただけに、自分の成功への道のりとおなじものを、他者にも与えたい人なのかもしれないけれど、日本でもし知り合ったのだとしたら、わたしは今ほど深く知り合うようにはならなかったようにも思う。わたしが思う素敵な人は、姿勢がよくて、話す言葉が美しい人だ。内面の美しさは、言葉や表情になって、外に出てくるのだと思う。


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