_ 昼下がりの商店街をのんびり歩いた。「昭和」が色濃く感じられる街は、懐かしくもあり、むずがゆくもあった。急いでいる人はだれもいなくて、ソフトクリームが溶けるのもゆっくりだった。煤けた暖簾や色あせたビニールの庇も、たたき売りされている携帯電話も流行の眼鏡のフレームも、違和感なく隣り合う。のんびりと歩いているうちに、私の話し方もいつも以上にぼそぼそと小声になった。今、時間が止まればいいのに。
電車の窓から月を眺めながら、幻灯機が回っていたような昼下がりの街を思い出していた。
_ いろいろと、心配して助けてくださるかたがたに恵まれていることに感謝しつつ、ようやく本当に出発する用意が調った。それだけのものを背負っていくわけだから、がまんできないと退却することはもうできない。
久し振りに大学に行って、何人もの恩師にご挨拶をして、お世話になった図書館の司書のかたがた(もちろん母校のほう)といろいろな話をして、もう疲れてしまって行けなかったので吉田山に向かってぱちぱちと手を叩いて頭を下げて、久し振りにミルクコーヒー飲んで帰ってきた。帰りに鴨川がみた風景が、ずっと大昔、新入生だった頃からまったく全然変わっていなくて、ゆくかわのながれはたえずして、しかも、もとのみずにあらずとはいうけれど、全然、なにもかわっていないんだな、いつか自分も周りもかわったなあと思うことがあるのかなと思ったり、若い頃の真剣な意欲は確かに消え失せてしまったよなあと思ったりして、茫然としていた。
明日からまた元気を出して、きれいにして出立しよう。
_ 夕方まで仕事して、一旦、帰宅して子どものヘルメットと命綱を取ってから学童保育へお迎えに。そのまま今日は外で食べるということでピザやさんへ。店内のあちらこちらに貼られているイタリアの写真を見ながら、ひとりでも多くの人が助けられることと、一日でも早く、被災した人たちが生活をを取り戻すことなどを考えたりした。
子どもはピザやではいつも炒飯を食べたがり、中華やではピザを食べたがる。天邪鬼である。子どもの食べられるものを頼むから、大人にとってはちょっとくどい食べ物ばかりになり、ピザを食べて帰るとなんとなく気持ちが悪くなる。残せばよいのかもしれないのだけど、お店屋さんで食べ物を残すというのができない。それで意地汚く全部食べてしまうのである。ああ゛~という気持ち悪さを家に帰って季節のフルーツとプーアール茶の摂取によってごまかしたのであった。