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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

08-10-2003 / Wednesday

_ わ、もう10月も一週間が過ぎてしまいました。

_ 今年こそ、冬前に家を出ようと思って準備だけは着々と進めていたのに、あれこれと野暮用が飛び込んできたことと、やはり自宅の場所が地の利がよいということもあって、家を出る契機を逸したままに今日に至ってしまった。おかげで枝豆弁当を与えられたり、トウモロコシ弁当を与えられるなど、有り難いが少し格好悪い事態にも巻き込まれ(感謝しているのですが)、やはり早く家を出ねばと思うこの頃である。トウモロコシ弁当とは、収穫したばかりのトウモロコシを茹でたものを二本、持って行くように言われたときのこと。トウモロコシは食べる時にかなり注意しないと、とくに茹でたものは水分が飛び散ることがある。なので、家で包丁で粒をそぎ落としたものを持って行ったのだが、欧米人のお弁当にはリンゴ丸ごと一個などというのもあるらしいから、たいした違いはないように思われる。私が日本人であることは、とくに問題にはならないだろうし。

_ やればできるやん!と、誰にともなく言ってみたいときがある。

_ 揺れました。久々なので、やはり怖かった。


08-10-2004 / Friday

_ 雨の日は嫌いだけど、今日みたいに金木犀の香りがずんと染み通ってくるのは好きだ。うっとりする。

_ しとしと雨。梅雨時よりも、断然、降っている。

_ 歴史について書き始めると、どこからどこまでが自分自身が理解している範疇で、どこから先が共有されているとされる歴史になるのか、とても難しい。記録された文献史料がないということは、強みにもなるし、つっこまれるポイントにもなる。かといって、文献だけを手がかりにするようでは原書が読めない限りは、どこまでいっても孫引きの後ろめたさを感じるだけになる。もっともこんな素人なことを考えている私は、歴史学とは何か少し勉強すべきなのだろう。遅すぎるんだけど。


08-10-2005 / Saturday

_ 別段、落ち込んでいるわけでもなんでもなし。ただ、今ごろになって、ようやくテロに遭わなくてよかったと思えるようになったということ。バリ島のときも、ニューヨークのときも、一日の差で免れた。生きていてよかったと思うのみ。生きていてよかった。

_ 初めての海外旅行に出かけるとき、搭乗してベルトまで締めた飛行機が、機体不良とかで飛ばなかった。空港近くのホテルに泊めてもらうことになり、一応、自宅に電話した。両親は、すぐに帰ってきなさいと言う。だんだんと不安になってきたのだが、同行のクラスメートはだいじょうぶ、だいじょうぶ、と意に介さず、さっさと寝てしまった。翌日、飛行機は無事に飛び立った。その日、深夜に目的地に到着したとき、機内ではみなが拍手をした。

そのとき、タラップを降りて、初めて経験した外国のにおいが忘れられなくて、未だに旅をしているのかなと思う。甘いにおいと、独特の香辛料のにおい、そして夜のにおい。その旅のことはほぼ忘れかけているのだけど、タラップを降りたときのことだけは、今でも不思議なくらいに鮮明に覚えている。自分の来ていた服、足が少しむくんでひもがきつくなったスニーカー。今ほどに明るい照明ではなかったのか、空港の周囲の様子はまったくわからない。白タクのようなものの値段交渉をしたのはクラスメートだったし、どこに泊まるかを決めたのも彼女だった。外の様子がまったくわからないままに、車は走り出した。暗闇の中で手探りをして、倒れ込むようにベッドに横になった。翌朝、目が覚めたのは表の道を通り過ぎた馬車の鈴の音のせいだ。明るい日差しの差し込む部屋を見渡したとき、ああ、外国に来たのだなと思った。どうやって街中に出たのかはもう覚えていないけれど、朝食を食べそびれたわれわれは、適当なレストランに入った。旅慣れた友だちは、さっそくローカル・ディッシュを選んだ。私はどこかにまだ弾けきれないところがあって、悩んだ末に、スパニッシュ・オムレツを頼んだ。もちろん、友だちの選んだもののほうがおいしそうにみえた。

本当は旅が好きなわけでもなく、楽しんでいるのでもないのかもしれないと思うことがある。同様に、友だちといるのは煩わしく、去る人がいればわざわざ理由を問うたりもしない、人間関係に淡泊な人間なのだなと思うこともある。そのあたりのことは詳しく書かないけれど、結局、無難に過ごすほうを選んでいるように思ってきたし、そう見えるだろうと信じてきた。それでよいと思うこともあるし、だからだめなんだなと思うこともある。人が去っていく理由には、いろいろあるのだろうから、なぜかを問うてみたところで、お互いしっくりといくはずもない。黙っているのが一番だなと思ったりする。

私について何がわかったのでしょうか。私は誤解を恐れるし、一歩踏み込むことができないので、もうこのまま連絡を取り合うこともないのだろう。もらったメールの返事はまだ書いていないけど、もう書けそうにもない気もしている。

_ 今度の出張、最初と最後はお仕着せの業務があるのだけど、間の10日ほどは、自由行動。この機会に見ておくべきもの、歩いておくべきところをリストアップして、移動プランを立てている。ただ、初めてのところなので、慣れるまでの時間とか、ゆっくりみたいところのプランとか、そういうところを考えながら作ると、これは本当に行ってみないとなんともわからないなあ、などと思って先に進めなくなってしまった。まあ実際のところ、今週中には旅行伺いを出さないと行けないので、適当に決めてしまうのだろうけれども、有意義に過ごしたいものだ。

_ 『アムステルダム』(イアン・マキューアン)。まだ半分なので、どのあたりがブッカー賞なんだろうとおもいつつページを繰っているところ。翻訳をいつもしている小山太一さんというかた、ものすごく翻訳のスピードが速いのだろうなあ。ジーブズもこの人が訳している。うまいなあ、簡潔だなあと思いつつ、読む。

こないだ買ったセミオーダー・シャツ屋の人と話していたときのこと。布の持ち込みもあり、とのこと。「たとえばですね、アニエスのシャツがすきだというのであれば、そのパターンをうちで起こして、仕立てることもできるのです」という。パターンを起こしてくれたりもするわけなので、そうなると、シャツを仕立てる技術のみを提供してくれるということになる。私はもともと服を仕立てるのが趣味なので、こういう話を聞くと、一体、どれくらい手間賃がかかるのか気になるので、尋ねてみたところ、5万とか、6万…とのことだった。。なんだか、やっぱり高いのだな。

花はまだ見えないのだけど、金木犀の香りが雨上がりの空気の中に、ほのかに解け合って、うっとりとする。


08-10-2007 / Monday

_ 手塚治虫のBuddhaを読んでいる。その人の未来を予言できるAssajiという子どもが登場する。だれかわたしの余命を予言してくれないだろうか。残りがあとどれくらいかを知れば、もっと積極的に生きようという気持ちになるのではないかと思うのだ。今と地獄と比べることができたなら、もしかしたらもっと落ち着くことができるのだろうか。


08-10-2008 / Wednesday

_ 国土地理院のとてもすてきな先生、公文書館のおしゃれな司書さんと話。国土地理院の先生、先生とわたしは呼んでいるけど、雲の上の人である。この先生は、昔から、わたしの研究に関心を持ってくださっていて、昨日も早速会うなり、その話になった。そして今の研究の話にもなった。先生もまたその古い街のご出身であったということを知る。その街の話をしているときに、先生が、「彼女、T先生によく似ているね」と、同席していた別の先生にささやいた。わたしのことである。T先生が亡くなられてからもう十三回忌ではなかったか。T先生は男性だから、外観が似ているということではないようで、その古い街に関するわたしの考え方とか意見が似ているということであるようだった。そのようなことをいわれたのは初めてのこと。恐れ多いという気持ちで一杯だが、せっかく古い街に住むのだから、T先生の足跡に触れるような時間があればいいなと思ったのは本当のこと。あれこれ訪れたり繙いたりしたおかげなのかなと思った。そのおかげで、いつのまにか、T先生の旧知の方々とも知り合うこととなった。

今回、首都に出てきている理由は、純粋な休息。古い街で過ごしてもよかったし、ざくざく友だちのいる村に帰ってもよかった。が、とにかく休みたかった。それだけ疲れていた。首都で過ごしてよかったと思うのは、離れているからこそ、すぐそこにいるように届いてくるさまざまな声。耳をすませて、よく聞き分けられるよう、十分な時間が取れた。


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