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  1. LapsFeaccap (02-27)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

21-11-2003 / Friday

_ イスタンブールでまた爆発テロ。今後は英国総領事も含め、民間の人までもまた多く亡くなったという。胸が塞がる。

パンドラの箱はもう空っぽになってしまったのだろうか。まだ残っているのが「希望」だとはとても思えない気がして、そんなふうに思ってしまう自分の背中が冷たくなってしまう。トルコはなにもしていないのに。この中立を維持してきた国に、どんな問題があったというのか。

悪い奴らを消さねばならぬというのが正義なのであれば、いっそのこと、全員が地球から出て行けばいい。私は喜んで出て行くと思う。

_ 個人的幸せと人類の幸せでは、前者を優先させたいので、地球から出て行く前に、できることはしておきたいと思う。汝のなすべきことをなすのみと、自分にいう。

_ だって、自分が幸せでなかったとして、それでもなお他人の幸せを願うほどに私は人間ができていないと思うので、まずは足下からということ。でないと、私の場合は単なる偽善者にしかならないわけで。


21-11-2005 / Monday

_ とりあえず、国内移動、最後の街へ。朝、5時おきで飛行場に行ったのに、機体整備で離陸は12時。。インターネットで予約していた宿はオーバーブッキングで部屋がなかった。地球の歩き方片手にタクシーで数軒、回ってもらった。やっと見つけた宿は、一本筋を入った静かなところだが、車が入られない。あさって空港へ行くとき、どうやって車を見つければよいだろうか。。あと3階まで自分で荷物を運ばないといけなかった。エレベータなし。しかし、15ドルなので、まあええか、決めた。部屋はものすごくきれい。おおきなベッドがふたつある。あとNHKも入るんだよ!

道端でコーヒーを飲んでいたら、宝くじ売りがなんとか買わせようとする。いや、外国人だから・・といったら、大笑いされて、いやー、そうとは思わなかった、と。コーヒー、おいしい。

外国人専用のツアーバスで、ショートトリップに行った。歴史の語り方を知りたかったのだけど、私ともう一人の参加者の日本人は、徹底して外国人として、取り扱われなかった。あくまでも、オリエンタル。なにもかも順番は、最後。おそらく、日本にくるオリエント(っていうか、ほんとはアジア人、というべきか。さらに細かくは、東南アジア人)の人々も、おなじような扱われかたをしているのかもしれない。顔つき、言葉、しぐさで瞬時に二者を区別し、態度を決定する。自分の中にも潜んでいるかもしれないものを見せられている、と考えるのはひがみすぎか。

もう一人の日本人の人、凸凹大の後輩だった・・。世の中、狭すぎます。

今の国では最後の二日。あさって、バンコクへ向けて移動。なかなかきつい日程で、今、かなりへばっていますが、とりあえず、何の病気にもかからず。病気ではないけど、日本語をもっと話したいと、なんだか生きていて、初めて思ったかもしれない。


21-11-2006 / Tuesday

_ 女性専用車両に乗る度に思うことだけど、そういう空間に男一人で乗り込んできて、壁のあちらこちらに貼られている「女性専用車両」という警告が目に入らないで、最後まで堂々と座っている人って、どういうことなんだろうか。非難しているのではない。おかしいと思わないのだろうか。自分以外全員女子。女きょうだいばかりで、日頃からそういう状況に慣れているのだろうか。女子校とか女子大の教師なのだろうか。見るからに怪しい人は、決してそういうことをしない。どちらかというと、人畜無害っぽい人ほど、おとなしく座っている。見るからに怪しい人は、分をわきまえているということなのだろうか。まあ男どもの考えるようなことは、わたしにはわからなくてもよいので、別にいいんだけどね。まれに、途中で気付いたものの、だからといって、動いている車中で別の車両に乗り移るのもまた恥ずかしいと思い直して、じっと恥ずかしげに座っている人もいる。そういう人はよろしい。わたしが好感を持つタイプは、わっ、間違えた!とか叫びながら、走っていく人。普通の会社員風の人におおい。ほんとに間違えたのかどうかはさておき、ほとんどの人があわてふためいて逃げ去っていくのが、まんがみたいにおかしい。年配の女性などは、間違えて座っているひとに、「ここは女性専用車両ですよ」などと言うこともあるが、わたしは怖いのでいわない。前に、そういった若い女性が、逆上した男性に暴言を吐かれるのを見たのが、いわゆるトラウマになっているから。あと、終電から3つほど前の、人が少ない電車の中で、酔っぱらいに絡まれて、ほんとに死ぬかと思うくらい怖い目にあったことがあったので。そういうとき、誰も助けてくれないわけです。ほんとにみな見て見ぬふりをする。世の中は怖いことだらけだと思うと、今日も無事に家に帰ってこられたのは僥倖。そう思うと、少々しんどいことがあっても、生きててよかったなあとしみじみ思ったりするわけであります。ま、おおげさですけども。

_ 保健センターで予防薬査収。高い。代理店で査証とチケット査収。増補してくださいといわれるので調べてもらったら、在外公館だと、即日増補されるとのこと。助かる。

_ おみやげとか調達。こういうときにしか歩かないような場所を徘徊。修学旅行生がやまのようにいる。みな肉桂味の皮が粒あんをくるんでいるようなお菓子やに群がっている。名前を彫りますよ関係のアクセサリーとか。手鏡をのぞき込む桃割れ娘の絵(顔しかわからなかったの図)がトレードマークのお店なども繁昌していた。途中でめまいがしてきたけれど、もう今日くらいしかゆっくり買い物ができないので、ささっと買う。

「11月の扉」がひどく貶されているのを網上で読む。本のいいとかわるいとかは、基本的に読んだ本人が決めることだと思う。研究書ならばともかく、文学(含:児童文学)なんて、読み方はいくらだってあるわけで、どれも真実ではないのだろうか。いいかわるいかで判断しようとするのではなくて、すきかきらいで判断すればよいのになと思う。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ LapsFeaccap [ <a href="http://www.polkmoms.com/profiles/blogs/flagyl-..]


21-11-2010 / Sunday

_ そんなわけで古本の「百年の孤独」を探さないかわりに、「正弦曲線」(堀江敏幸)を読み始めた。夕方まで読んで、子どもが昼寝から目覚めたので、一緒にかくれんぼやら打楽器遊びをしたりして、夕食を支度して、離乳食を作って(作ってあるのを温めた:今日は小松菜と絹揚げのお浸し、マナガツオの蒸し煮、ひき割り納豆のお焼き、おかいさん)、いまだ片付いていない出張書類と格闘し、年末調整関連の書類をかき集めたりした。一日がいくつあっても足りないような気がする。

子どもは金曜日に肺炎球菌の予防接種を受けた。1回あたり9千5百円でっせ。それを3回、打たねばならない。もう10ヶ月になっているので、接種回数は3回でよいのだが、9ヶ月未満で接種を開始した場合は4回、打たねばならぬ。年齢が上がるにつれ接種回数が減るのだが、1歳時に肺炎球菌関連の病気を発症する確率が高いらしく、それまでに接種しておくのが望ましいという。しかしまともにスケジュールどおりに接種開始すると、家計がほんとうに苦しくなる。ヒブワクチンも1回あたり7千円。4週間おきに3回接種しなければならない。さらにその三回目から一年後に追加接種を受けて完了。子どもは海外での生活があるのでB型肝炎も任意接種している。それも1回あたり9千5百円で3回接種だっせ。ちなみにこういった予防接種は某国では必須、主要な欧米諸国でも必須となっているから国の補助がある。日本のちびっ子予防接種事情も携帯電話同様、ガラパゴス化しているのである。子ども手当はいらないからそういうところをもっと配慮してください、と言いたいです。

_ ふと思うことがあって「百年の孤独」が急に読みたくなった。山の家においてあるから取りに行けばよいのだが、この機会に新訳版を買おうかと思い(もちろん古本で)、大熱帯雨林書店で検索してみたら、なんと絶版だとか。ほかの書店の在庫状況も検索してみたところ、どこも絶版。ええー、あんな大作かつ素晴らしい小説が絶版とな。。そういうときはきっとまた新装版がでるのが間近なのだろうと無理矢理思い直して、なんとなく消化不良を抱えたまま、いつも名前を咄嗟に思い出すことができないあの人の本を開いた。。堀江敏幸だ。本屋でも図書館でもいつも、ええーと、確かは・ひ・ふ・へ・ほ、のどれかだったなあと思いながら、ハ行のコーナーを歩く。こんなに好きなのにどうして覚えられないのだろう。なぞだ。


21-11-2013 / Thursday

_ 文学部は、全17学部の中で、教員一人あたりの研究活動の成果および競争的研究資金の獲得のランキングが、もうずっと最下位なのだという。その理由が、個人研究室がないからだということに求められたこと、だからひとりあたりの学術的生産性を上げるために、今年度中にいずれ個人研究室が与えられるという話は聞いていた。で、既存の使われていない平屋の一棟が、日本語学科に割り当てられた。壁を設置して個人研究室を工事するということで、それが完了次第、引っ越しがおこなわれるといのことだった。そしていよいよ来月あたりという声が聞こえてきたのが、先月の末のこと。いつでも引っ越しできるようにと、荷物をまとめる人も出始めた。わたしはというと、もともと荷物がまだほとんどなかったということに加えて、いつも机の中は空っぽにしておくようにしていたので、ほとんど荷物は皆無であった。プリント類はどんどん処分していたし、書類箱がひとつとファイルが3つほど。でも引っ越し用の段ボール箱に一応いれて、用意はしていた。

今週の月曜日、朝、学校に来たら、部屋がもうからっぽになっていた。なにもない。もう引っ越したのかと思って、新しい部屋に来てみたら、共用スペースの小さな物置部屋に段ボール箱が天井まで山積みになっている。え。わたしの箱は、大きな模造紙の箱を入れたので、箱の上を閉じないでいたために、段ボール山の山頂に据えられていた。そしてその山頂部は、天井部と接しているのであった。しかし荷物が詰め込まれているその部屋は、他の三方はせいぜい段ボールが一段か二段積まれているだけである。段ボール山の部分は、裾野の直径が2メートルほど、高さが4メートルという、曲芸的な積み方によって造山されていた。どうしたらこうなるのか。まったく不明。わたしはしかし、いかにもこちらの人のやりそうなことだなあと思って、楽しくみていた。そう、楽しくないと、段ボールを運ぶ作業なんかできないのである。辛い仕事の中に、楽しい要素を見いだしたからこそ、雨が降る日曜日に、工事の人たちはこんな仕事が出来たのであろう。楽しく、わたしは感心もしていた。

しかし。他の先生たちは大ブーイング。なまじ日本経験が長い先生ばかりなので、こういうことは日本ではありえないという反応が先に立ってしまったようでもある。まあまあ、とわたしがなぜか取りなして、片付け作業を始めた。

床だってほこりだらけ、煙草の吸い殻だらけである。気の早い先生は、掃除の人を待たずに、たわしやモップでこすり始めた。みんながなんとなく落ち着きを取り戻した矢先、なんと今度は、部屋のペンキを塗り替えるという。ここに至って、さすがのわたしもなんじゃそりゃ?という反応を示したのだが、その次のことばを聞いてさらにどひゃーとこけてしまった。ペンキを塗ったあと、新しく窓を付けるので、壁をぶち抜く工事をするとのこと。段取りとか工事計画とか、そういうものが全くない国だとはよく知っていたけれど、もう笑うしかない。。無駄を省くとか、エコとか、そういう発想がゼロ。。そこでアカデミックな生産性を上げる活動をせよというのは、ちょっと無理な話ではないのだろうか。インターネットが開通するのはどうやら来年初頭とのこと。電話だって、まだ電話線が引かれていないとのこと。すごいなあ、すごいよなあと、ひたすら感心して、おもしろがっています。「センセイ、こんなことになって、スミマセン」などと謝ってくれる先生もいらっしゃるのだが、思えば、わたしはずっとこういう不思議な世界を観察してきたから、別に驚くべきことでもないと受け止めているのである。日本がやはり突出して変な国だと思えば、別に何事もどうということではないのである。


21-11-2014 / Friday

_ 帰国して最初の週末、子どものご機嫌取りのためホテルのプールへ泳ぎに行った。子どもはこのホテルのプールが好きなので、なかなかプールから出たがらない。たまたま宿泊費も安いプロモーション期間中だったので、部屋も予約していた。安いけれど、古きよきホテルなので、浴室にはバスタブが据えられている。子どもをなんとか宥めて、部屋に戻ってすぐ入浴。子どもは上機嫌で、また来週も泊まりに来ようという。日本恋しい、帰りたいという言葉も、もう忘れてしまったかのよう。お風呂から上がると疲れたのか、もうご飯も食べたくない、このまま寝るという。外に簡単な食事を買いに行くけど一緒に行かないのときくと、ずっと部屋で待っていたいという。よほどに疲れている模様。大急ぎで渡井だけ外出してフルーツサラダとフルーツスムージー、思いついてカップヌードルみたいなものを買って戻る。子ども、スムージーを飲んだら、疲れてしまったのかすぐに寝てしまった。

翌朝、朝からプールに泳ぎに行くと言っていたのに、疲れたのか、朝食を食べてからにするという。テラス席に座って、庭で遊ぶ野鳥やちょうちょうなどを眺めつつ、のんびりと朝食。それからやっとプールへ。小一時間ほど泳いだら、子どもも満足したようで、部屋に戻った。ところがいざチェックアウトという段になって、子どもがまた泣き始める。曰く、おうちに帰りたくないとのこと。必死に宥め賺してタクシーに乗り込むという騒ぎがあったため、わたしはジャケットをホテルに忘れてしまった。

それから3日後、恩師が外国人の博士論文の外部副査になっているため、わたしの職場の大学へ来た。昼間から贅沢なレストランで食事を取り、そのまま子どもを迎えに行き、来るまで近くの大型モールへ。子どもは懐かしい日本人が来たというので、大はしゃぎで、先生の膝に飛び乗ったり、首に抱きついたり、背中によじ登ったり、びっくりするくらい恩師になついてしまっている。先生も満更ではないご様子で、子どもにあれこれと買ってくれる。夕食を軽く食べて、アパートの前の道路までタクシーに同乗して帰宅。走り去るタクシーのテールランプが見えなくなるまで、子どもは手を振り、やっとわたしを見上げた顔が、また涙で汚れていて、子どもを抱き上げたままで、アパートの部屋まで戻った。辛い別れ、我慢しなければいけないこと、たくさんの出来事が子どもの身に起こった。ひとつひとつとても受け入れられないと、泣きに泣いた子ども。よくがんばっているなあと思う一方、これ以上、我慢させてばかりじゃいけないと思っていたのにだ。その二日後、わたしはまた出稼ぎで首都に出てきている。子どもをもっともっと、かわいがってあげたい。甘えさせてあげたい。夕方、子どもからの電話は、張り裂けそうな子どもらしい泣き方というよりも、もっともっと悲しい、寂しい気持が一杯の声だった。そのことが、一層、辛い気持にさせるものだった。明日の夕方、子どもに会ったら、すぐに抱っこしてあげよう、そしてもう二度と手を離さないぞ。そう思ってわたしも必死に涙を堪えたのだった。でも絶対、子どものほうが辛い思いをしている。申し訳ない。


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