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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

26-11-2003 / Wednesday

_ 午前中、少し外出。往復の際に橋を一本渡るのだけど、今日は水量がとても多くて、川底が見えなかった。夏場だと、泳いでいる小さな魚が見えるほどに底が浅い川だ。週末の雨で随分と濁った色をしていた。涸れた川を見るよりかはいいなと思ったりする。

ポインセチアが店頭に並ぶ季節になっていたけど、私はどうもこの植物が苦手だ。葉ボタンに対してもよくそのように思うのだが、どこかしら「いきなり、突然」な感じがするからか。おなじ理由で、ラフレシアも好きではない。シダ類とかに対しては、あまりそのような冷淡な感情はわかない。

ただし、おなじ「いきなり、突然」でも、カカオの木に対しては、むしろ好感を抱く。どこかしら、笑えるところがあるからかもしれない。なにしろ、幹にいきなり実がついているところが、多少、ふざけているような、しかしそのみずみずしい黄緑色が、妙に「生きています」という雰囲気を醸し出しているからなのかもしれない。

_ 要するに、嘘くさい植物が好きではない、ということなのかもしれない。


26-11-2005 / Saturday

_ よれよれと、帰国。はじめてのバンコクは楽しかった。思っていたよりも、ずっと「都会」だった。BTSというモノレールが二線あった。端から端まで乗ってみた。泊まっていたプラトゥーナム市場の向かいの安宿からは、駅は遠かったのだけど、一日乗車券を買い、ビルの4階くらいの高さからのバンコク市街地を見物してみる。ごちゃごちゃと建物は建っているのだが、やはりシンガポールのように超近代的高層ビルが林立するという感じはない。もう少し、庶民的。空はかすんでいるが、広い。

友だちからの情報では、観光地として知られる種々の仏教寺院の中では、ワット・ポーだけ行けばよいでしょう、とのことであった。その理由は、マッサージ学校が併設されているのだが、おそらく、バンコクの中では一番上手なマッサージ処であるとのこと、また実際に僧侶が暮らしているし、寺子屋もあるタイの仏教の特徴でもある生活に結びついた宗教実践が見られるからというものだった。行ってみて、実際、そうだなと感じた。やはり現地に詳しい人の話は信頼できるなあ。ところで今回は「地球の歩き方」に一度ならず、数度、助けられた。ワット・ポーの入り口は、ちょっと見つけにくい感じになっている。「入り口」と大文字で書かれている訳ではないので、知らないとずんずんとお寺の周りの塀づたいに歩いてしまったりする。現在は閉鎖されている門もあったりするので、わたしのように、ガイドブックを持っているくせに、ろくに地図を確かめもせず歩き出す人物は、あれ〜?とか言いながら、歩く羽目になる。そしてそういう人物にねらいを定めて「ハロー、ミス。今日は仏教の行事で、お寺はお休みだよ、夕方、5時になったら開くよ」と寄ってくる人がいる、そしてその人は親切にもそれまでの時間つぶしができるよう、結託した悪徳宝石店なんどに連れて行くから注意!、と「歩き方」に書かれていたのである。いつもは、ガイドブックではホテル情報しかみないのだが、たまたまそこだけはどういう加減か読んでいた。果たして、わたしが入り口を見つけられず、歩いていると、一人の紳士が寄ってきて、ひじょうに上手な英語でそういってきたのであった。一応、上品な身形をしていて、英語が上手だと、なんとなく信頼してしまいそうになる盲点をついているのだろう。わたしは一瞬、あれ、読経の声も聞こえるし、お線香の香りも漂ってくるし、なによりもこれだけ観光バスが止まっているのにおかいしな…と一瞬思いつつ、なんとなくだまされそうになったところで、これが例の悪い人か…と思い当たる。穏やかなタイ人顔負けのスマイルで、「おじさん、有益な情報をどうもありがとう。もう少し、お寺の周りを歩いてから帰ることにします」と言った。それから、10歩ほど歩いたところに、入り口はあった。もちろん、お寺に休みなどない(厳密には、年に10日間くらいは、種々の宗教行事で一般公開されないことがあるらしい)。

朝、早い時間だったので、まだ観光客もそれほど多いという感じではなかったが、寝仏さまを見ている間に、ぞくぞくと欧米人、東アジア人の団体が押し寄せてきた。わたしはガイドを付けている人の後ろからついていって説明に耳を欹てたり。

チャオプラヤ川のボートの一日券も買ってしまったので、端から端まで乗る。ちなみに、「歩き方」によれば、ボートもBTSも、一日券は割高なので、考えて買うようにと書いてある。帰りの飛行機の中で、ガイドブックを読み直して知った。だめだな。でも十分に元は取れたように思う。川は生きているのだなあ。生活の川、という感じがした。

あと、旅前にリサーチを重ねて、「某国人は悪い人が多い云々」という情報ばかりが集まり、どうしたものやらと考え込んだことがあった。ふたを開けてみれば、確かに某国滞在中、総計1万円分くらいはぼられていると確信している。しかし、生活しているわけではないので相場というものがわからないのだし、値切ったり交渉したりするのは好きだけど、勝つことばかりに執着するのは余り楽しいものでもない。もし次にまた行くことがあれば、今度はもう少し、わかった上でだまされたいと思う。あとバンコクでも相当、ぼられた。あとで考えると、なんでそのときに疑問に思わなかったのか、と謎なのだけど、だまされるときはそんなものなのだろうか。

某国の首都でも第二の都市でも、一番注意を払わなければならいというタクシーやオートバイの人には、何度も助けられた。とくにインターネットで予約していた宿がオーバーブッキングで泊まられなかったとき、一緒にあちら此方を回ってくれたタクシーの人は、まったくメーター以上のものを要求しなかった上、最後に決めたゲストハウスが、本当によい場所かどうかをチェックしてくれたりもした。こういうことがあるから、旅は楽しいのだろう。

バンコクで泊まっていたホテルは、場末感漂う、ある意味、すさまじいホテルだった。小ぎれいな外観だし、マッサージ、スパ、フェイシャルとかそろっていて、西洋人もたくさんいたけれど、かれらがおしなべてタイ人美女をエスコートしていたところに、一抹の雑念を覚えたまでのこと。そういうわけで、女一人で泊まっているわたしへのサービスというものは、皆無に等しかった。とくにレセプション、極めつけに愛想が悪かった。どれくらいかというと、今日、チェックアウトするとき、冷蔵庫の飲み物飲まなかった?、いいえ、飲んでいません、そう、ならOKよ、さようなら、と言われてそれでそのお姉さんはさっさと奥に引っ込んだくらいにあっさりとしていたくらい。ベルボーイの人だけが、とても感じがよかった。朝ご飯の係の人は、わたしがまだ食べているのに、というか最後の一口のフルーツとかパンがのっかっているのに、「さげてもよろしいですか、Sir?」というのだった。Sirって、言われても。「歩き方」にも掲載されているし、場所の便利さとか諸々を考えると、確かに泊まり得のよいホテルではある。なんといっても、部屋が広くて、かびくさくないところがよかった。

食べ物は、タイ料理とむちゃくちゃに相性が悪かった。ことごとく、おいしいと心から思えず、もう少しでマクドナルドに入ってしまいそうになった。なんとか踏ん張って、フードコートでタイ・カレーを食べてみたら、辛いの辛くないのって、もうほんとに目から火が出るかと思った。あまり好きになれなかったのが残念。果物はおいしかった。

最後に。結局、東南アジア大陸部の低地は、華人の領土なのだなあ。バンコクから華人をマイナスすると、あとになにが残るのだろうか。ということをよく考えた。


26-11-2007 / Monday

_ 3日間、泣き暮らして、ちょっと元気になってから、バイクで遠出をした。テラコッタの焼き物を買いに。ちょうどよいおおきさの両手鍋があったので、重たいのをよっこらしょとバイクのハンドルに引っかけて、ゆっくりゆっくりと帰ってきた。七分搗きの玄米と白米の冷やご飯があったので、作り置きの煎り番茶で、ニセの茶粥を炊く。岩塩を少し、卵を入れて、葱を刻んで散らせてから、レンゲでゆっくりと食べた。土鍋は火から下ろしても、いつまでもぐつぐつと音を立てる。はふはふと食べながら、また少し泣き、おなかが一杯になったら、水浴びをして寝た。寝ているのか起きているのかわからないような日が何日も続いた。起きては泣き、泣いては寝て。先週の中頃から、少しずつ、状況が変わってきた。変えようと思って、自分が変わる努力をしたからなのか、そういうわたしの状況をみて、相手が変わってくれたのか。今は泣いていない。

半年ぶりに首都に出てきている。今いる場所では買えないものを、思い切って散財した。日本食の食材を買いたかったはずなのに、部屋に帰って見てみれば、紅茶とかハーブティーばかりだった。

先週の金曜日に、王家の墓所を訪れた。胸から下だけを布で覆う正装。同行の西洋人は、断固と拒否しながらも、なおかつ聖地に入りたいと、墓守に訴えた。「こんな恥ずかしい格好はできない」という。徹底的に議論で何かを変えようとする人と、えいままよ、と流されていく人がいる。泣きながらも抵抗するわけではなく、流されていくわたしのこの状況を、この西洋人に説明したら、なんと意見するだろうか。人とどんなふうに関わっていくのか、毎日、試し試されているような気がする。


26-11-2009 / Thursday

_ 明日までに日本の病院に、どこで出産するかを回答しないといけない。だのに、まだどちらとも決めかねないでいる。日本で出産することのメリット:問題はいろいろあれど、公的な援助や万が一の事故の際の補償などが一応整備されている。とくに高齢出産・逆子とくれば、なおさらそういう環境がありがたいことはわかっている。一方、デメリット:病み上がりの母に負担をかけてしまいそうなこと、夫が日本に来るに際してのもろもろの手続きの煩雑さ(本人がなんとかするだろうが。。)、お姑さんとの関係がなお悪化するだろうという確信など。。某国で出産することのメリット:衛生面などで若干の不安はあるが、とにかく人手はあるし、多少のお金を払えば何事もすべて思うように解決できる、一方、公的な援助等々は一切なし。お姑さんはもちろんよろこぶだろう→しかしこれまでの経緯もあるから、冷やかな対応がなされる可能性もなきにしもあらずではある。4月上旬に失効してしまう日本への復路チケットが残っている(まあ大したことないんですが、それでも、ねえ。。)。デメリット:数えだしたらきりがなかったりしますので、数えません。。

てな具合で、天秤にかけたら、某国で出産するのがわたしにとっては楽だったりする。えっちらおっちらと飛行機に乗るのも、乗ってしまえばあとはなんとかなるわけだから。それでもなお決めかねている理由は、周囲の某国関係者がほとんど全員、日本で産みなさいと勧めることなのである。某国の出産時における妊婦および新生児の死亡率は、日本とは比較にならないくらいに高い。そのこともあってみな心配してくれるのであろうことは承知している。だから余計に迷うのである。凸凹大学に留学している某国人の知り合いも、ほとんどが日本で出産しないの?という。さらに迷う。

結局、冷静に考えると、わたしが迷っている最大の理由は、お姑さんのこと、夫が本当にひとりで日本に来られるかということ、残りのチケットがもったいないかなということ、そして日本で生まれたということが、ミジンコさんの今後の人生にどんな影響を及ぼすのだろうか、ということに尽きるのかもしれない。あとの公的な保障がある云々は考えてももう仕方がないことで、案外とするっと安産で母子ともに健康極まりないという結果が得られるかもしれないわけでもある。ミジンコさんはどちらで産まれても成人するまでは二重国籍保持者である。行ったり来たりの根なし草になっては困るけれど、彼女がどちらの国のアイデンティティを好むのか、あるいは臨機応変に使いこなす人になるのか、あるいはもっと別の選択肢を選ぶことになるのか、わたしの方に今、そのビジョンがないから、これだけ迷うのかとも思う。生まれた場所への愛着という点を考えるにつけ、国境やら国家にとらわれない育て方をしたいものだとも考える。久方ぶりに「クレオール主義」を繙く。

本日のツッコミ(全30件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ CarlosKl [Cheers! I appreciate this. This is really interesting, Yo..]

_ RobertGire [wisconsin state health insurance [url=http://zolpidem.com..]

_ CharlesPek [wells fargo dealer services payoff [url=http://phentermin..]


26-11-2011 / Saturday

_ 子ども関連のことでもう少しだけおもしろかったことを。その後、何度も本屋に出かけては、出版文化の大躍進というかそういうのを見て、おもしろがっていました。大きく分けると、観光と子どもの二本柱。前者は、国内旅行に関する情報文化の発達で、日本のB級食文化に相当するような感じのご当地メニューを中心とした屋台やレストラン、カフェの情報を中心に据えつつ、地方文化と歴史に触れる旅をしていましょうと、安宿情報と地方交通事情を合わせて、紹介する旅本に象徴されます。この旅本が、「歩き方」を余裕で凌駕する内容を伴うものものあって、本当に関心しています。歴史旅歩き本については、小学校の歴史教科書の変化に伴うものなのかもしれません。つまり、この数年、学校教科書の中身が、昔の学研のまんがで紹介する、○△の不思議とか、秘密とか、そういうのに相当するようなものに変遷しつつあるのです。教科書でなくても、人体の不思議とか植物の不思議のような感じの科学学習シリーズは、何種類も発行されていて、中身は確かにウェブで無断で拾ってきたような不鮮明な写真を使っているものもありますが、総じてとても丁寧な作りになっています。おそらくは、中国や台湾あたりの教科書を元本として、適当にアレンジしているのでしょう。こういう教科書的科学本の3割くらいは、英語と現地語のバイリンガルで書かれています。先日、紹介した絵本については、この1年以内に刊行が始まったシリーズでは、完全バイリンガルが半分以上を占めています。英語だけというものもあります。輸入本ではなく、現地で印刷発行されているもので、英語だけというのは、小学校での英語教育が導入されて5,6年になる当地であれば、当然のことなのかなあとも思われます。小学校では英語とパソコン学習が必須科目になっていますので、本屋のデジタル教材コーナーに行くと、ほんとに目を見張るばかりのあれこれが揃えられていて、びっくりします。まんがで紹介する科学や歴史、偉人伝の中身も、アメコミ風のちょっと怖い劇画調のものもあれば、ヘタウママンガ的なもの、日本の少女マンガ的なものなど、さまざまにそろっています。ほんとによく出来ています。

そこで結局問題になってくるのは、こういうマンガを子どもに買ってやることのできる世帯と、そうでない世帯の格差的な問題、さらにはやはりこの国で長らく問題となっている公立学校の教師のクォリティの問題をどう解決するかということなのだと思います。旧制度の師範学校を卒業しただけの教師については、大学卒の資格が得られるように、特別なシステムが導入されたのが約5年前。都市部ではさすがに師範学校卒の教師はほとんどいませんが、教師であるまえに公務員であるという自覚と自尊心のほうが突出している人たちの思考を変化させるというのは、なかなか至難の業であるように思います。いろいろな小学校の視察に行きましたが、正直なところ、ナンバースクール下位校や地方学校の現場は、制御の効かない幼稚園といった感じがしました。そういうこともあったので、今、カルガモさんが通っている保育園の指導方針というのが、余計に「すごい」ものにみえたという背景があります。しかし、この手の保育園が、今、あちらこちらで新しく開園されており、そういうところに子どもを預けて、しっかりとした近代的な教育を受けさせたいと考える親世代が出てきているということは、とても重要なことです。国家の長期的で比較的ゆったりと将来を見据えた改革を、つねに刺激し続ける役割としての民間学校の教育に対する挑戦があって、今、この国の基礎が少しずつ変わろうとしているのかなと思ったりもします。しかしこういう傾向は、あくまでも私の知るところでは限られた都市部で確認されるものです。中規模地方都市ではどうなっているのか、もっとしりたいところですね。。といっても、わたしは別に研究者ではないので(笑)、無責任に適当なことを言っています。で、普通の日本人の子供らはどうしているかというと、圧倒的に日本人学校ないしは欧米系インターナショナルスクール、あるいは国内の金持ち学校(というと普通は華人学校です)に子どもを入れています。日本人学校以外は、基本的に英語教育(欧州語のところもある)なので、あとは親の考え方次第で学校を選ぶだけです。もしわたしがこの国に住むことになったとしたら、地方最下位校に子どもを入れるしかできませんので、下手に日本を離れるわけでには行かないなと思ったりしています。なんかえらく熱く教育について語ってしまいました!おしまい。


26-11-2012 / Monday

_ 時間があったので、大きな街まで出てパスポートの更新。10年と5年、好きなのは青色の表紙なので、ずっとそうしてきたのだけど、今回はどうしようかと考えて、証明写真の出来がよければ10年、悪ければ5年と決めた。で、節約して普通の証明写真ボックスで撮影したら、結果としては5年を申請することになった。写真のできばえといっても、あくまでも当社比の主観。でも、青色の方が好きなんですよ!

雨が降っていたのだけど、久しぶりのゆったり時間だったので、3つほど手前で降りて、雨の中を歩いた。そんなのも久しぶり。銀杏の葉がすっかり黄色になっていて、桜はもう落葉していて、短い秋があっという間に終わって、もうすっかり冬支度の街になっていた。

雨の日独特の乗り物の中の匂いが眠気を誘った。引っ越しの荷物の箱から見つけた古い古いイタリアのペンネを茹でて、これもとっくの昔に賞味期限が切れていたトマトソースを絡めて食べた。いつの時代にタイムスリップしたいだろうか。過去よりも断然未来へ行ってみたい。今よりも少しでも幸せになっているのだとすれば、今をもっと元気に乗り切ることができそうに思うからだ。


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