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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

20-12-2003 / Saturday

_ ぼんやり。

昨日は北極か南極にいるみたいに、強風が一日中吹き荒れた。雪がちらついた。今朝も寒い朝だったな。

思いがけない知らせで処理しないといけない仕事が舞い込んできて、分刻みで動く。今朝、ようやく最後の書類を出したと思ったら添付し忘れのリアクションが直ぐに来て、それで一気に気が抜けてしまった。チケットは発券を月曜日にしていたので、なんとか罰金は払わなくて済んだ。たぶん、1月後半の出発になるようなかんじ。お稽古を2回休みという予定で最大何日間いられるかというスケジューリングは、私のようなつねにアクロバット的生活を送っている者にはおちゃのこさいさいと思われがちなのだけど、実はものすごく苦手。たとえそれが日付であっても数字がつくともうだめなのだ。

_ 今もまだ大きなポカをしているのではないか、誰も気がついていないだけで…と一抹の不安が過ぎる。。。

風気味で喉ががらがら。ああー。失敗があるのなら、早く教えて欲しいものです。。。あとになればなるほど、気がつかなかった自分がイヤになる度合いが高くなるし。


20-12-2005 / Tuesday

_ 地方から帰ってきた。訪問中、あまりにも調子が悪かったので、いつも携行しているボディショップのピロウミストをハンドタオルに湿して、鼻に当てていたら、今度は気持ちが悪くなってしまった。頭も重たいし、全体的に調子が悪いので、とりあえず、虫下しを飲んでおいた。。効くかどうかは不明。顕著な発熱とか悪寒はないので、多分、疲れているのだろうと思う。厄介な会計上の問題が発生していて、それの後片付けでずっと元留学生とやりとりしているのだけど、人を信じる力って、結構、限界があるなあと思う。99%くらいまでは信じているのだけど、どうにもならない1%があるというところが、現実なのだろうか。

あと食べたいものがないのも痛い。食べ物に髪の毛とかが入っているのって、もうすっかりなれているので、適当に我慢しているのだけど、今日は、おなべの上で髪でも梳いたのかとおもうくらいの毛髪が入っていて、もうすっかり気分が萎えてしまった。中だるみというのはかならずあるものだけど、今回は、なんだかそのタイミングが早い。。国内線がよく落ちているそうだけど、その理由が原油価格の高騰に対応するため、水で薄めているからだという話を聞く。怖いという気持ちよりも、もうなにもかもギャンブルだなあと思う。

気持ちを取り戻すために、ボディショップで脚用マッサージジェルを奮発した。ほんとはそんなのよりも、お湯のお風呂に入りたい。こういう里心みたいなのがつくときは休むに限るとわかっているので、明日もまだローテンションだったら、高級ホテルに泊まりに行こうかと思う。高級ホテルでもお湯が出ないことが多いので、これもまたギャンブルなんだけど。

テレビで韓流ドラマを見ている。結構おもしろいですね。


20-12-2011 / Tuesday

_ あと10日ほどで帰国する。今回の滞在ではいろいろいままで気がつかなかったことを山ほど見聞きしたり、たくさんの人と関わって、ああーやっぱり、この地域の人々と自分の間には、少なくとも3枚くらいはカーテンないしは緞帳のような帳が下りているんだよなあ、、とつくづく思ったりした。近所づきあいとかそういう社会関係が濃密なところであるという研究者の人の論文を山ほど読んできたから、さぞかし、濃密なんだろうなあと覚悟していたのだけど、全然違っていたという感じがしている。濃密というのは、濃疎?いや劇淡というのか劇薄というのか、そういうのと紙一重、いや、そのものなんじゃないかとさせ思われてくる。ようは、立ち位置というやつなのだろうなと思った。一見、社会の内部に入り込みつつも、透明人間を装う研究者の時には絶対にわからなかったようなことが今、これでもかこれでもかと前に沸き上がってきている。誰かのこと、よその社会のことをわかるということは、ことほどさように一筋縄ではいかんのだなあということが、ようやくわかったということなのだろう。無知の知ということば正鵠を射てるとはいえないかもしれないけれど、今、わたしが感じているのはそのことばかりである。

_ ところで、そのほかこの国全体にのことなのか局所的なことなのかはわからないけれど、目新しい潮流となるキーワードは、今更かもしれないけれど、「エコ」である。もっとも、これはどの国でもきっとそうだと思うのだが、「エコ」に敏感になる余裕がある中間層の間ではやっているということである。そういう層が、着実に形成されているということである。健康志向と合わせて、大学街であるこの街のあちこちで、オーガニック素材を使っていることを打ち出したレストランやカフェが雨後の竹の子のように毎日どこかでオープンしている。食材のみならず、建物の建材もオーガニックを謳っているところもあったりして、微笑ましかったりもする。発端は、おそらくは、欧米ツーリスト向けのエコとベジタリアンをメインキャッチセールスにおいたカフェの誕生なのだと思う。有機栽培の新鮮野菜を使ったベジタリアンサンドウィッチやパスタやビザが、いつの間にか、ツーリストと関わりを持つようになった若い人たちの間に取り込まれるようになり、もっと低価格で学生街でも食べられるようになっていった。そうこうするうちに、マーケティング的に、エコを全面に売り出せば必ず売れると言うことがわかってきた人たちがいたのだろう。全国チェーンや外資系のスーパーでは、大きなショッピングバッグをエコバッグとしてレジ近くに常備し、エコバッグを使えばポイントシールをくれるところもあった。。。つまり、こういう邪魔くさい習慣は根付かなかったということ。エコバッグは不織布製で、荷物を運ぶのにとても便利で経済的と言うこともあって、もっぱら中央市場に買い出しに行く人が使っていたりします。

ベジタリアンレストランは、今ならば、どこでも既存の一般食堂の値段とほとんどかわらない値段で、料理を提供するようになっている。契約農家で栽培している新鮮な野菜類のほか、グルテン素材の肉や魚を模した料理。真っ赤に着色されたチャーシューみたいなのもあったりするので、これはもしかして、この仕掛け人は華人系の人じゃないかななんて思って、豆腐料理を頬張っていたら、どんぴしゃりでした。なぜわかったかというと、この店のロゴはそのまま、店名やキャッチフレーズを漢字で書いたブルゾンを着た人が入ってきたのだった。そこには紛れもない「素」の文字がある。「素」といえば、この看板を出しているお店は、中国では回教の人たちのためのベジタリアンレストランであることが多い。回教がターゲットなのではなくて、食材に肉類を使っていないと言うことである。チャイナタウンだったらばいざ知らず、町中で漢字でそのような看板を出しても、「おしゃれ」ではないから、全部英語のキャッチフレーズにしたのだろう。

そんな感じで、いろいろ全体に、変わりつつありますなあ、、ということをあちらこちらで確認している。日本だったら、1円玉に相当するような小額硬貨があたかも存在するかのように、498円とか、1016円とか付けられていた値段も、釣り銭を半ば強制的に何かの財団に寄付するように言われたり、あめ玉で支払われたりするのが、わたしはとてもいやだった。けちんぼだからではない。なにか、お金を出して買うという行為をとても馬鹿にしているとでもいうような、変なにおいがしていたからだった。それもこの頃はなくなってきた。たとえば、下三桁が350円だったする。実際には50円硬貨はもう流通していないから、お客さんの心理について熟知している大型スーパーは、下二桁を切り捨てして計算してくれる。60円以上の場合は切り上げになることが多いけれど、あめ玉なんかを出してきたり、もっともらしい顔つきで○×財団への支援にご寄付をなんてこともいいださないから、かえって出口のところにある募金箱に細かいお金を入れて帰ったりする人も多くなる。全体的に、昔のように、はあ〜?とか、なんちゅうーことを!なんて怒ったりあきれたりすることが少なくなったような気がする。別にわたしが某国に完全に慣れたということではなくて、某国の方が変化してきたということである。それを「成熟」と呼ぼうと思えば、そうできるのかもしれない。でも、そんな上から目線で(って、今更ですが)なく、普通になにかの全体的な大きな変化なのではないかなと思ったりしています。おしまい。


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