_ 大概の本は、それを何処で買ったか覚えている。武田百合子の名前を知ったのはマリ・クレールで。あまりにも独特の日記だったので、すぐに記憶したのだと思う。ちょうど『砂の器』を映画館で見るという記述のある『日日雑記』。ほどなく、『富士日記』を読んだ。お正月中、繰り返し読んでいたようだから、年末頃だったのか。その頃は大きな街でウェイトレスのアルバイトをしていて、週末はたいてい9時頃に仕事が上がった。電車に乗る前に必ず、ソニープラザと紀伊國屋を覗いて帰ることにしていた(ソニプラって、そんな時間でも開いていたっけか)。『富士日記』は上・中・下と並んでいて、こういう時のつねで、中巻を手にとってぱらぱらとめくった。表紙見返しの著者近影を見る。私の好きなタイプのかわいらしい大人の女性が写っていた。その日は中巻を買い、翌週には下巻、最後に読んだのが上巻だった。
_ 河出のムックの中で、飼い犬だった犬のポコが死んでしまう場面は、飼い主の花さんが「『富士日記』のポコが死ぬ場面は読めない」と書いているのを読んだ。あの場面は飼い主でさえ、まともには読めないのだ。私は今までに自分が飼ったことのあるいろいろな動物の最期を思い出してしまって、やはり読めない。いろいろな人の武田百合子さんを語る文章が書かれていたけども、個人的には埴谷雄高のものが一番好きだ。淡々としたおかしみがちゃんと伝わってくる。(花さんは泰淳・百合子の娘さん;木村伊平衛賞受賞写真家)。
_ 日記文学とか手紙文学がわりと好きなのだが、白眉は『富士日記』と『あしながおじさん』だなと思う。