_ 先週読んでいた本の中に、「本当によく訓練された従僕はノックなどしたりしない」ということが書かれていた。ドアをノックして、「お食事の用意ができました」などとは言わないということなのだろうか。去年から断続的に、侍女とか従僕とか客間女中とかの出てくる本を読んでいるのだが、かれらがいったいどんなふうに仕事をしていたのか、とても知りたいこの頃です。『エマ』というマンガがあるようですが、これはジェーン・オースティンの『エマ』なのだろうか?
_ 学部生の頃、さぼられる講義はすべてさぼり、映画を観るかアルバイトばかりしていた。テスト勉強もほとんどしなかった。単位を落としたことはなかったが、成績はとても悪かった。その中で、唯一、全回出席した講義があった。専門科目ではあったが、直接の私の専攻に関係するものではなく、周辺領域の科目も選択しないといけなかったので、登録した講義であった。担当教官は客員教授で、のちにこの分野では先駆的な研究を切り開いた人だったことを知るようになるが、当時はそんなこと知るよしもなかった。
_ なにがそんなに私を引きつけたのか。今もわからない。その先生の講義を受講する機会があったことを人に話すだけで、それは貴重な経験でしたね、とうらやましがられる。当時、その先生はすでに退官されていたから、私の世代でおなじ経験をした人はほとんどいないと思う。そして私自身、とても自慢げにその経験を話していると思う。今や専攻を変えて、唯一、全回出席したその講義を専門分野として、学校で教えたりしているのである。その私が学生さんの出席を細かくチェックしているのが、なんとも矛盾しているのだけど、まあいろいろ考えてのことなので、許してくださいね(と、なぜかここで謝っています)。
こないだ見たビデオで題名は忘れたのですが、貴族階級とその侍女やら従僕やらの
数日を映画にしたものがありました。
狩りをするために招待された客たちとそのお付きの者たちが同じ屋敷で過ごす、二重構造のような生活の話。
面白いと思ったのが、侍女従僕は自分の名前で呼んでもらえず、主人の名前で
「ミスター〇〇」と呼ばれるのです。へぇと思いました。
個人の名前で呼ばれないというのは、ちょっとびっくりですね。
ドアをノックする習慣って、いつ頃から「当たり前のように」思われてきたのか、
ちょっと関心を持っています。
日本だと廊下がきしんだり、障子や襖の向こうに気配が感じられるからわかりそうですが、
ノックしないでドアを開けたら、たいへんな場面が展開しているかもしれない国では、内側の人も外側の人も緊張しそうですね。
そういえば、『日の名残』を読めばいいのかなと思ったり。
『エマ』はオースティンのとは別物のマンガです。ご主人様がメイド・オブ・オールワークスのエマに惚れ込む話です。わりと面白いですが、同じ制作の「ヴィクトリアンガイド」には微妙な間違いがあります。
ところで、雪見さんのご覧になったのは『ゴスフォード・パーク』ではないでしょうか。あれは名作だと思っております。ルノワールの『ゲームの規則』とあわせてご覧になるとより一層楽しめます。
ムラサキさん、どうもありがとうございます♪
『エマ』って、原作も読んでいないので、どんな話かそもそも知らなかったので、勉強になりました。