_ 小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店)を読む。なぜか後味悪し。いろいろ思うところはあるのだが、文学って、そんなに「解釈」されねばならぬものかね?というのが、率直な感想。解釈というよりも、むしろ、分析か。いかに私が文学を理解していないかという証左となるかもしれないが、そんなことを思いました。そういう読み物がきらいだとか、存在をみとめないとかいうことではない。この本が、あまり私の趣味ではなかったということなだけである。しかも、そもそも、小倉千加子は文学としては、『赤毛のアン』を読んでいないということなのかもしれないし。
あといろいろ思うところがあるのだけど、小倉千加子がフェミニストだということを知っているので、そういう書き方になるよな…と思ったこととか。
_ 数週間ほど前に、とてもツボにはまる日記…?なのか日誌…?なのか、とにかくそのようなものを見つけてしまい、幸いなことに過去ログがたくさんではなかったので、全部読んでしまった。内容は。これが説明しづらいのだが、どうも私にはちんぷんかんぶんの事象に関する記録なのだと思われる。日本語で書かれているのだけど、半分以上、なんのことかさっぱりわからないのであるにもかかわらず、ツボにはまっているとはどういうことなのか。個人的には、文体に引かれているのだと思っている。なかなかに素敵な文体なのである。わかる人にはわかるように書かれているであろう、その文体から垣間見える書き手の人が、ものすごく魅力的なのである。という感想を持つためには、私の方でも相当に妄想を働かせて読んでいるということが言える。なにしろ、ところどころに書かれている感想や雑感めいたことしか、私にはわからないのだから。その辛うじてわかる部分が、強烈に私に訴えかけるのである。それなのに、書いている人に妙な愛情を覚えている今日このごろです。これって、まずいことなのだろうか?
しかしまず、なんのことについて書かれているのか、がんばって「分析」してみよう!