_ お店のドアの取っ手のところに、push または pull と書かれていると、一瞬、どっちだったか…と混乱する。「押す」または「引く」とあれば大丈夫。しかしこれが、「推」と「拉」だと、どちらも「手偏」なので、ぼそぼそと(僧は敲く、月下の門)を唱える。それでああそうか、と納得する。
そんなところをずっとうろうろしていたので、トラ子女史とゆうべも近所の料理屋で夕食を終えて店を出るとき、混乱してしまい笑われた。タクシーを止めるときの手の出し方とか、発言したいときの手のあげ方とか、道ですれ違った人と目があって笑うとか、身体言語はなかなか切り替わらない。そのうち日本仕様に戻るのだが、そうなる頃にまた、身体言語の異なる場所へ行く。口から出てくる言葉よりも、そういう言語を自然に使っているときの方が、よりその場所になじんでいるような気持ちになりやすいのかもしれない。
_ 日本は暑すぎるという結論に達した夏でした。