_ 珍しい話題で書いていますが、「不思議な人が多かった」けど、みんなよい人たちだった(女源氏的:しかし繰り返すが、母集団はとても小さい)。オタク・ファッションでも、なんでも、こざっぱりとしていて普通に清潔だったら、それでなんの問題があろうかと思う。アエラはそのあたりのことをまったく書かずに、ある意味、とても無責任な記事を載せたなあと思った。これでは想定される女性像が一枚岩的にしか存在しないことになるではないか。オタク・ファッション(と敢えて書くけど)に好感を持つ人が、抹殺されているということになる。おなじ紙面の「現代の肖像」は写真家の澤田知子だった。ここでは「人がいかに見かけや肩書きに左右されるか」と書かれている。多様性を保護することは生態系の維持につながる。全員が脱オタク・ファッション主義者になったら、私の嗜好はまったく無視され、種の保全はそこで断絶してしまう。
なんの参考にもなりませんが、私が重視するポイントは服装よりも、たとえば学食でどんなメニューを選ぶか、日本酒がおいしいことを知っているか、河原でお弁当を食べることを楽しいとおもうかどうか、など。カツ丼と唐揚げ冷麺を一緒に食べるようなセンスのないことを、ときどき格好いい服装をしている人がするのを見る。私は嫌いだけど、そういうのがなんとなくマッチョで子どもっぽくてよいと思う人もいるかもしれない。私は、オタクの極北な装いの人が、麦ごはん(M)、おみそ汁、ほうれん草、お豆腐、サバの塩焼きをおいしそうに食べているのを見つけて、ちょっと斜めに座って観察する一緒に食べるのが好き。まるでオタクだ。
_ なんか明るいことでも書いておこう(笑)。
今週号のアエラの記事を読んでいて、オタク・ファッション以外の人と付き合ったことがないという事実を発見。オタク・ファッション=大学院生なんだから、不思議はないのだけど(←この見方、すでに何かおかしい…)、「全員、眼鏡をかけていた」「ほぼ全員、鉄研」「全員、スポーツは水泳」「全員、(異なる大学の)○学部×専攻」「一人を除いて、全員マック・ユーザー」という傾向から、私がターゲットとすべき人は自ずと絞られてくるはず。じゃあ、私も女オタク(最近では「非モテ女子」というそうな)なのだろうかと考えると、段々、不安になってきたけど、たぶん違うと思います。いや、モテ系でないのは事実だ。単に、学習能力が欠如しているということだと思う。いや、そうでもないな。とても小さい母集団の中には、アイドル好きとかアニメ好きは皆無(だったと思う)。文学青年もゼロ。株で大儲けした人もゼロ。でもそれぞれ、私の追随を許さない確固とした趣味を持つ人であった。なんというのか、全体的に不思議な人が多かったような気がするのも事実。。というか、アエラで提唱されている脱オタク・ファッション、私はきらいだ。そういうわけで、私は今、猛烈に『電車男』を観に行きたいのであった。観に来ているひとを、一人くらい引っかけられるかもしれないという大志を抱いて。
全然、明るい話題ではありませんでした(苦)。
「全員、鉄研」って、全員、鉄ちゃんってことですか?
鉄ちゃんって、身近にそんなにいる者なんでしょうか?
自分の周りにはなかなかいないので、
全員鉄ちゃんってすごいことだと思うのですが.....
行動鉄ちゃんというよりも、心情鉄ちゃんだったのでしょう。
時刻表のクイズとか、日本一短い路線とか、そういう方面に卓越していたような気がします。
JRとJTBの時刻表の二種類があることを知りましたですよ。