_ 燃料用の薪が足りない、と書いたけれど、下宿先の家業のひとつは化石燃料問屋である。。木を切るのは、こちらの人もいい気がしないらしく、薪が足りない、というのは一番よく使われる理由である。大体、うちの家でさえ、薪を使うのはプロパンガスが切れたときだけである。他の家は、灯油を使っている。プロパンガスがある家は、少しずつ増えてきたとはいえ、確かに灯油とか薪が一番よく使われている。これはものすごくよく使い分けられている。野菜や肉・魚の煮炊き等々、お菓子つくりなどには灯油、炊飯には薪、魚を焼くにはヤシ殻が使われる。香りがぜんぜん違う。
今日は雨が降り出す前にと、朝から市中を散策。大体、毎回、来るたびに、博物館展示に変化があるかどうかを確かめるために、一日かけてみて回るのだけど、今日は、ますます文化事業が衰退しているという事実を確認して終わった。旧宗主国がどこだったかということが、現在の文化事業のあり方に影響しているのだろうな。植民地遺制の研究をちゃんと読み比べてみたほうがよさそう。言語政策というのはどのレベルまで、現在のエリート層に影響しているんだろうか。
実は木を買った日、くさくさして昼寝でもしようと部屋に入った瞬間、ほんとうにさわやかで冷たい風が、さあーっと、部屋に吹き込んできた。こういう風が吹くとき、こちらの人は、なにかの知らせだと、よく言う。雨が降る直前で、湿度は200%な状況だったから、あれ、なんだろうと思った。一眠りして、まだ降りつづける雨の中を、傘をさして、いつも立ち寄る家に向かった。その家のお母さんが、「某さんのおかあさんが、今日の午後1時ごろ、亡くなったよ」という。亡くなった場所は、お悔やみにもいけないくらいに遠い場所。いまどきは、どんな田舎の人でも携帯電話を持っていて、ショートメッセージが届いたのだという。それがちょうどわたしが昼寝をしようとしたときだった。このお母さんの話を、その前日にしたばかりだった。植民地時代にエリート官僚の家に生まれた某さんのおかあさんは、完璧なトリリンガル教育を受けて育った。もう相当なお年だったけれど、私と話すときは、英語を使うことを好んだ。英語で話すときは主に、村の人の悪口であったのだが。。それはさておき、その人から植民地学校の話をもっときいておかないといけないなと思ったばかりだった。もうちょっと早く、いろいろなことに気がついていればよかったのだけど。。
それで博物館に行ったときに私が一番幻滅したことは、古いレンガの積み方を確認しようと敷地内の塀際に近寄ったら、ずらーりと人の排泄物が並んでいたこと。これで法外な外国人入場料を取られていたら、憤慨の度合いも高まったであろうが、今日は現地人に間違われたので、8円くらいしか払っていなかった。なので、とりあえず、むっとしておくだけで我慢した。