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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

27-01-2006 / Friday [長年日記]

_ 帰ってきた。

おとといは暴風雨のため、国際線に乗り継ぎできず、寂れたリゾート地のホテルに監禁された。暴風雨なのでどこにも行けず、NHKが観られたので、ホリエモン事件のことをようやく掴めたり。自分の独り言以外の日本語を聞くのが、なんとなく気恥ずかしかった。実際には三四郎大学の人と話すこともあったし、いろいろなNGOとか国際機関の人と日本語とか英語ではなす事もあったのだけど、NHKの人の日本語とか英語は、なんとなく安心感がありますね。気のせいかもしれないけれど。言っていることが全部わかるって、なんとすばらしいのだと思った。国際線に乗り継げなかった外国人5人のうち、某国語が話せるのはわたしだけだった。英語でやりとりすればいいじゃんかと思われるかもしれないけれど、どっこい、こちらの人と英語で話すのは、かなり危険である。2メートル近い大男と大女の欧州人に「おまえが交渉しろ」と迫られ、また「通訳しろ」とひじょうににこやかに脅され、東洋人は東洋人同士・・・のような感じで、相当のホテルに泊めてもらい、代替便の調整を直ちにおこなってくれと交渉した。自分の外国語能力の限界を知る。ネゴシエート用の語彙が少ない。せっぱ詰まりながら、帰国便の搭乗予約が白紙にされてしまっていた自分の帰国便をまず復活させてから、欧州人の方々の便の予約復活交渉をした。しかし大体、こういうの遅延した便の航空会社の職員がやるものなのに。着いたのが午後9時で、全部終わったのが午後11時半。よしよしという感じでホテルの部屋に入ったらなんとものすごいスウィートルームを割り振ってもらっていた。お湯の張れるお風呂がある!きゃー、と小さく叫びながら大急ぎでお湯を入れて、泡風呂にしてお湯に浸かれば、天井からごきかぶりさんが降ってきた。かなり絶叫する。別にそんなに嫌いじゃないのだけど、ちょっと不意をつかれたのであった。

その他いろいろ。

朝方帰国して、一服してからすぐに大学。夕方まで報告と詰め。大ボスのあまりの七色変化に思わず、注進申し上げてしまった。こういうのが自分を追い込む。くたくたになって仕事場を引き上げて、まずは2ヶ月間の留守の間の出版事情を知るべく本屋へ急行。そして、ブックファーストの閉店することを知る。もう感傷的なことはなにも書くまい。最初はきらいな本屋であったが、いつのまにかひいきの本屋になっていた。もうあと数日なんだね。映画館も閉館なんだね。この映画館でデートした人とは全部、別れている。鬼門が減るとみるのかなんというのか。。潜在的なアルバイト先のひとつが消えるという心許なさとか、そんなのにうちひしがれて街をあるけば、角のパン屋も閉店している。世の中の変化の速度についていけない。

帰国便の乗り継ぎ時間が数十時間あったので、元留学生でプチ同窓会。しゃべりにしゃべった。それでみんなでラオスに旅行することが決まった。。なぜラオスなのか?誰も覚えていない。なぜならばそこには40度のアルコールがあり、しゃべりにしゃべったあとには空瓶が転がっていたのである。わたしはそのままイミグレションを通り抜け、一人は子どもを迎えに保育園に向かい、一人はお葬式に出かけた。すべては謎。われわれは一体、なにを話していたのだろうか。スケジュール帳には、ただラオスとだけある。みんなもういい年なんだけど、すぐに学生に戻れるところが、なんだか楽しかったのだろうな。よい気持ちで飛行機に乗ったものの、あまりの気持ち悪さにほとんど眠れなかった。こうして旅は終わりました。


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