_ お昼休みを利用して、自転車で走る。途中でお弁当を遣った。ベンチに腰掛けておにぎりを食べて温かい日差しを浴びているうちに、うとうととなりかけた。誘惑を振り切り、えいやと自転車にまたがり、思い切ってひた走る。北山通で川縁を離れて、東へ。ひさびさに北山のブティックなどを横目に府立大の前の道を疾走。ここはよい道!車は少ないし、道は広いし。思いっきりスピードを出しても、全然、足も何も疲れない。5速で名神を走っているときの無重力感に近い。これはあぶないなあ。一定の速度以上を出したら、警告音が鳴るような仕掛けはないものか。本下宿に寄る予定だったので、北大路に出たところで北白川へ。研究室に戻る前に、書籍部でトーマス・マン。今年一年は、新刊図書を読まないことに決めたのである。西洋および日本の古典文学イヤー。トーマス・マンは古典作家かいな?という疑問はとりあえず無視して、『ブッデンブローク家の人びと』。重厚長大名作文学路線の扉を開けました。
研究室に戻って、打ち合わせ。話は横道にそれて、インターネットで日記なんぞ書くやつの気が知れん云々、という話で盛り上がっている。適当に相づちを打つが、インターネット・リテラシーがなさ過ぎるのもまた困ることよな、などということも一言も言わないし、思ったりもしない。自転車を買うに当たり、インターネットも活用したが、自転車屋にも電話をかけたりして、いろいろと情報を収集もした。普通のリサーチとおなじだ。日記書いて、適当に憂さを晴らしたり、ささやかな交流を楽しんだりしているが、こんなことは別に特別でもなんでもないことである。携帯電話を持とうが持たないでいようが、わたしという人間が本質的に変化することもないわけだし、日記を書いているからといって、自己顕示欲が異様に強いわけでもないし、露出狂なわけでもない。そういうような角度から一言、意見を言ってもよかったのかも知れないが、他人に言われて納得するくらいであれば、そもそもそんな偏見的思いこみをどうどうと述べたりすることもないわけである。百聞は一見にしかずということは、経験によってこそ真に理解されるのだから、機が熟せば、今、インターネットに日記を書いている人のことを(まったく理解できんね、なんだありゃ)とか言う人だって、違う意見を持つかも知れないしね。そんなことよりも、なんで今、自転車なのですか?自転車はあなたにとってどんな意味があるのですか?と聞かれたことに対して、なんだか曖昧に適当なことしか答えられなかったわたしのことが心配だ。なんで自転車なのですか?答えはあるようでないようで。。