_ 今できることと、もう少し先の時点を見据えてできることと、いろいろな次元で関わることができるのだから。そういう長期的視点とか展望のないところに、表面的な関心に過ぎないのではないかというようなものを感じたのかもしれないなあ。ボランティアでも出したほうがいいと思ったのは、今すぐ、現場へ乗り込むということではない。神戸、インド洋、イラン、トルコ。過去の経験をつなぐような情報収集の経路がないと、インターネットなど、ただの百科事典でおわっちゃうよなあ。「今」もだいじなのだけど、「今」が過去と未来の間にあるということは、大きなできごとが起こってしまうと、忘れられがちになる。つねづね思うことでもあるのだが、動詞に時制がないことばを話す人たちにとっての時間認識と、時制にしばられまくりの人々のそれとは、どういう点で共通項があって、どういう点で異なるのだろうか。こういう違いとかって、なにかを考えたり、具体的な行動を起こすときに、どれくらいその結果に違いを生じさせるのだろうか。もっとも、おなじ言語を使用する間柄であっても、日常生活の中での時間のとらえ方は個体間では異なるのだからなあ。先行研究はたくさんありそうで、ないかもしらん。もっともわたしが思うくらいなのだから、どうでもよいことだとも思う。
こういうとき、定点観測派と、Extensive情報収集派とで、ものごとのとらえ方が若干、ことなるような気もしている。こんな分類、まったく意味はないけれど、自分の半径5メートルの世界では、結構、如実。わたしは2004年のときに、たまたまインド洋にいたので、余計に自分がどう関わるかという問題に敏感になりすぎているのかもしれないね。ちょっとクールダウンする必要はありそう。
_ 6月1日、水曜日!3ヶ月の休暇が始まる! --dedicated to Louisa May Alcott.
正義先生@飛ぶ教室じゃあるまいに、もうやっぱりダメだしする。で、帰ってきた返信にさらにむかーっとしたので、もうそこで終わっておいた。いや、なんというのかもう、とりあえず絶句した。頭冷やしてもういっぺん明日、どうしたらおかしな点に気づいてもらえるように説明できるか、トライしてみよう。