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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

27-10-2006 / Friday [長年日記]

_ 朝は三時に起きて書類を書いていて、夕方、毒でも盛られたかのように眠くなったので、さっさと帰るつもりが、思いついてジュンク堂に寄り、散財。さらには高島屋でハンカチを4枚も買って、気が遠くなった。なぜ今、ハンカチなのだ。家に帰ったら9時だった。すれ違った人がみんなわたしをじっと見るので、社会の窓でも開いているのかと思ったら、開いていました。誰も教えてくれないのだね。

_ 地理が嫌いだったので、日本史と世界史を両方、選択していた。高三のときは、週に6コマも世界史を取っていた。うち2コマは選択科目の近現代史。といっても、先生はローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトに心酔していた人だったので、ほとんど20世紀のドイツと東欧の話ばかりであったような気がする。理科も、高一のときは、生物と地学、高二のときは物理と化学と、全部取った。文系理系にかかわらず、理科は全員が必須科目として全部を選択しないといけない学校だった。公立高校だったけど、全員が新聞部みたいに、なにか一言書きたいとか言いたい学生ばかりのだった。学年末の文集に掲載されるメンツは、意外にも体育会系の人が多かったりした。わたしは一年と三年の時にメンバーに名を連ねた。数学、英語、国語にさほど集中することなく、他の科目もまた集中できた幸せな時代だったということもあるが、受験に関係しない科目の先生が、おもしろい人ばかりだったということもあったかもしれない。とくに理科系、社会系、そして漢文と古文の先生は、今思えば、大学教育並みのプロフェッショナルな先生が多かったように思う。旧制の女学校だったからかもしれないけれど、女先生はほとんどが卒業生であった。もうとっくに退官されたような品のよいおばあさん先生がたくさんおられた。びしばしと身だしなみと素行を注意されることが多かったが、「それは美しくない」とか「品がない」とか、「あらそれはすてきね」という会話がほとんどであった。階段の踊り場には、身だしなみチェック用の姿見が据えられていた。ほこりっぽい空気の中で、日光がきらきらと窓から差し込み、踊り場を通り過ぎるときに、自分の姿をちらりと横目で見ながら、大人になったような気がする。進学校ではあったが、みんなのんびりとしていて、職員室の新聞は赤旗と朝日新聞だった。もちろん、今は、国旗が掲揚されており、国歌斉唱もされていることだろう。学校の建物も替わり、女学校を卒業した女先生ももういなくなった。わたしは小さなピアノ室に忍び込んで、ときどき、ぼんやりしていた。学校を全面的に信頼していたというわけではないが、学校はその頃、わたしにとっては社会だったような気がする。その記憶が濃厚にあるから、いまでも学校幻想が強い人間なのかもしれない。といっても、大学とか大学院に対する幻想は、ほとんど持たなかった。高校時代がすべてであったと思うほどに、楽しかったからである。大学へ行くための過渡的期間みたいな高校の有り様だと、ここで教養を学ぶということは難しいのかもしれない。高卒で就職する人は、一桁の前半台しかいなかったけれど、問題意識の高い人たちばかりだったような気がする。なんだか懐かしい。出身高校に対して、そういう思い出を持たない人が多く出そうなこの頃、それは不幸なことだなあと思う。


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