_ なんかしらんがいつの間にか某国へ電話などかけていたりする。相手の声はばかでかく聞こえるのに、わたしの声が小さいと言われる。声が小さいと言われると、なぜか全人格否定されたようにどきっとしてしまうのは、幼少の頃からの人見知りの激しさ故のことかなとか。幼稚園の時から今日に至るまで、誰になんと言われようと、引っ込み思案で人見知り街道を走ってきたので、わかっちゃいるのだが、もっと大きな声で話せといわれると、がーんとショックを受ける。この人が語学教師だからというのもあるのだろうか。滑舌の悪い舌足らずな話し方しかできないので、今でも、「おかあさんいる?いたら代わってくれる?」などと、電話勧誘員に言われるものな。まあええですけど。
_ フィードバック返ってきて、はは。絶望の極み。欲が深いとも言われる。あはは。
_ 素麺ばかり食べ続ける。鯖寿司もちょっと。ばあちゃんのちらし寿司は甘みの強い酢飯で、ちりめんじゃこが入っていた。凸凹の古い町家に共通する土間と床下の埃の匂い。裏庭の苔生した流し場の冷たい井戸水とか、素麺食べながら思い出す。申請書、このまま出してもいいかなという気がするけど、まあがんばる。がんばってみる。
_ 某申請書のたたき台をあちこちにばらまく。かなりとほほな内容なので、本人の満足度とは裏腹に、読む者を困惑させる書類である。正味半日で書いたものであるため、勢いだけはある。中身はない。
_ 院生3年目あたりから、いろいろな助成金や研究奨励金をもらえるようになって、長年の夢だった、本屋で好きな本を好きなだけ買うことを実現できるようになった。そうやって買い集めた本の半分以上は、まだ読んでいない。勉強の本だから。いつか役に立つと思っていたから、後ろめたい気持ちはなかった。長じて、なんのお金もなくなり、給料はないけれど、研究調査費だけはなんとか自力で当てられるようになったものの、往事の勢いで本を買うということはできなくなってしまった。長らく、学術書など買っていない。
昔の本棚を眺めていたら、思わぬ感慨に浸ってしまった。そのときのわたしは、今現在のわたしの関心を予見していたのだろうか。本来の自分の調査対象ではなかったはずのタイトルが、ずらりと並んでいた。いまならば、とても買うことができなかったであろう(高価かつ絶版)になっている本がある。当時のわたしが一体、なぜこれらの本を蒐集していたのか、今となってはわからないが、不思議なことだなと思った。おかげで、苦労しなくても必要な文献が、手が届くところにある。無駄な買い物をしていると思わないわけでもなかったけど、こうして役立つとは思わなかった。亡くなられた恩師の蔵書もまた、その蔵書整理を担当したということもあって、膨大な貴重書・稀覯本を譲り受けてもいる。それも役に立ちそうな気配を見せていて、いろいろなところで、すべてのものがつながっていく不思議のようなものを感じている。