_ 首が長い女の人って、きれいに見えるなあ。わたしは猪首ではないけれど、猫背気味なので、首が短く見える。。もう10年くらい前に、美容室のお姉さんに、「あなたは首が長いし、足の甲も高い(甲高ではあるが、幅広・扁平ではない)から、きれいになろうとする努力次第よ」と、いささか唐突気味に言われたことがあった。美容室は、市内には、あちらこちらに支店を持つが、どちらかというと堅実な奥様、もしくはおばはんをターゲットとしたところであった。わたしは、ただ家から近いというだけで、そこに通っていただけだった。そのお姉さんは、その美容室のほかの美容師さんたちに比べると、少々、垢抜けしていて、無駄話をしない人であった。だから、お姉さんの助言は、もしかしたら、わたしの受け止め方次第では、啓示というのか、ものすごく意味のあることばだったのかもしれない。しかしながら、当時のわたしは、人のことばは270度くらいにひねって受け止めるのが好きであった。だから、うれし恥ずかし思いつつ、でも恥ずかしさを出すこともせずに、ふん、という感じで聞き流したのだった。
今、某国で毎日、強烈に忙しいけれど、健康に堅実に規則正しく過ごしている。もちろん、精神の静寂は未だ訪れず、いつも動揺しているかおっっかなびっくりか、はったりかましたれー、という毎日でもある。それでも他人から見ると、随分と変わったらしい。やせこそしないけれど、毎日のヨガもどきの体操と菜食主義(でも昨日は、羊とサカナを食ったが)のおかげで、健康そうに見えるらしい。健康というのは、「太っている」の隠語としてこちらでは使われている。なのでまだ太いわけだが、髪型が大きく変わったので、受ける印象が違うらしい。つい3ヶ月前に初めて会ったような人が、久しぶりに会うと、まあ、あなた雰囲気が全然かわりましたね、、などという。幸せというのからはほど遠い逆境にあるけれど、それなりに安定しているということなのだろうか。毎日、一度は、辛いことがあって、泣くことも多い。しかしそれでもどこか相変わらずのどんぶり勘定人生のおかげで、なんとか均衡が取れていると言うことなのだろうか。人に言われるほど、幸せではない。それにもかかわらず、暮らしていける。それこそが幸せということなのだろうか。よくわからないけど、今は、バイクで思い切り飛ばして、気に入った風景があれば、そこで止めてお絵描きをするのが楽しい。小さな幸せだ。確かかどうかはわからないから、小確幸とはいわないけどね。