_ 大晦日の朝、大学でメールを開けてたところ、母入院という知らせ。頭が真っ白になる。帰国以来、毎朝、母に電話していたのが、この日の朝に限って母が出ないものだから少し気にしてはいたものの、また後でかけなおそうくらいに思っていたからだ。あまり覚えていないのだが、とにかく一番そばにいた友人の席に駆け寄って、泣き出したのだと思う。冷静になれと、冷たい水を運んできてくれた。とりあえず、この連絡をくれた弟に電話。電話ではなくメールでの連絡であったことから、今なら判断がつくのだが、危篤とかそういうことではなかった模様。しかしながら、こちらはもう頭が真っ白で、気が動転していたものだから、そしてなにより、今までの親不孝が祟って親の死に目に会えないなどということになれば、もう取り返しがつかないと思い、大慌てで帰国のチケットを探し、約2時間後には帰国の手段が確保できた。で、それからも荷造りしながらも泣き、旅券のありかが思い出せずに泣き、手当たりしだいにとにかく持って帰るものだけ手提げかばんに詰めて、迎えの車を待つ。夫になる人も駆けつけてくれ、日本人の友達が空港まで送ってくれた。呆然としながら、チェックインすると、ビジネスクラスにアップグレードしてくれた。都合3回飛行機を乗り換え。某国の空港はいつもと違って閑散としていた。伯母に電話して、容態を確認。あれ、なんか元気そう??頭真っ白なまま関空。すぐに電車に乗って、病院へ。元旦の病院なんて初めてだ。病室をのぞくと父がいる。あれ、母は起き上がって元気にしている。あれれ?
結論からいうと、出血性十二指腸潰瘍で、がんではないとのこと。下血したため貧血状態となったために、緊急入院したとのこと。絶食がつらいが、なんとか10日ほどで退院できそうだ‥とのこと。。
慌てて駆けつけなくてもよかったのかな。でも両親はわたしがこんなにすぐに帰国するとはおもってもみなかったので、喜んでいたようであった。母も、あんたはいらちやからあかんといつものように叱り付けながらも、うれしかった模様。ええ薬になったわ、と笑っていた。
わたしがこんなに早く行動を起こした理由は、前回の帰国のとき、夫になる人の写真を持って帰ってくるのを忘れたから。慌てて、泣き顔のまま、ふたりで撮った写真を、棺桶のなかにいれなあかんかもしれない、と思っては泣きつつ帰ってきたのであった。
とにかく、思いがけず、日本のお正月を楽しむと同時に、親孝行もどきもでき、まあ終わりよければすべてよしです。しかし、日ごろ元気な人が病気になると、ほんと周りの人は驚くものである。
で、帰国便を探すのとかもろもろの処理で、いやー、苦労しています(笑)。みなさま、どうぞよいお年を。今年もよろしくお願いいたします。
それにしても、まだ頭がよく回っておりませんです。。夢でも見ている気分。おみくじは、一番の大吉を引きました。いやー、しんどかった。
_ 明後日、帰国。
_ ほんとにばたばたとした年末年始だったので、年が変わったという実感がわかない。母が退院して以来、家族で川の字になって寝ている。今回もそうなのだけど、夜、目を閉じたら、朝まで一度も目が覚めない。某国だと、なかなか熟睡できないのがほんとうに不思議である。一人でないというのが原因なのだろうか。
今回の帰国に際して、飛行機の中ではきっと眠れないと思い、また心を落ち着かせねばとも思っていたので、論語を引っつかんで、飛行機に乗った。巧言令色鮮し仁のところを何度も読んで、帰国しました。戒めの言葉。もっと誠実に生きなければとか思いつつ。
滞在中は、佐野洋子ばっかり読んでいた。それからノーベル章受賞の先生たちが出演されていたNHKとか。頭の中の思考がばらばらですので、また今度ゆっくりと書きます。
_ ところで、オバマ氏の就任式をどうしてもみたかったので、わざわざそのためにホテルに泊まりに来ました。ねずみがテレビのアンテナ線とケーブルを齧ってしまってから、はや1年半。。未だにテレビなし生活をしています。友達の家に泊まりに行ってもよかったのですが、長風呂に浸かりたかったのでありました。夫になる人の家に泊まりにいくという方法もないではないのですが、先方がそうしろといってくれて、わたしもそれが便利だなと思っても、第三者の人がやはり許さなかったりします。みんなよくみているものです。ただでさえ目立つ外国人なので、気をつけています。もう道ばたで買い食いもしなくなりました。あそこの嫁は、あんなところであんなものを食っていたと、言われるのも申し訳ないので。なので今日は、ゆっくりと部屋でテレビをみたりなんかしています。夕方、自分の家でご飯も食べてきたので、あとは寝てしまわないように、気をつけるだけです。
_ 体がついて行かず、じっとしていた。暑さはどうともないのだが、なんかいろいろたまっている仕事が追っつかず。返事を書きたいメールもたくさんあるのだが、手が回らず。
ふたりで役場に出かけて、わたしと役人とでけんかしてしまった。恥ずかしい思いをさせたに違いないのに、あまりの悔しさに泣き出したらば、とても親切にしてくれた。こういうときに、そっか、夫婦って、ひとりでいやな思いをしたら、ちゃんと慰めてくれる人がいる人がいる状況なのか、と思ったり。ありがたいことであった。というか、もう役人とけんかしないようしないといかん。帰国の前の日に、古い先生や古い友人たちとだけで、小さな集まりを開いてもらった。お祝いもいただいて、夜の冷たい空気の中を歩いた。
帰りの飛行機の中で、沢木耕太郎。オリンピックの話のほう。レニ・リーフェンシュタールって、なんだか煮ても焼いても食えない人のように読める話に思えたり。ヒトラーのことを本当はどう思っているかなんて、墓場に持って行くよりない話だったのだろうと思う。
_ ラギ [おつかれさまです。 でも、親孝行できてほんとによかったですね。 お母様、安心されたことでしょう。 ・・・わたしも二..]
_ ね [ラギちゃん、ありがとうございます。退院の目処もつき、ほっとしています。式は来月15日です。また連絡しますね。]