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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

01-09-2009 / Tuesday [長年日記]

_ いろいろ準備でばたばたする。

研究上のよいアイディア(と自分ではいつも思うのです!でも違うことがほとんどだったりする)をよく思いつくのだけど、次の瞬間、きれいに忘れていることが多い。よくメモを取ればよいと人は言うのだが、いつも都合よくメモを持っているわけでもないので、わたしの場合はうまくいかない(とはいえ、ボールペンとノートのセットは、山のようにあちこちにばらまいて置いてあるんだけど、なぜか肝心な時には見当たらないものだったりする。。)でも、ほんとうに良いアイディアは、不定期に何度も頭の中を過るもののようでもある。なので、わたしでもいざというときに、ちゃんと思い出すことができて、整理できる。そういういわば収斂されたアイディアは、大切にしたいものです。。

_ いつも5時に起きて、夜8時には寝ている。なのに、いつも猛烈に眠い。

_ 二百十日。おめでとうの人がいる。


02-09-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 関連する話題とは言い難いのだけど、如月さんの話。いまどきの日本の初婚年齢からすれば、わたしも相当、晩婚に入るだろうと思う。周囲の同級生や先輩を含めても、既婚者はむしろ少数派であったりするのだが、如月さんの場合、晩婚どころか、「もう結婚しない人」「同性愛者疑惑」をかけられていたのだという。長身痩躯、穏やかで静かな人物で、どんな偶蹄類でもよいのだが、とりあえずシカに似ている。地域のリーダーでもあり、実際、いろいろな縁談が昔からいつも絶えることなく持ち込まれていたのだという。なのになぜか結婚しない、怪しい…と思われ続けて数十年という人物である。それが結婚した。いやいや、結婚はカムフラージュということもあるしね…。なお、疑われ続けたという。それが結婚後、わりとすぐに子どもができた。本人は、「やったー!これで疑惑から解放される!」と喜んだ。そうくるのか…。で、何が言いたかったかというと、いろいろな事例があるからなにかを一般化していうのではないのだが、改めて、女と男ではおなじような経験でも感じることは実に異なり、そのバリエーションもまた多様なことようのう、ということである。「なぎさ」を読んで、わたしは別に不快には思わなかったのだが、そう感じた人もまたたくさんいた模様である。いろいろだ。で、わたしが如月さんに言ったか言わなかったことは、「ほんとうに如月さんの子どもかな?と疑う人はそれでもいるかもしれへんでー」ということ(笑)。人の口に戸は立てられないのである。もちろんそんなこと疑うまでもない。

_ 夕方、いつもより早めに帰宅したので、途中で母と待ち合わせて図書館へ。午後8時まで開館している日だからか、ものすごい数の人がいる。人ごみに圧倒されて、早々と退散。帰宅して荷造りなど。

_ 重松清を最初に知ったのは、おそらく2000年頃、河童国か某国のキノクニヤ書店でだったと思う。「見張り塔からずっと」という新潮文庫のタイトルがなぜか引っかかり、すぐに手にとって見た。文庫本自体は厚いわけでもなく、それが日本の本屋であったら、すぐに買っていたことだろう。しかし如何せん、輸入コストやらが笑っちゃうくらいに上乗せされている現地価格である。そのときはその本を買う気にはなれなかったのである。どうせもうすぐ帰国するのだからと思い直して、本屋を出た。それからころりとそのことを忘れて数年、やっとその本を読んだ頃には、もう重松清は超流行作家になっていた。「見張り塔からずっと」は、結論からいうとわたしの好きな類の短編集であったのだが、なぜかそれ以降、しばらく重松清を読むことはなかった。

そして昨日、人ごみにもまれながら図書館の棚を歩いていてふと、「し」の棚で立ち止まった。主な著書は貸し出し中なのか、4冊ほどが見えるだけだった。それまでにすでに読んでいた重松本の数冊はそこには並んでおらず、初めてみるタイトルのものばかりであった。で、そのうちのひとつ、「哲也の青春・圭の青春―なぎさの媚薬2」を借りることになった。

タイトルからもなんとなく想像されるとおり、相当に官能的な描写がある。しかしこの小説は基本的に、大人のファンタジーなのだろうと思った。あの時ああすればよかったのに、という後悔、どんなに今幸せになっていても、封印しきれずいる過去を実に官能的に解決するために、なぎさという街娼が登場する。

シリーズをとおして、なぎさに救われるのは全員男性のようである(結果的にはそのことによって、後悔の棘となっていた女性もまた救われるわけではあるのだが)。だから男のために書かれた官能小説だとは思う。一方、女のほうは、こういう形で過去の棘を抜こうと思うだろうか、などとも思ったりした。あのときあの人と何事かをいたしていたら、わたしもあの人も救われたはずだ、なんて思うことがあるだろうか。

しかし、すでに「ファンタジー」と書いたように、そういうバイアスのかかったような野暮な読み方はやめて、純粋に青春小説として読むとよいのだろうと思った。きらいじゃないです。


03-09-2009 / Thursday [長年日記]

_ すぐ眠くなるし、すぐおなかがすく。もっとたくさん寝たいし、もっとたくさん食べたい!いつもおなかが減っている。


13-09-2009 / Sunday [長年日記]

_ 朝5時に起床、新聞読みながら一回目の朝ごはん、空港で食べるお弁当を作る。午前7時過ぎ、母がリムジン乗り場まで送ってくれる。手を振って、母が見えなくなってから、少し泣く。9時過ぎ、空港に着き、スーツケース受け取り、カウンターへ。すでにインターネットチェックインして座席も決めていたのだけど、妊婦だからか一番前の広い席がご用意できますとすすめてくれたので、ありがたく交換してもらう。医師の診断書を忘れていたので(というか、診断書が必要なのは確か9ヶ月目以降だのになあ)、カウンターで一筆書く。本屋で飛行機で読む本を調達して、ベンチで第二の朝食。河童航空は昼食が出てくる時間がとても遅い。本国の昼食時間に合わせているからなのだと思う。食べ過ぎると、また夕べのようにひどい目に遭うので、用心して小分けにしていろいろ食べることにしたのだった。

夕べの事件とは、出張前にどうしても母のカレーライスが食べたくて、リクエストしたところ、ついつい2皿も食べてしまったことが発端の事件。どうも体の調子がすべてにおいて変化しているのか、カレーの香辛料に反応してしまい、呼吸困難になるという想像もしなかった事態が発生したのだった。呼吸困難はすぐに収まったのだが、とにかくおなかが一杯で、医者から大丈夫と聞いていた大正漢方胃腸薬を飲んだら、また漢方に反応してしまい、夜中までたいへん苦しい思いをしたのだった。食べられるものだけを確実に食べようと思って、お弁当を作った次第。

飛行機の中では寝たり起きたり、本を読んだり雑誌を読んだりゲームをしたり、足が浮腫まないように地遠回りして洗面所に行ったり。無事に河童国に着いたので、すぐに某先輩に電話。合う時間と場所を確認。スーツケースをまた預けて、電車でダウンタウンへ。駅前のデパートでまたちょっとしたスナックを調達。機内食は半分だけ食べたので、おなかがぐーっとなる状態。ホテルにチェックインしたら、3月に来たときと同じ部屋だった。すぐにスナックを食べて、お茶を飲んでから、歩いて待ち合わせの寺院前。無事に某先輩と再会して、火鍋を食べに行く。パケット料金を払うと食べ放題飲み放題。野菜とお肉をたくさん食べた。さすがにおいしい。もうこの先輩と河童国で会うのも今日が最後。家族で新西蘭へ移住するのだ。若冲の絵を新居に飾ってもらうようにお渡しする。散々食べて飲んで、帰りにマタニティ服のお下がりをいただき、車で送ってもらう。寂しくなるなあ。

疲れていたからから、熱いお風呂に入ったら、すぐに寝てしまった。5時半に起きて、シャワー。寺院まで散歩に出かける。おみくじ。大吉。隣のヒンズー寺院にもお参り。戻ってホテルで朝食。歯磨きして荷物まとめて電車で空港。ゆっくりミルクコーヒー飲んで、チョコレート買って、また機上の人。話題の格安飛行機。席は恐ろしく狭いけど、機体は某国のナショナルフラッグのものよりも全然新しい。運転?も上手。なにしろ揺れないのでした(笑)。

ところで昨日今日と、飛行機の中でマスクをかけていたのは私一人。某国空港についたら、乗客は全員、滅菌室に連れていかれ、ここで消毒薬のミストの中を潜り抜けさせられた。インフルエンザ対策らしい。前に口蹄疫が流行ったときは、消毒液の入った浅いプールを歩かされた。それからすれば、かなり近代化されている消毒事情。それから入国手続き。荷物を無事に受け取り、外に出て、如月さんと再会。すぐタクシー拾って一旦、下宿へ。荷物まとめて、夫の実家へ。途中で晩御飯食べる。

翌日、前から企画していたとおり、村の診療所で妊婦検診を試しに受けてみる。ここは機械式の胎児の心音を聴く道具があった。。が、保健婦さんはその使い方がよくわからなかった模様で、「あれー、聞こえませんね。まだ生きていますか?」などとわたしに聞いたり。血液検査も受けた。「針は新しいですか?前の人が使ったものを使ったりしないですよね」と10回くらい確認。でも多分、針の交換はしていない模様。だって針先がすでに丸くなっており、いつまでも出血が続いたんだもの。しかるにとても痛かった。歯の検査も受ける。日本にはない検査だ。体重も量る。変化なし。上腕部の太さも測定。腕の細い人は太るようにと指導を受けるらしい。

のんびり夕方、田園地帯を散歩したりする。夜はご飯を食べに外に出たり。翌日、街に戻って、仕事開始。無事に待ち合わせの時間に先生と再会。一緒に山岳地帯へ出かける。今日はわたしにとってはトレーニングみたいなもので、ゆっくりゆっくりと山に登ってみた。息切れはするものの、体は大丈夫。ミジンコさんも時々動いた。頂上付近から少し下がったところでいろいろ。下山は違うルートを取る。今日のメインイベント終了。最近発掘された井戸を見に某所へ移動。さらに博物館ふたつ。夕方、帰宅。疲れるかなと思っていたけど、意外と元気。でも夜はちょっと興奮したからなのか、いつまでも眠れず、途切れ途切れの睡眠しか取れない。朝起きて、洗濯してから買い物。

そんなわけで、結構元気にしています。あさって、もう一度、山登り。


14-09-2009 / Monday [長年日記]

_ 母には毎日電話。格安の国際電話のかけ方でかけるものだから、大声を張り上げないと、向こうには聞こえないらしい。母たち三姉妹は昨年から宝塚観劇にはまっている。今回も、出発前にベルサイユのばらのチケットを代理購入した。このチケットを取りに行きがてら、中山寺を参詣。帰りに新装開店した阪急百貨店を冷やかした。次の宝塚観劇は、カサブランカの予定。わたしも一緒に行く。母に電話した後は必ず、今日も声を聞くことができたとセンチメンタルな気分に襲われる。そしてまた明日の朝まで、声を聞くことができるだろうかと、一日中不安がってしまう。まるで神経衰弱だ。

_ あれ、昨日書いた日記が消えているような。。なんでかな。

到着後の数日は夫の実家で過ごし、その後、街に戻って普通の生活。勝手が違うので、それほど活動的になったわけではないのだが、それでも毎日、少しずつ進めている。予定していたことのうちのひとつは、どうもうまくいきそうにない。それをどのように解決するか、思案中。夫と過ごす時間が思うように取れず、これじゃあ日本と某国とで離れているのと変わらん、と言われる。これまで一人の生活で、わがままし放題、なんでもかんでも自分中心のスケジュールで動いてきた。日本での内輪のお祝いの会のときに、恩師に、「相手あっての結婚生活、いままでと同じに振舞っていてはだめ。つねに相手のことを考えるように」といわれたのに、気がつけばいつのまにかマイペースどころか、まるで夫などいないかのように一人の生活時間を中心に過ごしている。長い独身生活を送ってきて、相手に依存しない生活はできるようになっているかもしれないが、それが過ぎてまるで結婚していないみたいになってしまうのはやはりまずい。もっと相手のことを考えるようにしなければと深く反省。今朝など、夫と電話で話したのだけど、とても暗い声で申し訳なかった。


18-09-2009 / Friday [長年日記]

_ いろいろ。いろいろ忙しくしている。自分でバイクに乗らない生活になったので、基本は歩きとタクシー。公共の乗り物は恐ろしく便数が少ない上、あまり安全ではないため、やむを得ず。妊娠以来、こちらの食べ物がまったく合わなくなってしまったため、自炊か中華ばかり食べている。中華と和食は似て非なるものだと思っていたのだけど、やはり日本人的には何がしかの出汁のようなものが効いているところが口にあうのだろうか。

夫にバイクに乗せてもらうとひやひやとして落ち着かない。日本人は教習所仕込みだから、信号の手前30メートルくらいから方向指示器を出して右折ないしは左折の意思を表示するし、ブレーキだってそれくらいからかけ始める。信号のないところで右折ないしは左折する場合だって、いったん停止は当たり前にしている(わたしは、ね)。誰もいない道であったとしても、進入禁止の一方通行の出口から入ったりはしない。右折ないしは左折のために車線変更したりどちらかに寄ったりする場合だって、かならずミラーで確認する。その上で直接目視確認するはず。しかし、こちらには教習所というものは存在しない。みな、まずは免許証を手にしてから、思い思いの方法で実践練習を積む。夫も大学生のときからバイクに乗っているというが、運転ははっきりといってへたくその部類。ブレーキのかけ方とか下手だから、いくらよいオイルを交換していて、水で薄めない本物のガソリンを入れていても、バイクがどんどん悪くなり、公害を撒き散らす元凶となっている。ガソリンがなくなるぎりぎりまでガソリンを入れないとか、そういう細かいことがわたしにはまったく理解できず、メーターで半分以下になったら、すぐに満タンにしておかないと気がすまないわたしとはつい口論になってしまうことがある。「どうしてそんなに何もかも心配するんだ」というけれど、外国に暮らす外国人としては、つねに一日半先のことを考えて毎日を過ごしているから当然のこと。外国人と暮らすと、ほんとうに日常生活の逐一がまったく異なっていることに新鮮な驚きを覚える。そしてお互い、違うということを理解して受け入れていくわけだが、夫婦間のそのプロセスと、たとえばお姑さんとの関係はまた別であったりするわけだな。

うちのお姑さんは、村でも評判の意地悪ばあさんで、自他共にそれを認めているほどである。夫が長年、独身で過ごしてきた原因の9割は、このお姑さんであるとこれもまた自他共に認めている。貴族の末裔らしいが、そういう要素が垣間見られるのは、わたしの大学の上司やら同僚やらがやってくるときだけで、それ以外は本当に厳しい人である。このお姑さんが、わたしが妊娠してまだ5週間目くらいのときに、「子どもは女の子だ」というご託宣を告げた。この時期はまだ性別どころがそれこそミジンコにしか過ぎないわけで、どちらになるかはわからない段階。なのに、もう名前まで決めて、誰彼構わず、「孫は女の子で、○×という名前」などと宣言していたのである。どちらでもよいと思っていたけれど、あまり気持ちのよいものでもなかった。昨日の検診で、お医者さんに尋ねたところ、女の子ということがわかった。一人っ子なら女の子がよいと思っていたので、うれしいと思ったけれど、これを聞いたお姑さんはそれわたしの託宣のとおりじゃろと、得意満面である。別にこのようなことで波風を立てるつもりは毛頭ないし、大体、このおばあさんはわたしと話すときはわたしがわかっていようがわかっていまいが、わたしの知らない宮中ことばでしか話してくれないのである。なので、わたしはいつもへらへら笑っているだけで、夫もそれでよいという。家族づきあの濃密な社会であるがゆえに、長男の嫁という立場は日本のそれと同じで、たいへんきわまりない。しかしお姑さんが元気なうちは、しんどいながらもまだこちらはしたがっているだけでよいから、まあいいのだけど。。 とにかくまあ、いろいろたいへんな毎日を適当にしのいでいます。で、今回はほとんど仕事で毎日大学に行っているから、風当たりも強く、夫を介して小言が次々と届けられてもいる。どういう風にするのが一番なのかはわからないけど、全部、適当に聞き流して、ときどきケーキを買って、ノー天気にかわしています。。ええんかな、これで。


25-09-2009 / Friday [長年日記]

_ とにもかくにもずっと車で移動。山を登って信じられないくらい乾燥している石灰岩大地に泉を見つけに行った。ひじょうに神聖な泉だと思っていたら、昔話に基づくいわれがあるらしく、そう古いものでもないらしい。それが今は土着信仰に加えて世界三大宗教の偶像あるいは礼拝所が同居する場所となっている。不思議な空間。牛がその泉の水で水浴をしていた。

それからまた畑の真ん中に忽然と、まるで鍬を入れたら出てきましたとばかりに無造作に捨て置かれた茶碗のかけらのような遺跡を訪れる。鳥や蛙の彫刻がある。そこだけ不思議と涼しい風が吹いていた。

そして懸念の二日がかりの行事。無事にオーガナイズすることができ、すっかりと安心したところ。いろいろ準備に翻弄されてほんとにたいへんだったのだけど、無事に終了。最後の打ち合わせに会場となる村を訪れたとき、道端にそこだけ神聖な風が吹いている場所を見つける。今日の運転手の夫に頼みちょっと寄り道してみると、やはり内部に仏像とリンガ−ヨニがある。枯山水に枯れ果てた低い丘陵の端っこ、からからに乾いた林の中なのに、涼しい風が吹いており、仏像は苔むしていた。

遺跡めぐりはなかなかに面白いものだと気がつく。いただいた丁寧な手作りの三ヶ国語の遺跡ガイドブックを頼りに、全部、制覇してみようかなとか考えた。


29-09-2009 / Tuesday [長年日記]

_ わたしは寮などに住んだことがなかったので、今、街の家として借りている下宿屋の暮らしが新鮮である。大家さんは最初からわたしにとてもよくしてくれているので、うれしいことこの上ないが、下宿屋というところは、本当に人が入れ替わり立ち代りにやってくるものなのだなあと感心もしている。大家さんの家族はもちろんのこと、新しい店子もとっかえひっかえやってくる。ほとんどが欧米人。日本人もたまに来る。今いる日本人は院生だそうで、専攻はまったく異なるが、こんなところくんだりまでやって来るような人であるから広い意味では同業者である。ときどきお昼や夕食を一緒に取るのだが、今時珍しいくらしにはっきりしない人で、会話やらなんやらが成立しにくい。大学院に入ってから、某国に関心を持つようになったそうだが、とにかく言葉はまだできない、基本的な外国事情について知らない、ないないづくしの人のようである。こちらの食堂にもまだ一人で入ることができず、ファーストフードでしのいでいるらしい。以前にも書いたことがあったと思うが、わたしにもそういう時期があった。だから、別にこの人のことを悪く思っているわけではないのだが、今時の若い人という言葉のもつ意味が、相当に広いものであると思うのは、この人とはまったく異なる若い人たちを間近で見ることもあったからなのだろう。今の若い人は、うんと若いときから海外に行くことに慣れている人も多い。だからすぐに恋人を作って、あっという間にことばも上達してしまうようなことも多い。別にこの人の中にかつてのわたしを見たわけでもないし、そういう変な同情をもったわけでもない。わたしがそんなことをする必要もなかったのだけど、やはり広い意味での同業者だと認識することで、この人を先週の某行事に誘った。「同業者」としては、やはりせっかく現地まできているのであれば、少しでもいろいろな経験をしてほしいと思うからであった。この人と同世代の凸凹大の院生が大勢いたので、若い人は若い人同士で適当に仲良くやるやろうと思ったのでもあった。その輪の中に放り込んで、わたしは後は一切知らん顔をしていたが、案外、適当に仲良くやっていたようでもあった。極度に遠慮がちで引っ込み思案で、永遠のモラトリアムと思われる時期を過ごしているだけなのだろう。またわたしのようにいつも鋭い顔でなにやら探っているようなおばはんとはあまり接触したことがないから、いつも叱られているかのごとくおどおどしているのかなとも思った。来週帰国して2ヶ月あまりで修論を書くらしいが、健筆を祈るばかりである。

下宿屋暮らしで今日までとくに不愉快なことはなかったのだけど、洗濯用のバケツを誰かに持っていかれてしまった。ここの国の人たちは、面倒なことには絶対巻き込まれたくないたちの人ばかりなので、たとえ何がしかの情報を持っていたとしても、教えてくれない。バケツひとつとはいえ、これがないと洗濯できないのですよね。。悔しい。大きなシーツやタオルケットは洗濯やに出している。するとこの洗濯やがわたしが受け取りの日に引越しをした。それで後生大事にしていたものすごく上等のシーツ、枕カバー、タオルケットが行方不明になってしまった。どうでもよいものであるといえばそうなのだけど、ちょっと悔しい。


30-09-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 例の院生の人を誘って調査旅行へ。足掛け1年にわたって様子を探り事前調査抜かりなく、準備して向かったのだが、快調な作業の途中でこの院生さんが脳貧血を起こした。聞けば朝食を抜かしてきたとのこと。そういう可能性もあるかなと朝ごはんを食べたかとたずねたのだが、そのときの回答は「食べた」とのこと。この人は下宿屋の台所やら冷蔵庫やらもようつかわんようで、ことばに偽りなく、ファーストフード、それもこちらの栄養たっぷりのものではなく、挽肉挟みパン系のファーストフードで本当にしのいでいるらしいことが確認された。なので小一時間で引き上げて、ご飯を食べに連れてゆく。が、ローカルフードは口に合わないのか明らかにのろのろと食べている。お互いにとってかわいそうな結果となった。もう他人の心配はしないこと。肝に銘じよ。

引っ越した洗濯やに連絡を取って、配達を頼む。これからも贔屓にしてくれといわれるが、突然、引っ越す洗濯やをどのように信用すればよいのやら。わたしの洗濯バケツを持っていった人の目星はついているのだが、昨日述べたように、ややこしい問題は徹底的に回避する世間な某国。たぶん、名前を書いていなかったわたしが一番悪いのだ。 


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