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  1. Wswmxvit (03-29)
  2. viagra (03-11)
  3. ね (12-20)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

01-12-2009 / Tuesday [長年日記]

_ Smashing Pampukinの「1979」という曲がセンチメンタルで、今年の初めからずっと、一日に一回、聴いている。イントロが聞こえてきた瞬間から、別によく覚えているわけでもなんでもない1979年がふっと眼前に湧いてきて、あとはずっとぼーっとして、音楽の世界に入る。1979年って、なにがあったんだろう。

先週はずっと研究会と懇親会と同窓会(笑)の繰り返しで、よほど疲れていたようで、土曜日に駅で偶然、出会った某さんから、「魚が死んでいるような眼をしている」といわれてしまった。食事のリズムも少々、崩れ気味で、こんなことではいかんのです。


03-12-2009 / Thursday [長年日記]

_ 周りに咳をしている人が多いからか、夜などわたしも咳をするようになった。が、熱は出ないし、それ以外に体調が悪いということもないので、とりあえず元気にしている。が、やらないといけないこと、考えないといけないことなどが山積み。あと、やはり将来に対する漠然とした不安を考え始めると、こんなときに子どもを生んでよいのだろうかという「本質的」な迷いがやはり襲いかかってくる。こんなときだからこそという励ましというのか、そういうことばをかけてもらうこともあれば、結婚・出産の機会をいつのまにか逸してしまった周囲からは、なにを贅沢なと言われることも多い。どうやって生きていけばよいのか、いまだに考えあぐねているような母親の元に、子が生まれようとしている。なかなか逆子から戻ってくれないことを合わせて考えると、子なりの意思表明なのだろうか。ちゃんと育ててくださいよというような。


04-12-2009 / Friday [長年日記]

_ 若い人と一緒にご飯食べたりする。エネルギーがすごいっすね。食べっぷりが違う。

_ ミジンコさんは、やはり乗り物に乗るのが好きなようで、電車のなかではものすごくばたばたと動く。おけいはんではなくて、京阪電車の女性車掌とか運転手、客室乗務員とか、トラックの運転手になりたいと思ったりするかもしれない。船長さんもいいいかな。超音波でみる限りでは女の子らしいが、男の子であってもどちらでもOK。元気におなかから飛び出してきてください。

_ 外国人を、とくに非欧米諸国から日本に招聘するというのは、なかなかに難儀でっせとは聞いていたので、別に驚いているわけではない。わたしの場合は配偶者を呼び寄せるだけのことなので、とくにハードルが高いということでもない。しかしながら、ほんの数年前までは、夫が妻を呼び寄せるのと、その逆とでは、少々、難易度が異なっていたともきく。また夫が邦人の場合と妻が邦人の場合の非欧米諸国夫婦の間の子の処遇についても、格差(というかもっと直接的にいえば、ただの差別)があった。これらはすでに一部が改善されており、わが国と某国の間での国籍条項に関しては、ひじょうによくなったと思われる。

わたしが今回帰国してからの若干1か月の間だけでも、国際結婚が破綻した夫婦間の子どもの処遇を巡る新聞記事が、朝日新聞だけでも2回掲載された。2回目は本日朝刊。日本のこれまでの慣例に従えば、母親の方に親権が託され、父親は養育費を払うという結果になることが多いらしい。諸外国でも、実際に居住するのは母方が多いようだが、親権は母親と父親の双方に与えられる国もまた多いらしい。よって日本とは違い、面会権は実に正確に行使されることが多いから、別れた夫婦が案外と近場にそれぞれの新しい生活圏を構えるということも多いようだ(「パリの女は産んでいる」中島さおり、ポプラ文庫に、フランスの事例が詳しい)。日本は少し違うかもしれない。近年、国際結婚に破綻した日本人女性が、子どもを連れて日本に帰国することで、国際児童誘拐罪に問われる事例が相次いでいるようだ。子どもにとっての両親は、もはや夫婦ではなくなっており、たがいに意思疎通を図りづらい状況下にある場合、刑事裁判の対象となってしまうようだ。

わが夫の国の場合、仮に社会的な父親がいたとしても、その子が成人し結婚するまでは生物学的父親が親権を持つと、慣例的に定められている。離婚した母親は、たとえ子どもを引き取って同居していたとしても、「社会的に」生物学的父親の代わりになることができない。生物学的父親がすでに故人である場合は、父方のオジあるいは存命していれば祖父がその替わりを務めることができる。「慣例」は民法などで定められた法律ではないのであるがなかなかに厄介でもある。あとあとまでそのことがさまざまに語られもする。こと出自と出生というなんとなく似ているけどまったく意味が異なるふたつに関して、離婚していようがしていまいが、某国の人は実にあとあとまでさまざまに語る。これは日本でもある意味同じかもしれない。ミジンコさんに関しては、わたしが「どうだ、日本生まれなんだじょー。すごいだろー」と、ポジティブ・キャンペーンを展開してあげないといけない。日本生まれの何がどうすごいのかの説明の仕方も合わせて、たくさんいろいろなことを考えてあげないといけない。日本人だから特別という説明ではなくて、どこで生まれてもみんなと同じだし、みんなと同じで「みんなとは違うところもあるねんでー」というような説明しか思い浮かばないけれど。。

日本は、なまじ陸の国境を持たない国だから、アジア諸国や欧米諸国等々に比べて、「外国」の存在がおおきい。ミジンコさんがおとなになるころには、アジア諸国もEUみたいに自由に往来できるような環境になっていればよいのだが、これはむずかしそう。EUだって苦労しているわけですし。国家=文化という方程式を崩すようなパラダイム転換とか、やっぱりなかなかにむずかしいのでしょうな。


07-12-2009 / Monday [長年日記]

_ 病院。逆子さん、まだ逆立ちしてくれず。

土曜日あたりから咳がコンコン出るようになった。のどの痛み、鼻水はなく、熱もなし。吐き気、食欲不振などもないため、また先生が過度の心配をして、「なんといっても某国帰りですからね。。なにかの菌に冒されている可能性があります」などという。

午後から大学へ行く予定としていたのだが、銀行で必要な書類をもらったり、その他、いろいろ書類手続きをしていたら、もう気力がなくなっちゃって、駅で讃岐うどんを食べて終わりにした。いやー、なんかとにかくむちゃくちゃお疲れのご様子のワタシです。

とある妊娠・出産本に、こういうことが書かれていた。たとえ、病院で生もうが助産院で生もうがどこで誰に付き添ってもらって生もうが、出産は一人でするものである。日頃の散歩も、一人で思索に耽りながら、一人の時間をしっかりと過ごす覚悟を身に着けておくようにと。わたしは今、どこに行くのも、何もするのもなにもかも一人である。大学に行っても、基本的にはずっとひとりで過ごしている。お昼もおやつも休憩も。誰とも話したくないとかそういう理由からではない。さびしくないのかと聞かれれば、それはもちろん、たまには誰かと息抜きのおしゃべりをしたいと思うことはある。しかし、何しろ周りの人はとても忙しそうにみえる。電話をかけてだらだら話すとか、ちょっと喫茶店でだらだらと過ごすとか、もうそんなことに時間を取られたくないというオーラを発散させている人が、とくにわたしの周りには多い。少し前は、わたしもそうだったかもしれない。いつも締め切りに追われているからというのを理由にする友人がいる。その人にとっては、わたしはもはや、締め切りで追われた状況を、ちょっと行息抜きにと思うような存在ではなくなっているということもあるかもしれない。とくに結婚したり、妊娠したりしてから、そういうことを感じることが増えた。逆に、親しくなった人もいる。自分の身の回りで、いろいろな人たちとの関係が微妙に変化してきている。そういうことにいちいち左右されないようにということを考えながら、一人の時間を過ごしているのかなと思う。


14-12-2009 / Monday [長年日記]

_ 思いがけず、風邪を引いてしまっておりました。5日の土曜日あたりから、乾いた咳がこんこんと出るようになっていて、あれー、おかしいなあー、などと思っていたのだけど、いつものようにうがいしてマスクしてしばらく過ごしていた。日曜日、散歩がてらにDVDを借りて家に帰って、観賞。月曜日、銀行やら病院やらで午前中がつぶれると、なぜか午後からぐったり。うどんだけ食べて帰ってきた。火曜日、いつものように大学。がしかし、お昼御飯を食べたあたりから、ぐったりなる。慌てて帰宅して、すぐに床に着いた。それから今朝まで、結局、ずっと寝ていました。発熱といっても38度くらいしかでないし、乾いた咳以外には、なんの症状もない。途中で一度、呼吸器内科で診察を受け、インフルエンザの検査もしたけれど、とくに問題はない。ただの風邪ということで、安静にといわれただけであった。処方されたのはうがい薬とトローチだけだったから、これは家にあるので間に合わせてひたすら寝ていた。横になると気道が狭まるのか、咳がこんこんと出る。が、どうしてもおなかをかばうので、わき腹やら背中やらそういうところに力を入れてしまう。それで膏薬だらけになった。一週間、ずっと寝ていたのは久しぶり。

なにも考えず、ひたすら時代劇小説を読んで、音楽を聴いて、寝ていた。「あめふりくまのこ」と「サッちゃん」が好きなので、それだけ繰り返し聴いていた。そういうわたしの状況に反して、ミジンコさんはこれでもかというくらいおなかのなかで暴れまわっていた。ひとりで一体、どんな遊びをしているのやら、見当もつかず。だけどまだ逆子のままなのです。はやいこと普通の位置にひっくり返っておくれ。


15-12-2009 / Tuesday [長年日記]

_ やっと咳が収まってきました。が、人としゃべると相変わらず、げほげほとしてしまう。しんどい。

今の政権政党、なんかどんどんおかしな方向に向かっているような気がするんだけど、大丈夫なんかいな。公約の修正とか見直しとか、たぶんそうなるやろなと思っていたことが軒並みそうなっていたりする。個人的には子ども手当は別として、高速道路の無料化などは二酸化炭素排出削減時代にわりと挑戦的な感じがしております。だから化石賞なんてもらうわけだ。あとは前政権政党時代だったからこそ守られていたのかもしれないけど、天皇制との距離感とか解釈とか。今となってみれば、米国大統領が、腰を深々と折って天皇皇后に挨拶していた姿と好対照。某O沢氏、これが前政権政党時代に別の誰かが同じことをしたとしたら、瞬時に徹底追及していたんではなかろうか。今の政権もそう長続きはしないような気がちょっとする。某地方自治体の長も、なんでまた空港を一元化することにこだわっているのだろうか。はっきり言って、わたしは一度も伊丹から海外旅行はしたことはないのだが、国内線にのるためだけにわざわざ関空まで行かないといけないのであれば、どんなに格安になったとしても、飛行機には乗らないだろうなあ。沖縄とか北海道に行くなら話は別だけど、関空ってほんとに不便だもの。しかも空港自体があまり楽しくなかったりするし。伊丹と接続させるために、大阪モノレールができたわけでもあり、これだけの都心部に空港があること自体の利というのか、そういうのをもっとポジティブに考えればよいのに。羽田だって、大都会にあるじゃないですかねえ。

_ ううっ。。ちょっと私信です。ぜぶらさんがどこに連絡してくださったかわかりません(泣)。すみませんが、nebukuroshugi[at]gmail.comに、ご連絡いただけたらうれしいです。しゅみませーん。


16-12-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 昨夕、帰宅前に洗面所へ寄った。荷物をフックにかけようと思ったところへ咳が出そうな気配があったので、少々、無理のある姿勢のまま、咳を堪えようとしたところ咳が暴発。おなかに負担が掛からぬようにと背中に無理な力が回ってしまい、そのまま脇腹を思いっきり捻ってしまった。たっぷり5分はトイレに腰掛けて悶絶、よほど救急コールを鳴らそうかと思ったががんばって立ち上がってみたところ、座っているよりかは楽だった。そろそろ歩き出してみると、なんとかなる。ここで病院に運ばれてもあとのことを考えると面倒。いつもの2倍の時間をかけてなんとか這々の体で、帰宅。いやー、この帰宅路のことはしばらく忘れることはできなさそう。。

帰宅してみれば、もう座るのも立つのも着替えるのも水を飲むのも耐え難い痛さ。なんとか床につく準備ができても、どうやって横になればよいのかわからない。毛布やら枕やらを体の両脇にあてがって、なんとか横になるも、横になると気道が狭まるからか咳が出そうになる。恐る恐る咳を出してみると、もう気を失ったほうがましというような脇腹というのか背筋の痛みに咳も引っ込む。こんなときに限って、夫の査証の件で、某国に連絡を取らないといけなくて、咳がでないように小声で話すから相手に声が届きにくくなり、これまたいつもの3倍くらいの時間をかけて話をする。高齢出産、冬の真っ最中の出産、国際結婚と、いつもながらに負のスパイラルに挫ける。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ラギ [そういえばこのページで予定日がわかったんだったわ、と数日振りに来てみたら、なんと、こんなたいへんなことになってたので..]

_  [をを、ご心配かけました〜。だいじょうぶですぅ! 深刻に書いてしまいましたけど、楽しくDVDを見て過ごしていました。 ..]


17-12-2009 / Thursday [長年日記]

_ 昨日は一日、家で養生していたので、夜にはなんとか腰のひねりの痛みも和らいでいた。今日はどうしても大学に行かないといけなかったので、お風呂にも入ったし暖かくして、寝る前には逆子体操もして就寝。なにもしてなくても疲れていたのか、すぐに寝付いた。そして、明け方。尋常ならざる腰の痛みに耐えかねて、目が覚めた。横になっていられない。慌てて、いつものように一旦、横向きになって起き上がろうとしたところ、背中の筋なのか脇腹の筋なのかがまるで鉄筋のように突っ張って、呼吸もできないくらいの痛みが走る。思わず、両手をついて、バネ仕掛け人形のように起き上がった。布団の上で正座するも、背中に突き刺さった鉄筋が呼吸を妨げる。なんとかして楽な姿勢を探そうとするのだが、水に溺れてしまったかのように呼吸ができない。余りにも浅いけれど、とにかく腹式呼吸をなんとか繰り返して、母を呼ぶこと約30分。呼吸ができないくらいだから、声も届かないわけだけど、なんとかやっと振り絞った声が届いて、母が来てくれた。しかしそれからがたいへん。

明け方4時。とりあえずかかりつけの産婦人科のある病院に電話するも、産婦人科の当直医がわたしの主治医ではないということで、なんともしようがないと言われた。主治医は家で寝ているはず、などと言われたようだ。119番したところ、近所の総合病院で、整形外科医と産婦人科医の当直がいるところを紹介される。しかし、よその病院に罹っている妊婦だから、見てくれるかどうかはわからないという。筋違いあるいは寝違えたのであれば、しばらくすれば痛みは引くはずだといわれたようだ。

この時点で、もうある意味、どうしようもないことはわかっていたので、とにかく少しでも楽な姿勢を探す方向に気持ちも落ち着き、また浅いながらも腹式呼吸のおかげか、少しずつ、体も慣れてきた。漸う、背筋をまっすぐにして背中と両脇に布団やら毛布を堆く重ねた砦の中にいれば、少しましなことがわかった。落ち着いたその瞬間、急にまた咳が出て、もうそれはそれは、気絶した方がましという状況に陥る。足をばたばたとさせ、両手で空をつかむ。母も驚いたことだろう。さすろうにも、一体何がどうなっているのか、わたしもわからないから、どこがどうだとは説明できないのだ。話をすることすらできないくらいに呼吸が苦しい。

とにかくここはもう一旦、激しく咳き込んで咳を終わらせようと本能的に思って、気絶してもいい、背骨が折れてもいいと思い直す。大きく咳き込んでみたら、脳天まで電撃が走った。

なんとか意識はあったので、そのまま毛布と布団の上にもたれて、楽な姿勢を探した。この時点で5時半。咳止めの漢方薬としょうが湯を飲んで、とにかく落ち着く。その後少し、うつらうつらしたようで目覚めれば、8時半。大学に行くなど、とんでもないとようやく自分でも納得して、背中に温湿布やら貼るカイロやらをセット。横になろうとするも布団にもたれるのが精一杯。やむなくそのままお昼まで過ごす。昼食後は具合も大分とよくなって、毛布にもたれたままやっとゆっくりと眠ることができた。

だらだらとどれほど辛かったかを書いたのだけど、今日、母と語り合ったことは、日本の医療事情。どこに電話しても、「責任」ということばが直接的に、あるいは間接的に、治療を必要としている人に伝わってくる。救急治療という場面ですら、いやだからこそなのか、「それでもいいのですね」という確認とその受容が求められる。いやー、辛かったです。


18-12-2009 / Friday [長年日記]

_ 腰の具合はぐーんとよろしくなった。夕べも積み重ねた布団や毛布にもたれかかるようにして眠った。明け方、どうにも水平になって眠りたくなったので、なんとかがんばって高くした枕に倒れ込むように横になってみたら、なんとか楽な姿勢が取れた。そのままやっと眠りにつくことができた。悪夢のような半日が過ぎてみれば、昨日の夕方の時点で、なんとか筋違いは緩和されていた。119番の人がいうとおりであった。

_ 今、NHKのBS第二放送で、「サンティアゴ 青春巡礼〜高校生 9日間250kmを歩く〜」という15分番組が放送されている。これがなかなか面白い。スペインの現役高校生たちが文字通り、9日間の巡礼の旅に出るという内容。学校の行事である。合計140人ほどの若者の巡礼の旅にカメラが同行する。眼目は、この旅を通して、高校生たちの友情やら恋愛やらの行方を追うというところにある。

おもしろいのは、カメラに向かって高校生たちが実に自由に、自分の恋愛やら片思いやら恋人やらについて語っていること。日本の高校生だと、ここまでテレビの前で、自分のことは話さないのではないか。家族のこと、オタクだと思われているから友だちも恋人もできないんじゃないかと思っている女の子からも、テニス部ばりばりの女の子からも気になる存在として位置づけられている、日本人的には八方美人タイプの男子も登場する。この男子、アントニオと微妙な関係にあるテレサ嬢は、なかなか愛らしい顔立ちで、一見、派手な少女に見えるのだが、実はとても少女らしく、見ていないふりをして目の端っこでずっと彼を追っている。そんな彼女を、八方美人もとい博愛の人アントニオは、嫉妬深いと語りつつも、まだ決定的に別れてはいない…というような微妙な関係を保っている。。

かれらは日本のテレビだからなにを喋っても大丈夫と思っているようには見えない。自分の現在進行形の気持ちー恋愛に限らずーを、誰かに話したり、そうすることで整理することにとてもなれているような感じが伝わってくる。今の日本の高校生もこうなのだろうか。なかなか強行軍の巡礼の旅で、足の裏に大きな水ぶくれを作ったり、歩きすぎで足が腫れてしまったりもしながら、どんどんと自分を深く見つめ直していく様子が伝わってきて、短い番組ではあるけれど、見応えがあるなあと思って、毎日楽しみにしている。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ viagra [この間も俊太郎の詩をお http://www.stlouisbusinesslist.com/business/5..]


19-12-2009 / Saturday [長年日記]

_ この数年、わたしにとってはほんとうに大きな曲がり角がいくつかあった。人生の折り返し地点だったのだろうと思う。今、きっと、大きな曲がり角の最後のひとつを迎えようとしているのだと思う。子どもが生まれれば、もう自分一人のことだけを考えて生きて行くわけにはいかなくなる。今までのように、なんだかんだといって居場所を確保してきた大学と研究と自分の関係をはっきりとさせるべき時が来たようにも思う。そのことをずっと考えている。


21-12-2009 / Monday [長年日記]

_ 午前中、病院。相変わらずの逆子さん。それからようやっとのことで大学へ。おきっぱなしにしていた仕事をいくつか片付ける。夕方早めに帰宅。白菜の煮物。

ところで昨日から逆子を直すツボにお灸を据えている。一番初心者向けのお灸。英語ではモグサは、moxaと綴るようです。


22-12-2009 / Tuesday [長年日記]

_ 仕事片付けが終わらず、結局、今週はまだ休めなさそう。相変わらず腰は痛むけど、先週末に比べると断然、回復している。お灸とか温湿布とか、そういうのが効いているのかな。

お昼、どうしてもラーメンが食べたくなって、生協へ。でも結局、健康食品志向が自制心を発揮させてしまい、鯖の味噌煮、ほうれん草、湯葉とキノコ、ひじき、麦ご飯などを食す。おいしかったけど、心の底から「食った−」と思うことができず、喉に小骨が刺さったようななにかもの足りているような足りていないような気持ちにずっと取り憑かれた。

夫はといえばですね、無事に首都の総領事館へ短期滞在ビザを申請してきたそうなのだが、予想していたとおり、道中の鉄道で、身分証明書やら免許証やらをすられたという。汽車の中では絶対に気いつけや〜と、何度も言ったのだけど。。でもこれでなんとか再来週には如月さんが日本にやってくる運びとなった。よかったです。


24-12-2009 / Thursday [長年日記]

_ お昼、もう明日が産前休暇前最後の大学の日ということもあるし、母と子のクリスマスでもしようかと思い、近所の偽イタリアンへ。おいしいランチを一人で食す。ミジンコさんをときどきおなかの上から撫でながら、おいしいかい?と尋ねてみるが、返事はなし。

夜、高島屋の地下へ。わたしが着いたときは、まだほんの少しだけ余裕があったのだけど、どれにしようかな〜と、ひととおり徘徊したほんの10分くらいの間で、ケーキ屋界隈はとんでもないことになっていた。主要な洋菓子やには「最後尾」というプラカードを持った店員さんが立っている。洋風お総菜やさん界隈も、えらいことになっている。そしてほとんどすべてのものがここぞとばかりにクリスマス価格になっていた。なので、すっかり気がそがれてしまい、いつもよりはちょっと贅沢なお寿司を買って、気持ちだけと思って、安い鶏肉照り焼きセットを買い、シュトーレンの小さいのを二種類買って終わりにした。十分、重かったです(笑)。

家に帰ったと同時に如月さんから電話。日本の滞在期間は如何ほどかという問い合わせが総領事館からあったそうだ。当初は1ヶ月という予定であったが、2ヶ月有効のチケットしか取れなかったため、査証申請書に少々、齟齬が出てしまったとのこと。それで確認があったようだ。ついでに日本に持ってきてもらうものとかどんな荷物を用意するかなどを連絡。畑で取れたトウガラシを持ってきたいなどという。果物とか生ものは、持って来ちゃいかんよという。あとはミジンコさんのためのちょっとしたものなども頼んだりした。やっぱりお父ちゃんが来るのは、わたしもうれしい。

_ クリスマス前日島。某国でもクリスマス・ディナーやら新年ディナーやら、バレンタインとかホワイトデーなどが世間を賑わすようになりつつある。まだまだ日本やら河童国には及ばないけれど、教会のミサなどはやはりものすごく見応えがある。土着宗教とキリスト教のシンクレティックな雰囲気は、なにかのパロディかとも思われるくらいに、演出がすごい。荘厳ではあるのだが、ペンテ***派の教会の礼拝やら教会の飾り付けを見るのと同じくらい、西欧の教会でのクリスマスとはまったく異なる様相を呈している。同じ宗教だとは思われない。それはちょうど、仏教徒を自称する日本人が、日本以外のアジアやらヨーロッパやらで仏教寺院を目にしたときに覚える衝撃と似ているかもしれない。

わたしは若いときも今も、クリスマスといえば、女ともだちと適当にケーキを食べたりご飯を食べたりする程度で、恋人がいるときもいないときも、なにか特別な行事を敢行したという記憶がない。忘れているだけなのか、忘れるに値するようなできごとでしかなかったのだろうか。それすらも思い出せないけど、自分にとっては年々、クリスマスやらお正月が地味になってきているかなとは感じる。子どもの頃、お正月と言えば、手作りの凧を揚げるのが楽しみだった。あの頃は、子供会やらでしょっちゅう、奴凧作り教室などが開かれていて、わたしもたこ揚げが大好きだった。たこ糸を繰り出して、よしっとおなかに力をいれて走り出し、凧が風を捕まえて空に揚がっていく瞬間の、凧と風とたこ糸の均衡の手応え。お正月と言えば、カルタやら百人一首、双六、たこ揚げ、みかん箱、するめ、棒鱈というのが子ども時代の記憶。お年玉はうれしかったけど、親戚一同の申し合わせがあったのか、ほとんど同年代のイトコ同士の間では、中身は千円だった。ときどき、1万円札を入れてくれる人がいたけれど、それらはすべて親が預かり、どこに行ってしまったかは、今日に至るまで不明であったりします(笑)。

ミジンコさんはこれから、日本の行事、某国の行事、世界の行事をたくさん経験して大人になっていくのだろう。大人になってからのことは自分の責任だけど、子どものうちは、楽しい思い出をたくさん作ってあげたい。わたしも如月さんも、相当な年齢なので、いつまでミジンコさんの成長を見届けることができるかはわからない。今の世の中、楽しい子ども時代といっても、実に多様で、なにが子どもにとってよいのかは自分の時代だけを比較して語ることもできないのかもしれない。でも、ミジンコさんと一緒に川で遊んだり山を歩いたり如月さんと一緒に畑仕事をしたりすることをとても楽しみに待っている。今日からもう正産期に入ったので、ミジンコさんはもういつ出てきてもよいそうだ。といっても逆子なのでねえ(笑)。さて、ミジンコさんはどうされる予定なのでしょうか。


25-12-2009 / Friday [長年日記]

_ 風邪をを引いたのかもと思い始めた12月初旬から、実はずっと毎日、DVDで「チャングムの誓い」を観ておりました。某国で長期滞在していた数年前、某国でも放送されていた。わたしが住んでいた村では当時、予定停電が一日置きに実行されていた。なので、一晩置きに、懐中電灯を持って、隣の集落に住む友人の家を訪れ、この番組を観ていたという次第。が、本来、仕事で行っていたので、必ずしも毎晩、番組を観られるというわけでもなかった。某国では日本みたいに毎週放送されるのではなく、月曜日から金曜日まで毎日、定時に放送があった。

それから数年、今ならたっぷり時間もあるし(ほんとはないんだけど)、母も観たいというので、思い切って、レンタルしてきたというわけであった。それ以来、我が家はたいへんなことになっていたのである。。文字通り、時間があったら、親子でチャングムをずっと観ていた。実は母などは、もうすでにこれで3回目くらい、全部を通して見ていたはずなのに、誰よりも熱心に鑑賞していた模様。最前より、如月さんは親ばかを発揮して、「我が子は医者にしよう」などと言っていたものである。これも某国におけるチャングム人気の余波である。昔、おしん、今、チャングム。某国やら某国界隈やらを歩いていて、「おしん!」と声をかけられなくなったのはいつ頃のことだっただろうか。今は大概、「あんにょんはせよー」と声をかけられるのである。「ちゃんぐむ!」と声をかけられたこともほんの数回ではあるが、経験している。わたしたち、ちょっと古い日本人は、華人系・韓国の人・日本の人を、歩き方やら服装、ちょっとした所作で区別できるところがまだ残っている。ちょっとした目線とか、お箸の使い方、ご飯の食べ方、鞄のかけ方等々。しかしこの3地域出身の人びとで、20代以下の若い人びとは、もうほとんど区別できるような差異がなくなりつつある。どれかひとつの特徴が突出して他を凌駕したというよりは、三者がひとつの求心力の中心に向かって、収斂されていったとでもいうような感じだろうか。

チャングムを観ながらそんなことをときどき考えたりしていた。ミジンコさんは、さて、なんと呼ばれるようになるのだろう。


27-12-2009 / Sunday [長年日記]

_ 朝、moxaをすえ、のんびり。暖かくて、もうすぐお正月なんて気がまったくしないですな。午後、少し遅めの時間に、商店街まで散歩。本屋で新書と文庫を各一冊。手芸やさんでぬいぐるみにいれる鈴をひとつ。アーケードで鶏の唐揚げ(あまりにみなが買っていたので、つい手が出てしまったのでした)を一パック、ちょっと高級なスーパーで、如月さん用の食材や調味料などをいくつか、焙り鯖寿司を一パック、やす〜いダージリン紅茶のパックを一つ。たぶん、年内最後の買い物。

まあいろいろ先のことを考えるとたいへんなのですが、とにかくまずはしっかり来年を迎えよう。


28-12-2009 / Monday [長年日記]

_ 朝からmoxaを三セットずつ。ゆったりとした心構えでいなければならないということは重々理解しているのだが、ちょっといらいら気味である。どんなに逆子体操をしても逆子が直らないことや、それに伴って帝王切開の日程が決められており、それが如月さん日本到着の二日前であること、そのことで病院と交渉したのだけど、やー、病院の石頭め!入院の荷物を詰めるのもまだぜんぜんやる気にならなかったり、なんかとにかくあれこれもう一杯になってきた。胎教にもよろしくない。ミジンコさんが出てきてくれても、保育器に入れられるそうだ。帝王切開だから肺機能が不完全な場合があるのだという。それにしては、予定日よりも二週間も前に手術をおこなうわけで、それはなぜなのかと問うと「子どもは十分生育していることと、陣痛が起こってしまっては緊急帝王切開ということになり危険度が増すから」と説明された。少々矛盾が生じているから突っ込んでもよかったんだけど、病院とけんかしたくないから何も言わなかった。言わなかったことでもやもや感が芽生えてしまい、それがなんとなく病院に対する不信感へと成長していっている感じがしている。。うーむ。。だめ循環に突入してしまった模様である。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ Wswmxvit [ http://www.stlouisbusinesslist.com/business/5021837.ht..]


29-12-2009 / Tuesday [長年日記]

_ 早朝、如月さんから電話。曰く、「村役場から電話があって、もう子どもが生まれたんだって?!」という内容。お姑さんが言われたのだそうな。誰の子どもが生まれたのか知らんが、あなたの子どものことでしたら、まだわたしのおなかの中にいますよ、と答える。お姑さんはからかわれたのである。そして如月さんに、直ちに確認するようにと指示を出したのである。如月さんは昨日、首都まで査証を取りに行って、本日、未明に帰宅したばかり。正月早々、日本に行くということ、子どもも生まれるということで、村中の人からからかわれているだけ。村役場の人から近隣の集落の人から何から何まで、如月さんに子どもが生まれることをみな知っているような世界なのである。

_ 一昨日、散歩のときに買った小川洋子の新刊文庫、「博士の本棚」を読み終わるのがもったいないような気持ちで読了。似たような愛読書を持っていたことを再確認する。とくに「小公女」と「アンネの日記」。わたしは古い函装のハードカバー版を愛読していた。長じて、完全版だという文春文庫版も手に入れたのだが、二段組みで、硫酸紙のようなカバーがかかったサテン装の本を繙くときの秘密めいた感触を好んだからか、結局、文庫版は完読せずに本棚に積まれていたような気がする。

そしてわたしも押し入れに入り込み、懐中電灯で本を読むのが好きだった。北向きの六畳の部屋は、障子の向こう側に竹藪と無花果の木が植わっていた。風のない時でもいつでもそわそわと笹の葉が音を立てているような気がしたものだ。メリンスの布がいつも掛けられていた母の鏡台が怖いから、そっと横を向いて部屋を通り抜け、奥の廊下を通って御不浄にいくようになっている。御不浄の手前には坪庭があり、手水鉢がぶら下げられていた。坪庭には金木犀と茱萸の木が植わっていた。誕生日に35円で買ったヒヨコのぴー太郎は、この坪庭が好きだったようで、よく枯れ葉をつついてミミズなどを探していたようだ。ぴー太郎がイタチに襲撃されてからは、この坪庭を見るのが辛く、廊下を渡るときはいつも俯いていたような気がする。

この神聖な北向きの部屋には半間の押し入れがあった。押し入れの上段に這い上がって、ひとりで隠れん坊をしながら、懐中電灯の明かりで本を読んだ。「小公女」「トム・ソーヤーの冒険」「かぐや姫」「赤毛のアン」「誰も知らない小さな国」。懐かしい本の中に、その当時はまだアンネ・フランクの日記は含まれていなかった。本を読む自分だけの空間というものが必要な年齢というのか、そういうのがあるような気がしたりする。そんなことを考えながら、小川洋子を読了。


30-12-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 年末年始に日本にいるのは本当にひさびさのことである。昨年は、母が倒れたため、大晦日に急遽帰国というアクシデントがあったから、厳密には日本でお正月を過ごしたことになる。しかし、そういう準備が一切なかったということもあり、のんびりとした正月という感じではなかった。その当時、まさか今年も日本でお正月を迎えるとは思ってもみなかったわけで、本当に先のことはわからないものだなと思ったりしている。予測のできる先のことと、そうでない先のことがある。今さらながらにそう思ったりしている。

今日はおせち料理を作る日。黒豆はもう昨晩から水につけてある。大げさなことはひとつもできそうにないが、出来る範囲で楽しいお正月を迎える準備ができればと思う。

ミジンコさんは、昨日の夕方から夜にかけて、一体何があったのかというくらい、暴れ回っていた。一人でなにをほたえているのだろうか。


31-12-2009 / Thursday [長年日記]

_ 明け方、ミジンコさんがまたひとりでなにかの遊びに夢中になり、おなかの中を走り回ってほたえている。ねぼけながら、こういうときが一番、逆子体操が効果的である瞬間だと、すわそのポジションを取ると、気にくわないのか、ぴたりと静かになってしまった。そういうところが自分と似ているような似ていないような。。親子でややこしい人たちである。

そういうわけで、早起きして、煮染め、紅白なます、酢レンコン、洋風おせちの揚げないカシワの南蛮漬け、田作、伊達巻きがすでにあるけどだし巻き、など。作りつつ少しずつつまみ食い。お昼は夕べの残りのすき焼きに卵を放り込んですき焼き丼。お正月って、どの家もエンゲル係数が急上昇するんだろうなあ。

食後のおやつに子どもの頃から大好きな、近所の洋菓子やのシュークリームを食べたら、眠くて眠くて、掃除も後片付けもそのまま、すっかりと寝込んでしまった。ミジンコさんは栄養も補給して、また元気が出てきたのか運動会を始めている。なので、わたしも起きて、ミジンコさんの最初のぬいぐるみとなるであろうクマ子さんの生地をいよいよ裁断することにしました。今日中にできるかな。


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