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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

05-05-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 毎日の散歩で、近所の氏子神社でこどもの日の神事があることを知っていたはずだったのに、すっかりと忘れてしまっていた。氏子神社ではない、人気のない、無人の小さな神社に散歩のルートを取ってしまったのだ。カルガモさんにとっては初めてのこどもの日だというのに、大失敗。きっと来年は行こうねと、謝った。

連休の間、母方の親戚一同がカルガモさんのために集まってくれた。出産直後は、冬の一番寒い時期ということもあって、近所の親戚は病院や家に来てくれたのだけど、少し大きくなったカルガモさんの御披露目を兼ねた機会に、みなが集まってくれたのだった。カルガモさんは終始ご機嫌で、わたしの基準からすれば奇声といってもよいような妙ちきりんな大声を喉の奥から出して、きゃっきゃとはしゃいでいた。この数年間は、わたしは特に、某国に滞在していた期間がながかったから、イトコたちの近況なども実はあまり知らなかったのだが、キョウダイが多いと、結婚する人しない人、離婚する人再婚する人などもやはりいて、へええ〜と驚いたりして、親戚たちの話を聞いていた。

そういう流れで当然出てくる話題として、お墓をどうするかという話があった。母方の本家は三姉妹でわたしの祖母が長女である。が、別に遠縁から養子を迎えて家を継がせた。そちらが本家といわれているのだが、その孫の世代(わたしの世代)は女系かつ独身・おそらくこれからも結婚しなさそうで、もう子どもは生まないだろうという状況になっているのだそうだ。祖母と結婚した祖父の流れが分家と呼ばれているのだが、こちらもそういう事情で、母の兄弟は女系かつ未婚のイトコたちばかりとなってしまっている。だれがお墓の管理をするかという話題が出てきてもおかしくない状況で、どうするかな〜という話を数年前からしていたのだという。と、祖父の祥月命日におっさん(お坊さんののこと)が次のような話をしたとのこと。そのお寺さんでも檀家さんらから子どもが地元を離れてしまって帰る予定もなかったり、結婚しないとか、子どもを生まないとか、子どもがいてももう面倒なことはしたくないとかで、なんとかよい方法はないかという相談が増えてきた。なのでお寺では、お墓を解体してその墓石で塔を建て、そこにお参りするようなことを準備してある。おたくはどうされますかいな、という内容であったらしい。そういえば、最近、祖父のお墓参りにいったとき、なんとなくまわりの景色が風通しよくなっているような気がして、どうしたのかなあとは思っていた。それはすでにお墓をのかしたからであったのだろう。

先日集まった親戚の中ではすでに合意ができていて、お墓をのかす方向でまとまりそうだという。もとよりわたしは本家も分家も関係ない立場だし、うちの親も散骨派なので、親戚の話を傾聴しているだけだった。そうしながら考えていたのは、某国だったらどうなるのかなということ。一人が亡くなったら、その村の人が全員、文字通り、赤ん坊から老人までが葬儀に参列する土地がらである。別に出欠をとるわけではないのだが、わたしも街から呼び戻されて、末席に連なったことがあった。初七日にはまた村の男性だけが全員、亡き人の家に集まり、みなで読経する。墓所は先祖代々、すくなくとも四代前あたりまでは、その名前と配偶者とが当代の当主に記憶されており、ちょっとしたエピソードとともに語り継がれている。わたしもきっとその墓所に入るのだと思う。法要は、100回忌までは普通におこなわれる。少なくとも、現在までにおいては、そういう行事がずっとなんの疑問ももたれることなく、続けられてきている。生まれるときも死ぬときも、人間は決してひとりではなく、どこかに属しているんだなあ。そう思うと、死んだ後くらい、のんびり体を伸ばしてゆっくりしたいなどといった発言も、納得できるような気がする。そういったことを考えながら、一人、黙々とお寿司に箸を運び、きゃっきゃとはしゃぎながら、親戚たちの膝の上を次から次へと渡っているカルガモさんを遠目で見ていたりしていたのだった。


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