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  1. ね (07-16)
  2. ね (07-16)
  3. pyonpyon21 (07-16)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

04-07-2010 / Sunday [長年日記]

_ 帰って来た。学会のことは聞かんでやってください(笑)。今度こそほんまに死にたくなった。しばらく腐っていて、夫にははなはだ迷惑をかけました。

それでも無理していろいろ仕事を少しこなして、ペンディングになっていたカルガモさんの共同体メンバーに入れてもらうためのイニシエーションも無事にこなし(肝心なところでビデオの録画スイッチを入れ忘れてしまい、そのことはこの期に及んでもまだ夫には話していません)、むちゃくちゃへとへとになってしまったということもあります。予定よりも早めに帰国することにしてしまいました。夫にはかわいそうなことをした。その間も、とにかく腐っているか洗濯しているかのどちらか。毎日一回は手抜きをしようと思って、カルガモさんを連れて外国人向けのカフェやレストランでゆったりとした食事を取ることを心がけた。時にはプールに泳ぎにも行った。その合間合間に、書かなければならないものを書いたり、調べなければならないものを調べたりもした。日本人会の付き合いも疲れない程度にこなした。妊娠して以来、乗るのを止めていたバイクに乗った初日、運悪く、検問に出くわした。運悪く、免許証もバイクの所有者であることの証明書も携帯していなかった。外国人はぼったくられるで〜と聞いていたのだが、検問突破する勇気もなかった。意を決して、外国人のふりをして(パスポートのコピーさえ持っていなかったのである)、「Wow, I am so sorry...」と言いかけたらば、「Ok, ok, please go ahead」と、無事に通されたのであった。よし、これからはこの手で行こう、などと少しだけうれしくなった。子どもが生まれて以来、自分のものを買うこともまったくなかった。思い切って散財するぞーと、繁華街に向かった。こんなん自分で縫えそうなどと思ってしまうからか、以前のように張り切って買い物もできなくて、驚いたりする。残してきた子どもと夫のことを少しだけ気に掛けながら、久々の自由を満喫すべく、すべての道を南北東西に駆け抜けて、大満足して街道筋の屋台で晩ご飯を包んでもらって帰宅したあの日。カルガモさんがさんざんに泣き疲れて腫らした顔で、とっぷりと暮れた夕闇の下宿の庭で、夫に抱かれて座っていたのだった。自分の都合で某国くんだりまで連れてこられ、父親に会ったはいいけれど、人見知り真っ最中でさんざん泣きわめいてようやく父親のことを思い出したと思ったら、また母親の都合で日本へ帰るのである。不憫やなあと思うのだけど、そういういろいろを家族で乗り越えたなあという感慨が、今回は大きかった。夫が寛容であることに甘えすぎてはいけない思いつつ、またしばらく日本で暮らす。


06-07-2010 / Tuesday [長年日記]

_ わたしが小さい頃、買ってもらったおもちゃだったのか、弟のおもちゃだったのかわからないけれど、セルロイドっぽいおきあがりこぼし人形が家にあった。わたしはこれが大好きだった。頭の部分とおなかの部分と、ふたつの球からなる人形で、おなかの球にチャイムが入っている。この音がとても素朴で、お人形の顔がレトロでいかにも外国人ぽくて、いつか子どもを持つことがあったら、このおもちゃを買ってあげたいと思っていた。21世紀のそのお人形は、おきあがりポロンちゃんと名付けられている。

カルガモさんは、初めてポロンちゃんが届いた時、怖がったらしい。わたしは大学に行っていたので、その場面をみていないのだけど、顔を歪めて泣き出したという。ところが、今回、帰国してみれば、顔なじみのおさるのぬいぐるみやくまこさんはさておき、真っ先にポロンちゃんに手を伸ばした。夜中など目が覚めたとき、以前ならばまず泣き声を上げたのに、今は枕元に置いているポロンちゃんに手を伸ばして、音を鳴らす。そうすれば、かならずわたしが目を覚ますことを知っているかのように。

添い寝しながら母乳を飲ませているときも、振り子時計みたいに、しばらく飲んでは、しばらくポロンちゃんを振り返って手を伸ばて音を鳴らし、また振り返ってうっくうっくと飲んでいる。その様子を見ていると、大きくなったなあと感慨深い。もうお座りもできるようになった。まだ寝返りを打つのがあまり上手でないのだが、あやせば笑うし、親が口をぶっと尖らせて音を立てれば、子も必死にまねをする。高い高いをすれば、きゃっきゃと声を上げて笑う。電車に一緒に乗れば、きょろきょろと車内を見渡し、きっと誰かの視線を捉えてはにっこりと笑う。どんな大人になるのでしょうね。今日で6ヶ月。大学の友だちがカルガモさんの手相を見て、「学者に向いている」と言うので、猛烈に怒ってしまったわたしです(苦)。手に職をつけさせますねん!


08-07-2010 / Thursday [長年日記]

_ 年度の後半に、もう一度、長期での出張が予定がある。この日程を早く決めてしまわなければいけないのだが、なかなかできない。いくつか解決しておかねばならない理由があって、むずかしい。


09-07-2010 / Friday [長年日記]

_ 保育園へ子どもを迎えに行ったときのこと。いつもならば仏頂面をして、先生に抱っこされて、わたしを待っているのだが、昨日はなんとプレイマットの上に座って待っていた。上機嫌で、わたしにだけでなく、先生やまわりのお友達にも、にかにかと愛想よく笑っている。先生も、ミルクもたくさん飲んだし、お昼寝も午前と午後とで3時間もした、沐浴も楽しそうにしていたし、よだれもたくさんになってきましたねという。ほんとに大きくなってきたんだな。赤ちゃんのときから来ていたコンビの服やガーゼの服がどんどんと小さくなってきている。これで離乳食をしっかり食べてくれるようになったら、もう幼児になってしまうんだろうなあ。「アンの夢の家」の終盤、こういうくだりがある。来週からベビー服ではなく幼児服に衣替えをするジェム坊や(アンとギルバートの長男)のことを考えると、アンは胸が張り裂けそうな思いをする、というもの。赤ん坊が身近にいる暮らしをしたことがなかったから、小さい赤ちゃんがどんなにたいへんで、どんなにかわいいかを知らなかった。アンの気持ちがよくわかる。

カルガモさんもこの頃は、ちょっと幼児服っぽいものを着ることがある。小花模様のかわいい服を着ていても、ピンクでコーディネートした服装をしていても、「かわいい坊ちゃんですね」と言われるカルガモさん。思い切って、これからは男装させようかというと、母が本気で唸りました。頭髪も薄く、どうみても一休さんにしか見えないカルガモさん。これからも病気はできるだけしないで、元気に育って欲しいなと思う。

_ で、わたしはというと、締め切りをとうに過ぎた原稿をいまだ後生大事にしていたりします。全然書けなくて、ほんと、頭が割れそう。どうしよ。


13-07-2010 / Tuesday [長年日記]

_ ずっと探し求めていた絵本とレコードのコンビネーション。童音社の「おはなしコンサート」というシリーズであることがわかった。今考えれば、なんとあほだったんだろう。。インターネットを駆使すれば、もっともっと早い段階で情報にたどりつくことができて、オークションなどで状態のよい12巻セットを購入できたのだと思う。実際、今年になってからの記録をみてみても、そういう落札が何度もあったようだ。今、出ているのは12巻のうち3巻が欠品のセット。探し求めているものが、どういうものであったかがわかって、少し落ち着いた。全巻がそろっているかは不明だけれど、国会図書館にも入っているみたい。復刊どっとこむにも登録されているようだから、いつかきっと復刊されることを願いつつ、記憶の音と絵との再会を楽しみにしている。よい状態のものが見つかれば、すぐにでも買いたいけれど、きっとレコードを聴きながら泣いてしまうだろうなあ。今、一休さんに歌ってあげる歌はほとんどそのレコードの歌であるか、わたしが小さいときから知っている歌ばかり。その小さいときから知っている歌は、母がわたしに歌ってくれていたのだろう。母が歌う歌とわたしが歌う歌が同じであることに気がついて、しばし胸が熱くなった。

_ あれこれ手を尽くしてもどうしても離乳食を食べてくれないので、先週半ばからしばらく休んでいた。わたしが書けない病にかかっていたということもあり、余裕もなかったからだ。昨日、小さな落雷の音を聞きながら、わたしは無添加の野菜ジュースを飲んでいた。一休さんがじっと見ている。ふと思い立ち、一休さん用の小さな手造りグラスに1センチほどジュースを入れて、お湯で4倍に薄めてみた。離乳食用のスプーンで口に近付けたところ、初めて口を開けてくれた。いつものように、口からそのまま吐き出すこともなく、飲んでくれる。よし今だと思って、冷凍しておいたカボチャのペーストとおかゆをダッシュで電子レンジであたためた。茶漉しに鰹節を入れて、ポットのお湯で簡単一番だしを取り、おかゆとペーストを溶いた。一休さんは、少々、難しい顔はしていたが、全部食べてくれた。今日食べてくれたからといって、明日も食べてくれるかどうかはまだわからないけれど、よかったよかった。小さい子は毎日、成長が見て取れるところがよい。たくさんほめられて、得意げにしつつも照れ笑いをしている一休さんを抱っこして、雨上がりの公園を少し歩いた。アジサイの葉っぱがぴかぴかに光っていて、一休さんに教えてあげようと思ったら、もうぐっすりと眠っていた。如月さんにも連絡してあげなくては。


14-07-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 一日が二回あったらいいんだけどなあ。。一日が48時間ということではなくて、もう一回おなじ一日がやってくるということ。そしたら時間がなんとか足りそう。時間が足りればなんとかなるような問題でもないんだけど、ついついそう思ってしまう。

_ 寺町御池の角っこのあたりで、無料で手相を見てくれるおじいさんが立っている。もう何年前からのことだろう。土曜日に前を通ったとき、「来週はずっと雨なのなのでお休みします」という告知が貼られていた。見てもらいたいなと思うときは、いつもかならず先客がいて、急いでいるときはいつも空いている。これいかに。

_


15-07-2010 / Thursday [長年日記]

_ 7月ももう折り返し地点。一昨日、近くの大木の木下で、蝉の抜け殻をみた。もう蝉の大騒音が聞こえてくる季節だ。こどもの頃、近所の野原を駆け回るのが好きだったので、よく虫取りをして遊んだ。その割にはカエルが苦手。トンボとバッタを捕まえるのが上手かった。トンボはつかまえて、ススキの柔らかい茎を引っこ抜いたもので、胴体をしばって振り回して遊ぶという、風大左右衛門みたいなことをするのが好きだったが、ときどき強く縛りすぎて、胴体が切れてしまうこともあった。夏休みと言えば昆虫採集と押し花だったのだが、頭をもっと使って工夫するようなこどもだったら、今、これほどいろいろなことに苦労しなかったんじゃないかなと思ったりしている。わたしはこれまでの生涯で、考えるという作業について、あまりにも手を抜きすぎていたんじゃなかろうかと思う。ずっと自分の思うまま、やりたいことだけをやってきた。でももっと頭を使って、我慢して、みんなと仲良くしていれば、違う人生もあったのかもしれない。思ったところでもうやり直せない。こうして、人はこどもに自分にできなかったことをやらせようという期待をかけるのかもしれない。一休さんになにかをおしつけようというのではない。わたしがやらなかったこと、選ばなかったもう一方を、彼女が選んでくれるのであれば、大応援する。そうすればわたしは二倍楽しい。選ばなかった場合でも、適切な助言がきっとできると思う。わたしが失敗したことなのだから。いつまでもちっちゃな赤ちゃんでいて欲しいという勝手な希望もあるし、早く大きくなって、一緒にあちらこちら歩き回りたいという希望もある。大きくなった頃、まだわたしが徘徊老人になっていなければだけれども。


16-07-2010 / Friday [長年日記]

_ みなさん、デジタルカメラの写真はどのように整理されていますか。

わたしはご存知のように、たいへん大雑把な人間なので、いざというとき、ほんとうにてんてこ舞いしてしまいます。フィルムのときは、フィルムと焼きあがった写真しかないわけで、使用頻度の高いものはスキャンして取り込むとしていました。デジタル時代になって、構図も露出も絞りもなーんにも考えずにパカパカと撮影するようになり、打数の割には打率が下がってしまい、いい写真も悪い写真も撮りっぱなし状態になってしまっています。これはと思う写真は、構図とか場所とかなにもかも覚えているからすぐに引き出せるのですが、メモ代わりに撮影したような写真は、どこにしまったかな〜と、慌てて捜して時間を無駄にしてしまっています。ダメ人間の見本そのものですな、まったく。。

_ メモ。主要な予防接種はすべて受けたが、あとふたつ国際的にはメイジャーであるものを受けなければならない。肺炎球菌とB型肝炎。また日本の経口式ポリオは、きちんと免疫ができないことがあるらしい。海外で生活する可能性がある人は、成人でもできれば追加で二回接種したほうがよいらしい。二回接種の理由は、一回では免疫ができない場合を想定してとのこと。注射式が望ましいとのこと。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ pyonpyon21 [はてなfotolife というウェブサービスを利用しています。フォルダごとに公開範囲を制限することができるので、重宝..]

_  [NON先生、ありがとうございます。やはり写した日付でフォルダーを作るというのが、整理の第一歩ですね。。日付と撮影場所..]

_  [pyonpyon21さん、なるほど、フォルダごとに公開範囲を制限することができるというのは、便利そうですね <はてな..]


17-07-2010 / Saturday [長年日記]

_ 祇園祭。

写真の整理の仕方について、いろいろと教えてくださってありがとうございました。メールで教えていただいた方からのご教示も含めて、基本は、「日付で整理」そして「バックアップ」なのですね。肝に銘じました。あとやはり、メモ写真であっても、小さなさサムネイルで印刷しておいて、ファイルしておくというのもよさそう。

今は、iPhotoかNamery(これはWindows用ソフト)でファイル名を一括変換管理して、ポータブルHDに保存しています。が、きっとわたしの初期設定の仕方が悪いのでしょうが、MacintoshとWindowsの両方で使える設定にしなかったため、実におばかなことになっています。つまり、Windows用HDとMacintosh用HDがあるという状態。そのうち解決策を見つけることにします。事態をややこしくさせているのは、Macintoshが古いのと新しいのがあること。一番の解決策は、ポータブルHDではなくて、やはりDVDとかフラッシュメモリとかにまめに整理して保管して、よく使うものはフォルダに入れて、Picasaやfotolifeでもアクセスできるようにすることなのかも。がんばって考えてみます。コメントやお便りをくださったみなさま、ありがとうございました。


22-07-2010 / Thursday [長年日記]

_ こどもが中耳炎に罹っている。呼びかけても聞こえにくいのか、難しい顔をしている。

先週、保育園に行った翌日、熱を出した。今回の中耳炎はおそらく保育園でもらってきた風邪が原因で、一休さん経由で母とわたしがひどい風邪を引いた。わたしは火曜日、超早朝出勤したときはすこし頭が鈍痛気味だったのが、帰宅する頃には、久方ぶりに這々の体で家にたどり着く有様だった。翌日、呼びかけても振り返らず、不機嫌なこどもの様子が気になって、わたしではなく母が病院へ連れていこうと判断を下した。小児科での問診に続いて、すぐさま耳鼻科に回された。こどもは鼓膜に耳垢などが厚く堆積しているとのことで、電子吸引器で掃除してもらった。世にも恐ろしい声で痛がって泣いた。

抗生物質を飲んでいる間は、おなかも痛くなったようで、赤ちゃん時代に戻ったように泣き続けた。

今朝は一週間ぶりに、笑顔で起床。間違って、午前の診察に病院に行ってしまい、休診の耳鼻科を受けられたなかったので、夕方出直す。小児科の先生は、内科的にはもう風邪も治っていて大丈夫と仰る。

お昼前に帰宅して、一緒に遊んで、昼寝をさせた。わたしはまだ喉がいがらっぽく、咳が止まらない。写真の整理に夢中になりすぎて、選定がまだ終わっていない。なにやってんだか…という有様であるが、こどもが元気になってよかった。小さな白い前歯が二本生えてきた。


25-07-2010 / Sunday [長年日記]

_ こども、両耳が中耳炎になった。わたしはこどもが持って帰ってきた風邪を家族の中で一手に引き受けてしまい、毎日げほげほと咳き込んでいる。

_ ところで案外、紙媒体の本はなくならないんじゃないかと思っている。わたしはお金がないから今はiPadとかキンドルとか買えないけれど、外国に住む人(日本人だけじゃなくて)にとっては、重い思いをしないでも手軽に母語で書かれた本を読むことができるのだから、いいんじゃないかと思う。こういうとき、いつも思うのは欧米先進国以外の国ことだ。有線電話が普及しないうちに携帯電話があっという間に自転車やテレビ並みに生活の中に入り込んだ。そんなふうに、本もまた形を変えて、あっという間に普及してしまうのかなと思うのだ。今、本を読むということに関しては、少なくとも某国では、あまりそういう文化がない。版を重ねた名著が書店の戸棚に並んでいるということは皆無。とはいえもちろん版を重ねた名著も少しはある。そういう本は、ほぼ例外なく、某国以外の外国人が評価した本だ。出版社が外国にあることも珍しくはない。しかしほとんどの本は初版が売り消れたら終わりの文化で、ほとんどの本がペーパーバック。書店で見たときに買わないと、もう二度と出会うこともない。みな本を大事にしないし、すぐにうちわとして使い始める。つまりそれくらいの薄さの本が多いのである。厚い本でも、みな平気で曲げたり丸めたりする。本を跨ぐな、ページを拡げたままに背表紙を上に机の上に置いてはいけないなどといわれて育った人にとっては、恐るべき光景を日常的にみるような世界である。そうではあるけれど、新しい本は次から次へと続々と出版されている。消費されている。本を読むのが好きなのかどうかはわからないけれど。電子書籍のデメリットはきっと、電気の供給量と、インターネットに関する問題だけのような気がする。今や、どんな田舎に行ってもふつうにインターネットカフェがあるし、みな携帯電話で顔ブック活動を盛んにおこなっている。ITリテラシーは高く、新し物好きの人が多いから、先進国の人が思いも寄らないような使い方が広まる可能性もあるんじゃないかと思っている。

わたしは機械で本を読むのはあまり好きでないから(パソコンのインターネットで十分だと思っているので)、できればずっと紙の本を読み続けることができればと思っている。


26-07-2010 / Monday [長年日記]

_ 超早朝休日出勤の日曜日、早めに引き払って、高島屋へ。ざっと巡回して、やはり生鮮食料品スーパー内の魚やで、鹿児島産のウナギを買った。うっかりしてタレを忘れてしまい、母から小言を言われる。さて、そのウナギを食べてみたところ、やわらかくてくどくなくておいしいこと。あまりのおいしさに明日も食べようと思ってしまい、今日も一匹買ってきた次第。昨日はとにかく早く帰ることだけ考えていたので、奈良漬けも忘れてしまっていたので、今日はお漬け物コーナーも巡回。今日は行きも帰りも、電車の中やホームで人から声を掛けられ通しの珍しい一日だった。ある男性は、自分の孫がちょうど一ヶ月、お宅のお子さんはいくつですかと。電車を乗り降りする人がたくさん、一休さんに声を掛けてくださる。かわいい顔ではないけれど、愛嬌を振りまきたがるこどもだからだろう。泣いても笑っても、周りの人の視線がとても温かく、あまり肩身の狭い思いをしなくてすんでいる。


27-07-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 今回、帰国して数日してからずっと今日まで、こどもが四つん這いの姿勢から、一所懸命、立ち上がろうとしている。毎日、飽きることなく、練習を試みている。どんな絵本を読んであげるよりも、どんなおもちゃで遊ぶよりも、それが一番楽しいといった顔つきをして、明るい声を上げている。より正確には二足歩行のために立ち上がるのではなく、両手両足歩行というのだろうか。生まれたばかりのほ乳類はウシ目やウマ目のこどもが立ち上がろうとしているのに似ている。某国で義理の父が育てている牝牛がこどもを生んだとき、まだひよわな四本の足でよろよろと立ち上がろうとしていたのを思い出した。わが子は思い通りに立ち上がれないとわかると、決まって疲れ果てて泣き出す。まだ後ろ向きにしか進むことができないはいはいで、器用に机の下や椅子の下に入り込んでしまった子どもを救い出し、明日は立てたらいいねえという。子どもはビー玉みたいな目をきらきらさせて、うん、と笑った。

_ 『火星年代記』(新刊)。電車の中でぼちぼちと読んでいる。頭の中でのBGMはやはり/なぜか、ジギースターダスト。

昔、ジェッターマルスという手塚アニメがあって、その始まりの歌の歌詞に、「♪…時は、2015年…♪」というのがあった。2015年といえば5年後。5年後に、少年型アンドロイドロボットがいるとはとても思えない。この歌の歌詞も、『火星年代記』とおなじく、プラス30年ないしは31年で修正すべきなのかもしれない。昔、「未来」だと思っていた「時」が、今、「現在」になっている。不思議といえば不思議。わが子は、もし日本人女性の平均寿命のままに生きるとすれば、22世紀初頭にもまだ生きている可能性がある。22世紀なんてドラえもんの時代ではないか。

いろいろな機械が開発されて、インターネットやiPhoneやら、なんだかすごいよなあと思う。だけど、真にSF的な科学技術の発達としてわたしが期待してしまうのは、やはりテレパシーとかテレポーテーションかもしれない。超自然科学ではなくて、物理学的科学としてこれが解明されて汎用化されたならば、やっぱりすごいと思うだろうなあ。なので、やっぱりどこでもドアとかほんやくこんにゃくの到来を待ちたいわけである。一休さんにはせいぜいドラえもんをたっぷりと読ませようか。


30-07-2010 / Friday [長年日記]

_ この頃、小さい子が死んでしまうニュースをたくさん読む。今日、大阪であった事件の記事を読んで、むらむらと腹が立って仕方がない。理由がふたつある。ひとつは、盛んにその母親の職業を新聞が書き立て、テレビが読み上げていること。もうひとつは、府の役場がまったく役に立たない働きをしたということ。これだけ近所の人が何度も何度も通報しているのに、たまたま足を運んだときに中に人のいる気配がないという理由で、プロの職員があっさりと引き返しているのだ。もっと対応の取りようがあっただろうに。母親も疲れていたのだろうなどと、わかったようなことは言いたくない。不幸な事件がこれ以上起こらないよう、対策の可能性は無数にあるはずだ。少子化対策というのは、子どもをせっせと生ませることを目指すのではなく、生まれてきた子どもがみな健康に育つことを目標にしたほうがいいんじゃないかと思う。

_ チケット予約とか旅行伺いとか、頭が回らない。今回、どうしても河童国経由で行きたかったのだけど、どうにも飛行機の乗り継ぎが悪い。わたし一人だったらば、それはむしろありがたいことで、なんなりと時間を潰したりできるのだけど、子連れだとどうも難しい。なので、やむなく、直行便に乗る予定。

あと片付けてしまわなければならない諸々がいくつか。

『火星年代記』、読み終えた。SFは詩なのですね、というかブラッドベリが詩人なのか。わたし金星人だし、守護星も金星だけど、ちょっと火星に行ってみたくなった。イメージとしては、やはりアメリカなんだな。ちょっとさびれた中西部。というかもろにフロンティアを目指している幌馬車部隊だから、やはり開拓者というイメージなのか。人の気配がまったくしない都会の描写もあるけれど、それもやはり人気のない、真昼の決闘が終わったあとの盛り場のイメージ。そんなアメリカは映画の中にしかないよといわれるかもしれないそういうイメージ。


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