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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

01-12-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 押し入れが開いていたら、まっしぐらに駆け寄り、引き出しを開ける音がしたら、秒速で振り向いて査察に来る人が家にいるので、スパイごっこ並に、こそこそと家事を済ませるこの頃。食事用の小さい椅子の背を押せば、一人で歩いてどこにでも移動できることを発見したらしい。どこへいくにも椅子と一緒。なので、その気配を大人は察知すればよいだけだ。なんて、今はまだ知恵比べに辛うじて勝っているところだが、そのうち追いつかれるだろうなあ。一時保育でもらってきた風邪が原因で、また中耳炎にかかってしまった。病院で耳掃除をしてもらったら、びっくりするくらい大きな耳垢が出てきた。お風呂上がりに綿棒できれいにしているつもりだったけど、恐れず、もっと奥に綿棒を突っ込むべきなのか。耳垢がたまりやすく掃除しにくい耳穴だということがわかったんだから、もっとこまめに耳鼻科に連れて行くべきなのだろう。

『子どもが描く世界―オースティンからウルフまで』彩流社。主として英国の近現代に活躍した作家たちのうち、子ども時代から「小説」を書いていた人たちの作品や子どもが書く〈小説〉をめぐる論集。家族新聞や本格的な小説を資料とする研究の分野があるそうだ。おもしろそうだなあと思って図書館で借りて、少しずつ、読んでいるのだけど、びっくりするくらい翻訳の日本語がこなれていない訳者が何人かいるようで、原書を借りたほうがええかなとおもってしまうくらい。こなれていない日本語の文を読むと、自動的にこちらの頭の中にその原文の英語がテロップで流れてくるくらい。もちろんこなれた翻訳になっている章もある。こういうのは監訳者の仕事の領域なのか、編集の領域なのかどうなんだろう。内容がおもしろいだけにちょっと残念。わたしもこどもの頃、物語を書いていた。といってもそれは決して完成されたことはなかったし、そもそも、冒険に出る→そのために持って行く食べ物を羅列する、そこで満足して物語は決して進まないのであった。持って行く食べ物は、ハム、ソーセージ、べーコン、チーズ、ジャム、トウモロコシパン、クルミ、そして非常食としてのローソク。トマス・ソーヤーさんに影響されていることが見て取れますな。そういう描写と挿絵を書いたら、そこで終わり。こういう食べ物をどうういうふうに運ぶかといえば、風呂敷に包んだ食糧を棒きれの先にくくりつけ、それを肩に担ぐのである。防具を担ぐスタイルである。もちろん目指すは洞窟でした。


03-12-2010 / Friday [長年日記]

_ J-PopとかK-Popとか、世間のヒットチャートに疎くなって久しいです。聞いたところで多分、JとKの区別もつかないと思う。ゲゲゲの主題歌は辛うじてわかるくらいなわけです。西洋音楽も全然もうわからんようになった。土曜日のお昼にFMのベストテン番組なんかを楽しみに聴いていたのはまだ制服を着ていた頃だったのだろうか。とくに最近はCD屋にすら足を踏み入れなくなってしまっていた。大体、CD屋なんてどんどんなくなっているしね。何度もここに書いたことがあったけど、BALに入っていたヴァージン・レコードが閉店してしまって、わたしの音楽時代はそこで一旦、中休みに入ったように思っている。そんなわけで先日、100円ショップで掃除グッズを物色していたときにかかっていたJ-Popな歌がえらく琴線に触れたことに自分でも驚き、その歌が終わるまでコロコロの詰め替え品を選ぶふりをしながら耳を欹てていたのであった。とにかく韻をよく踏んでいるし、三連符みたいに歌っているし、英語みたいな日本語の歌い方だし、若者の歌なのだろうけど、妙に懐かしく感じたのだった。帰宅してから、どうやってさっきの歌手と曲名を捜索しようかとしばし思案してから、有線放送のサイトをチェックしてみた。探したかったのはその時間帯に掛かっていた曲の情報なのだけど、そんなのをさがさなくてもベストテンの一覧が出ていた。歌詞の内容から見当をつけた曲名をiTunesで検索してみたところ、よかった、ありました。早速試聴してみたところ、大当たりだった。TEEというひとの歌だった。ベイビー・アイラブユーという曲だった。ヒット曲をダウンロードしたのなんて、初めてのことではなかろうか。それ以来、ヘビーローテーションしています。耳に心地よく感じた理由はきっと、サビの部分がきちんとある曲で、歌詞がはっきりと聞き取れたことなのだろうなと思います。

懐かしさの理由はまだわからないけれど、なかなかの名曲だと思います。

午前中はコーヒー飲みつつ、「子どもが描く世界」の続き。「若草物語」は父親不在の物語、その父親の視点から南北戦争と当時のアメリカ社会を描いたピューリッツァー賞受賞作品があるということを知る。「マーチ家の父 もうひとつの若草物語」(ジェラルディン・ブルックス、2010年)という本。読みたい!それからもう何年も繰り延べにしている書評の本をちょっと眺めた。眺めただけで読みませんでした。おしまい。


07-12-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 昨日の「クローズアップ現代」は、予防接種後進国日本がテーマだった。これだけ必須の予防接種の種類が少ない国は日本と近隣半島部の某国だけだという医師のことばが重い。先日、子どもが肺炎球菌を接種したとき、待合室で隣り合わせになったお母さんもやはり、料金が高いからうちは普通のインフルエンザだけにする、と話していた。先々月、某国の国内線飛行機で隣り合わせになった小児科医もまた、日本の予防接種状況をよくご存じで、「他の予防接種はさておき、ポリオは日本で済ませていたとしても、もう一度、某国でも接種したほうがよいですよ」と忠告してくれた。日本は生ワクチンでポリオを経口接種する。これは副作用が少ない代わりに、ポリオそのものに感染してしまうこともあったり、その時の体調次第ではうまく免疫ができなかったりすることも多いらしい。絶対安全な不活性ワクチンのタイプのポリオはいまや世界標準になっていて、主要な先進国およびそういった国からの支援を受けたりしているアジア・アフリカ諸国もまた不活性ワクチンを使っている。日本だけなんです。ポリオはしかも、日本の場合、28日以上の間隔をあけて2回目を接種することになっているのだけど、これは集団接種で、事実上、半年の間隔を開けないと接種できないような仕組みになっている。一休さんの場合は、わたしが「海外に行く予定がある」ことを理由に、29日目に集団接種の期間内に二回接種するための理由書を役所に提出したから、なんとか接種できた。しかし某国の小児科医の先生のお話を聞いたあとでは、無理して日本で接種せずに、某国で受ければよかったといえる。場合よっては10万円近くにもなる有料の予防接種の負担をはやいこと減らして欲しい。ついでに今日のクローズアップ現代のテーマでもあったデバイスラグ、とくに医療分野のもなんとか改善してもらいたいものです。


08-12-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 夫から電話がかかり、わたしが某国語で話し始めると、子どもの顔が急にきらきらとしてくる。いつも歌う子守歌をiPod でかけるとうれしそうに見上げる。一緒に卓上ピアノを弾けば、ばんばんと鍵盤を叩き鳴らし、遊んでいるんだか超前衛音楽を演奏しているんだかわからないような真剣な顔つきをする。バイリンガルの子どもは、ことばが遅いという話も聞く。だからそれほど心配はしていないのだが、子どもは実は耳が聞こえていないらしい。少しは聞こえているみたいではある。しかしその少しがどの程度なのかは、まだ本人が小さすぎて、よくわからないのだという。大学病院の検査室で子どもを膝に座らせ、なんだかよくわからない不可思議なマニュアル式の検査を受けたり、睡眠剤で眠らせて脳波を測定する検査も受けた。今はNICUがあるような病院で生まれたら、生後一週間以内に簡易聴力検査を受けるのだという。わたしが出産した病院ではその検査がなかった。だから、先天的なものなのか、中耳炎が遠因の後天的なものかは、それもまたまだわからないのだという。検査の結果、異常が認められましたという電話がかかってきて以来、高齢出産だったからかもしれない、生後数週間で飛行機に乗せたからかもしれない、お風呂で水につけてしまったこともあったかもしれない、鼻風邪を引いたときにすぐに病院に連れて行かなかったからかもしれないと、あれこれと考え出して止まらなくなる。保育所なんかに行かせるから変な風邪を引いて中耳炎になったのかもしれない。それでも毎日一緒に暮らしていて、ほんのりと明るく温かいものを感じさせてくれる子どもの様子には、何の問題もないように見えるのだ。たいしたことはないんじゃないかな。たいしたことがあったとしたら、それはそのときにまた考えよう。そう思って、明るい顔で過ごすようにしているんだけど、親の因果が子に巡ったのだとしたら、もうなんといっていいのかわからない。いやいや、look on the brighter side of life。一緒にビートルズが聴けなくても、他に一緒にできることはまだまだたくさんあるはずだしね。


09-12-2010 / Thursday [長年日記]

_ 御大に長いメールを書いたり。

_ 某所よりの帰路、久方ぶりに少し遠回りをしてタイガース百貨店を覗いてみる。お気に入りのアクセサリーのお店がどこへ行ったかわからなくなっている。一階にあったアクセサリーやハンカチなどの装身具売り場が二階へ移動している。そういえばちょっと前にリニューアルしたとかなんとか、リオープンしたとかなんとかというニュースがあったけど、あれはいつのことだったっけ。なので今日は思い切って、ブレーブス百貨店(!)でおつかい。ここも大幅なリニューアルで、百貨店の一階がいきなりお菓子売り場になっていた。凸凹に比べてどわーっと人が多く、どちらをみてもすごい人。そうでなくても目がちかちかするから用事をさっさと済ませてさっさと特急に乗り込んだ。どんどん世の中の動きから周回遅れどころか3周遅れくらいのところをえんやこらと走るようになっている気がしてきた。

_ 図書館にて借りてきた「マーチ家の父 もうひとつの若草物語」を電車の中で読む。なんというのか、「若草物語」の雰囲気、かしましい四姉妹の成長譚の漂っている花の香りや温かいミルクの匂いに溢れた「家庭」の向こう側にかすかに透けて見えていた灰色の影(南北戦争)が、ばーんと全面に打ち出されていて、ちょっと面食らう部分がある。マーチ氏は、オモテのお話ではほとんど存在感がなく、それゆえに姉妹は成長していかざるを得ない日常を生きているのであるが、え、こんなにも情報が少ない人の話をこんなふうに広げて描いてええんかいなとさえ思うほどである。まだ最初の4章しか読んでいない時点で感想を書いたりするのはおかしいんだけど、若草物語のスピンオフとかそういう次元の物語ではないことはわかった。あまりよく知らなかった南北戦争のことがわかるにつれ、そこで取りこぼされたことが、今のアメリカにもまだ根強く存在しているんじゃないかとか、そういう問題をつい考えてしまった。アメリカっていう国はアメリカの内部にはなくて、誰かとの相対的な関係で存在している国なのだろうか。なんてわかったようなことを思わず考えてしまいました。


15-12-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 先週の金曜日、「マーチ家の父」も読み終えたし、子どもが寝たら書き物のついでに感想文を書いたりなんかしてゆったりと週末を迎える準備をしようと思っていたら、その晩に限って、いつまでも起きていて、わたしの周りをちょろちょろとしていた子どもが、腹ばいになっていたわたしの上に乗りかかってきた。いつものように遊んでいるのだろうと思って、すぐに上向けに直って両腕で子どもを持ち上げ、飛行機遊びをして、布団に寝かしつけようとしたところ、子どもが突然、嘔吐した。顔が真っ青になっている。本人は初めての経験で、驚いたのか、声も出ないようで、こちらが思わず出した声で我に返ったのか、泣き始めた。すぐに新聞紙を取りに行ったり、タオルを取りに行ったり右往左往してしまったのだが、結局、その場を冷静に取り仕切ってくれたのは母だった。子どもがそれ以上、状況に驚かないように落ち着かせ、熱を測り、水を飲んでも吐くかもしれないからガーゼで口を湿す程度に止め、汚れてしまった毛布や布団カバーを剥ぎ取り、子どもを着替えさせてくれた。呆然と、片手に新聞、片手になぜか台所用布巾を手にしたまま、ああ、これが保育園の先生が話していたウィルスか、、と思った。

その前の日に、一時保育の保育園に行ったところ、おなじクラスの子どもが三人しか来ていなかったのだ。まだ来ていないのかなと思っただけで、その場は子どもを預けてさっさと辞したのだが、夕方、子どもを迎えに行った時も、0歳児のクラスは4人しかいなかった。先生に、他のお友達はどうしたのですかと尋ねると、ノロではないようだが、ウィルスのせいで、みな下痢と嘔吐でお休みをしているんですよと教えてくれた。実は、その日の朝、子どもは元気だったのだけど、今日は保育園に行かせないほうがよいような気がざわざわとしていた。その原因は、これだったのかー、と腑に落ちたのだが、先生が仰るには、もしかすると一休さんも数日中にそういう症状がでるかもしれないとのこと。そうですかとしか言いようがなかった。帰宅して、いつもよりも念入りに、一休さんの顔と手をお湯でしっかりと洗い、保育園から来て帰った衣類はすべて洗濯機にすぐに入れたのだけど、もうしっかりと感染していたのだと思う。

金曜日の夜は、8時になるのを待って、すぐに子ども医療相談に電話をかけ、緊急受診する必要があるかどうかを尋ねた。ノロでもロタでも、基本的に特効薬がないので、嘔吐や下痢が治まるのを待つしかないらしい。脱水症状にならないように注意して、ゆっくり休ませるようにと言われる。嘔吐の後、発熱が顕著になるにつれて、顔色は赤くなり、結局、その夜は、子どもは2回、吐いただけで、あとは寝苦しい夜を過ごしたようだった。翌日の午後になってから下痢が始まったけれど、それ以外は容態は安定していて、さすがに離乳食はたべさせなかったけれど、母乳はしっかりと飲めるようだった。と安心していたら、なんと今度は母とわたしに子どもとおなじ症状が出た。。ついでに激しい頭痛付きで、なんともサバイバルな数日間を過ごしていたというわけでした。わたしは下痢も嘔吐も、某国暮らしの中で頻繁ではないけれど、普通に経験してきたので、じっとしていたらいつかは波が引くように落ち着くとわかっていたのだけど、自分がしんどいときに、子どもの面倒をみるというのは今回が初めての経験だった。ああー、夫がいたらどんなに助かっただろうと、思ってしまったのだった。夫に話したら、某国だと子どもが吐いたり下痢したりというのは、余りにも当たり前のことだから、ボクはあたふたなんてしないよなどと笑っていた。

子どもは今回のウィルス感染で、もっともっと甘えっ子になってしまったよう。今回、帰国してからは、ずっと一人でベビー布団で寝ていたのに、病気になってからはわたしの肩に頭を乗せてでないと寝ないようになった。軽い症状ではあったけれど、病気になると不安になるからだろうな。。でもまたいろんな経験をしてちょっと大きくなったねと言うと、一休さんは、どこで覚えてきたのだろう、肩をすくめて恥ずかしそうなポーズを取って、笑った。


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