_ 先週の金曜日、「マーチ家の父」も読み終えたし、子どもが寝たら書き物のついでに感想文を書いたりなんかしてゆったりと週末を迎える準備をしようと思っていたら、その晩に限って、いつまでも起きていて、わたしの周りをちょろちょろとしていた子どもが、腹ばいになっていたわたしの上に乗りかかってきた。いつものように遊んでいるのだろうと思って、すぐに上向けに直って両腕で子どもを持ち上げ、飛行機遊びをして、布団に寝かしつけようとしたところ、子どもが突然、嘔吐した。顔が真っ青になっている。本人は初めての経験で、驚いたのか、声も出ないようで、こちらが思わず出した声で我に返ったのか、泣き始めた。すぐに新聞紙を取りに行ったり、タオルを取りに行ったり右往左往してしまったのだが、結局、その場を冷静に取り仕切ってくれたのは母だった。子どもがそれ以上、状況に驚かないように落ち着かせ、熱を測り、水を飲んでも吐くかもしれないからガーゼで口を湿す程度に止め、汚れてしまった毛布や布団カバーを剥ぎ取り、子どもを着替えさせてくれた。呆然と、片手に新聞、片手になぜか台所用布巾を手にしたまま、ああ、これが保育園の先生が話していたウィルスか、、と思った。
その前の日に、一時保育の保育園に行ったところ、おなじクラスの子どもが三人しか来ていなかったのだ。まだ来ていないのかなと思っただけで、その場は子どもを預けてさっさと辞したのだが、夕方、子どもを迎えに行った時も、0歳児のクラスは4人しかいなかった。先生に、他のお友達はどうしたのですかと尋ねると、ノロではないようだが、ウィルスのせいで、みな下痢と嘔吐でお休みをしているんですよと教えてくれた。実は、その日の朝、子どもは元気だったのだけど、今日は保育園に行かせないほうがよいような気がざわざわとしていた。その原因は、これだったのかー、と腑に落ちたのだが、先生が仰るには、もしかすると一休さんも数日中にそういう症状がでるかもしれないとのこと。そうですかとしか言いようがなかった。帰宅して、いつもよりも念入りに、一休さんの顔と手をお湯でしっかりと洗い、保育園から来て帰った衣類はすべて洗濯機にすぐに入れたのだけど、もうしっかりと感染していたのだと思う。
金曜日の夜は、8時になるのを待って、すぐに子ども医療相談に電話をかけ、緊急受診する必要があるかどうかを尋ねた。ノロでもロタでも、基本的に特効薬がないので、嘔吐や下痢が治まるのを待つしかないらしい。脱水症状にならないように注意して、ゆっくり休ませるようにと言われる。嘔吐の後、発熱が顕著になるにつれて、顔色は赤くなり、結局、その夜は、子どもは2回、吐いただけで、あとは寝苦しい夜を過ごしたようだった。翌日の午後になってから下痢が始まったけれど、それ以外は容態は安定していて、さすがに離乳食はたべさせなかったけれど、母乳はしっかりと飲めるようだった。と安心していたら、なんと今度は母とわたしに子どもとおなじ症状が出た。。ついでに激しい頭痛付きで、なんともサバイバルな数日間を過ごしていたというわけでした。わたしは下痢も嘔吐も、某国暮らしの中で頻繁ではないけれど、普通に経験してきたので、じっとしていたらいつかは波が引くように落ち着くとわかっていたのだけど、自分がしんどいときに、子どもの面倒をみるというのは今回が初めての経験だった。ああー、夫がいたらどんなに助かっただろうと、思ってしまったのだった。夫に話したら、某国だと子どもが吐いたり下痢したりというのは、余りにも当たり前のことだから、ボクはあたふたなんてしないよなどと笑っていた。
子どもは今回のウィルス感染で、もっともっと甘えっ子になってしまったよう。今回、帰国してからは、ずっと一人でベビー布団で寝ていたのに、病気になってからはわたしの肩に頭を乗せてでないと寝ないようになった。軽い症状ではあったけれど、病気になると不安になるからだろうな。。でもまたいろんな経験をしてちょっと大きくなったねと言うと、一休さんは、どこで覚えてきたのだろう、肩をすくめて恥ずかしそうなポーズを取って、笑った。