_ 某日。久方ぶりに某博物館へ。ウメサオタダオ展を見に行く。大学一回生から学振PDになるまでの足かけ9年余り、アルバイト要員として長らくお世話になった場所で、いろいろな人とも久しぶりにお会いした。生前の大先生にも何度もお目にかかったことはあったが、お話はしたことはない。なぜか運転手のおじさまに可愛がられていたので、ときどき、車に乗せていただいて、公園の中をドライブに連れて行っていただいたりすることがあった。といっても、年に一、二回だったけど。そういうノスタルジイも含まれるからだったのだけど、どちらかというと地味目の展示の、特にフィールドノートやらカードのコピーを手にとって読んでいると、もうそれだけで、万感の思いが迫ってきて、あれこれあれこれ考えた。わたしのノートはとても人様に公開できるような代物ではないけれど、ちょっと似ているところもあって、密かにうれしいと思ったところもあったり。いろいろ、いろいろな思いが頭の中に浮かんでは消えていく瞬間に、ああ今のこの時にノートをもっていないなんて、やっぱりわたしは終わっているよなあ、なんて改めて思ったりしたけれど、なんか違う別の感慨もあったりして、全体的に元気に気分になった。久しぶりの常設展示も、結構、大きな入れ替えもあったけれど、わたしの好きな展示コーナーは、ほとんど変わってなくて、これもまたノスタルジイに浸る。子どもも、ほとんど人のいない館内を好きに走り回って、言語コーナーのはらぺこあおむしの前では、根が生えたように動かなくなってしまった。そしてこれまた感慨深かったのは、引き離しても引き離しても、子どもが舞い戻ってべったり顔をつけて見入っていた展示コーナーが、かつてわたしがかかわった資料であったことだった。子どもにもその面白さがわかるんだろうか。もっともっとじっくりとみたかったけれど、それでも朝から出かけてもう午後三時半になっていた。大急ぎで挨拶を済ませて、バラ園をちょっと見て帰宅の途に。子どもは疲れて、わたしも大いに疲れて、帰りの電車では二人して爆睡した。
ちょっとことばにまとめられないくらい、頭の中がすっきりとした感じでいっぱい。行ってよかった。