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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

03-07-2011 / Sunday [長年日記]

_ あ!修正できるようになっている!よかった、よかった〜。「一線構える」って、いったいなんやねん〜と思ってそのまま足下の地中に沈んでしまいたい気持ちになっていたのを無事に修正できたので抑えることができました。めでたし。

片付けのときに、かつての愛読の書、アン・タイラーの[歳月のはしご」と再会した。その場で読み耽りたい衝動を抑えて、帰りのバスの中で熟読。おかげで下に着いたときは軽く車酔いをしていた。それから電車に乗り換えて、ずっとずっと読み続けた。高校を卒業して一ヶ月しないうちに将来の夫と出会って結婚して三人の子どもをもった40歳のディーリアが主人公。決定的な家族の問題というものはなかったのだけど、ある夏の休暇で訪れた浜辺で、突然、ずんずんと家族から離れて歩き始めた。知らない小さな町に住むことに決め、小さな下宿に部屋を借り、弁護士事務所の秘書の職を見つける。水着に夫のビーチローブをまとっただけの格好で、町に降りたって、雑貨やで肌着を買い、ワンピースを選び、試着室で着替えてしまうということが、アメリカではどれくらい普通のことなのかわからない。でもそのことに疑問を持ち始める前に、すべては自然な流れで片付いていて、もちろん数週間後には、実の姉が所在を確認にその小さな町にやってきたりもする。失踪したままで、まったく違う人生を歩むことになったという小説ではない。かつても、そして今回も、この小説の何にそんなに魅力を覚えたのかと考えると、ありきたりのことだけど、人生ってほんの小さな気の持ちようとかいつもと違う小さな思い切った行動とかで、なんとでもいとも簡単に変えることができるということ。でもその変えた人生が、百点満点ということはないし、正解ということでもない。ただなにかにこだわり過ぎず、すっと力を抜いて別の思い切ったことをしてみるのも悪くはないなあということを、考える。それが魅力なのかなあと思うのだ。この小説は大好きだ。

_ 山の家の片づけ。ちょっと一瞬雨が降ったりしたからなのか、狭いところでの作業だったけれど、さほどに暑さを感じずに済んだ。その作業中、懐かしい写真を数葉、発見する。22歳とか23歳の頃、当時のアルバイト先の先輩たちと一緒に宝塚の山の渓流でバーベキューをしたときのものだった。なんというのか、自分がとっても若くてびっくりしてしまった(当たり前なんだけど)。もともと日焼けしにくくてどちらかといえば白地ではあったけれど、写真のわたしは今のわたしが見たらほとんど北欧人かと思うくらいで、時代を反映して眉は若干太く濃く、口紅の色は当時、ものすごく愛用していたブルジョワの48番(だったかな)が、はっきりと見える。頬紅なんて塗ってなくても明るい色のほっぺたをしていて、なにも塗らなくても睫毛も濃い。三宮のセンター街に、今もおそらくあるであろう、輸入化粧品の安いお店があって(なんて名前だったけかな)、日曜日に大学の友だちとはるばる遠征して買ったものだった。そういう外見の様子は、もちろん経年変化による老化を経験した今からみれば、確かに眩しいような若さに溢れていて、恥ずかしいような気がするだけなのだけど、胸を打たれたような衝撃を覚えたのは、顔の表情だった。なんだかものすごく屈託がないのである。何も考えていないような、いや考えているのかもしれないけれど、いわゆる苦労とか辛酸とかそういうのとはまったく縁がないような平和で穏やかな顔をしているのである(とはいえ、この頃だって結構しんどい思いをしているはずなんだけど)。自分はこんな顔だったのか。。今は生活に追われて、いつも誰かと一戦交える覚悟を決めていることをできるだけ表に出さないよう、しかし絶対に負けるもんかと常に気を張っていて(というか、絶対に騙されるもんか!と思い込みすぎているところがある)、油断も隙もない顔つきをしている。もともとどちらかというと無表情なのではあるが、写真のわたしはとても親切で素直そうな顔をしているようだ。あの頃、わたしはどんな本を読んでどんな映画を見てどんな音楽を聴いていたのだろうか。さくさくと部屋に堆積している自分が通り過ぎた本やCDの山を整理していると、今の自分に一体全体、こういったものの影響がどれくらい反映されているのか、甚だ心もとなくなってきた。結局、なにも肥やしにせずにここまでやってきたのだろうか。脳内バックトゥーザフューチャーしながら、もっと頭をからっぽにしたほうがええなあと、何度も何度も思ったのだった。そういえば、20歳のとき、パスポートを申請したときの証明写真も出てきた。まるで文革時代に農村に下放された北京大学の大学院生が四川省の農村で出会った村娘みたいな三つ編みのおさげに、カーディガンの襟元からきちんと出した丸襟のブラウスを着ている。一体、いつの時代の写真なんだ。母や祖母の若いころの写真といってもいいような自分の顔を見ていると、何を失って何を得たのかと考えずにはいられなくなった。


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