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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

30-09-2011 / Friday [長年日記]

_ どぶ川といってもよいような川沿いにあるThe Majestic Hotelは、今では世界遺産に指定されているマレー半島はマラカにある植民地時代に建てられたホテルである。たいそう豪勢な名付けがされているが、二階建ての木造建築の外観からは往事であっても、それほどに威厳があったとは想像しにくい様相を呈していたのではないかと思われるようなものだった。金子光晴が大好きで、なんとなく足跡を辿る旅をしてみたかったわたしは、ある会の懇親会で、今度そんな旅行をしてみようと思っていますと、ある先生に話した。なにかそういう流れがあったのだろう。しかしだからといって、なにか旅に役立つような情報を得たかったということではなかった。ところが思いがけず、件のホテルに泊まると金子光晴が島嶼部アジアを歩いていた頃を偲ばせるものがあるはずですよとの助言をいただいたのだった。果たしてわたしは、シンガポールから半島に入ってバスを乗り継いでいくつかの寂れた町で宿を取った後に、マラカに到着し、そのホテルを目指したのだった。

チェックインしたのは午後二時頃。ぎしぎしと音を立てる階段を上りながら、夜になったらこのホテルに戻る道は少し怖いかもしれないと思ったことを思い出す。確かにものすごく余裕のある造作である。廊下の広さが八畳間ほどの幅に見えた。一階だったか二階だったか、そこだけぴかぴかに光るほどに木製の手すりが磨かれていたのか、あるいはそれだけ多くの人がそこに集まったからなのか、バーカウンターが見えた。テーブル席があるようなところには、さすがに歴史を感じさせるような重厚な威厳を放つビリヤード台が見えた。値段は47リンギットだと言われた。学生割り引きはないかと交渉。朝食がつかないのだからと45リンギットになったのだが、もともと45リンギットだったんじゃないかと思うほど、あっさりとまけてくれた。40といえばよかったと思ったけど、お遅すぎた。わたしにあてがわれた部屋は二階で、高い天井には約束事であるファンが据え付けられており、天蓋ベッドではなかったけれど、大きな清潔なキングサイズのベッドがあった。キングサイズというのは、ダブルベッド二つ分の広さである。部屋は明るかったが、ものすごく誇りっぽく、ペンキというのか装飾が剥げた木造の部屋の造作は、場末感すら漂うようなものであった。浴室は恐ろしく広かった。そして清潔だとも言いがたかった。ただしとても明るかった。猫足の浴槽に入るのはそれが初めての経験だった。恐ろしく愛想の悪いフロントの華人系の初老の男性は、交渉の間も、部屋に案内してくれる間も、ずっと無表情だった。学生だからと言ってまけてくれというような客はおまえが初めてだといいたいけれど、客だから我慢していわないという気持ちが伝わってくるような気さえした。

荷物を部屋において、さっそくマラカの歴史観光を適当に済ませて、早めに帰宅しようと考えていたので、足早に街を駆け抜けようとしていたのだが、思いがけず、旅の仲間ができた。東京から来た女性で、渋谷のレコード屋(当時だってすでに死語だったはずだけど、その人はその有名CDショップのことをそういったのだった)に勤めるわたしより少し年上の人だった。ふたりでマラカともマレーシアとも全然関係のない歌手やバンドの話をして、一人だったら絶対に入らなかったような郷土料理の店に入って昼食を取ったのだから、チェックインが午後二時というのは記憶違いだったのだろうか。部屋の中の埃の空気にきらきらと差し込む日差しは、午前中でも午後のような柔らかさを感じさせるものだったからなのだろうか。それからずっとその人と一緒に過ごして、夜ご飯も中華食堂で肉骨茶を食べた。歩道に面したテーブルで行き交う人を見ながら食事を取り、ふと食堂の前の歩道の水槽やらタライが並んでいるのに目をやり、茶色にはっとするほど鮮やかな赤色の水玉の何かが見えたとき、それ以上見てはいけないという信号を受け取ったはずだったのに、ついつい凝視して、それが水蛙だと確認したときは、一層、このどぶ川沿いのあのホテルに一人で帰るのが怖くなった。わたしにはそのカエルがこのどぶ川で捕らえられたもののような気がしたのだった。あの無愛想なフロントの男性が夜になると網でカエルを浚えている姿が見えるような気がしたのだ。

あのマラカで過ごした数日間から、どれくらい年月が過ぎたのだろうか。レコード屋の女性に約束した写真を届けることも叶わぬまま、そのレコード屋ももうとうの昔に渋谷からはなくなってしまった。このホテルのことは、何年か前にもこの日記に書いたことがあったような気もする。それからだってずっと忘れていたのに今、また思い出したのは、先日、NHKで「グッドモーニング・ベトナム」を観たからである。大使館員やらロビン・ウィリアムズやらが泊まっていたホテルは紛れもなく植民地風。撮影地はタイだというから、実際には植民地建築ではないのだろうけど、そういう造作だった。それをみて、これまでにいろいろと泊まったことのあったコロニアルホテルのことを思い出したというわけである。それで、ふと思い立って、The Majestic Hotelを検索してみたところ、どうやら数年前にリノベーションしたらしい。昔、わたしが泊まったときの様相とは似ても似つかぬ、しかしなんとなくそういえばそういう雰囲気もあったなあ、しかしこれはまたえらい大幅改装やなあというモダンな感じに生まれ変わっていた。ホテルに対するレビューを読んだ。「従業員教育がなっていない」「愛想が悪すぎる」とある。これは間違いなく、あの日、わたしが泊まったホテルだ。もう一度、泊まりに行きたいような気がするけれど、たぶん、もう二度と行くことはないだろう。いつか子どもに話してみよう。子どもが行ってくれるかもしれないし、いやがるかもしれないけど。


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