_ 13日の金曜日だ。普通に天気が悪く、衛星は打ち上げ失敗。ちょっと時間があったので、Youtubeで遊ぶ。昔の、古い昭和歌謡曲をずっと聴いていた。ほとんど歌えたりすることにちょっとびっくりしつつも、名曲ばっかりだなあと感心してしまった。中でも、松原みき(故人となってしまわれた)の「真夜中のドア」は、とても思い出深い。小学生だったと思うのだけど、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」が大好きだった。毎日、毎日、繰り返し読んだものだった。その頃、FMラジオから流れてきたこの曲が、どういうわけか、イギリスのファンタジー文学の世界に相応しいテーマ曲に思われてならなかったのだった。ところどころ、児童文学と日本のポップスの間にシンクロするものがあって、小学生ながらそれに感応していたのだと思う。その頃のことを思い出したりしながら、ネットサーフィン。あと繰り返し聞いてしまったのは、沢田研二メドレー(笑)。いや−、かっこいいですね。みとれてしまいました。貴重な時間をこんなふうに退廃的に過ごしてしまって、無駄にしてしまって、やっぱり13日の金曜日だななんて思ったりしました。
我が家のちびっ子は、やっとのことで積年の希望が叶い、保育園に入園できました。毎日、通いたくない人をなだめながら、新しい季節を過ごしています。
_ ハローワークの前の桜堤の花が満開だったのが先週のこと。今日はもう枝に残っている花のほうがすくなくて、一面が花びらの敷物になっていた。結婚した年の春に、一時帰国したときのこと。夫に桜を見せたくて、ほんの少しだけ桜の花を枝から摘み取って、手帳に柔らかく挟んで押し花にした。もう辞書も手元になかったので、少しでも柔らかい雰囲気が残るようにと、押し花の作り方に逆らった言い訳としたのだった。昨日、子どもと一緒に遊んだ公園で、木馬に乗った子どもの背中に、花びらがはらはらと落ちてきた。バネ仕掛けの木馬を、子どもはなんとか自分の重さだけで揺らそうとするのだが、力が足りなかった。二人乗りをした木馬は、まるで酔っ払いの馬のように前後に揺れて、子どもは喜んだのだが、少し不満そうでもあった。自分一人だけで揺らしたかったのだ。わたしはそっと木馬を降りて、隣の機関車の形をした木馬に乗った。一人乗りの木馬に重たい大人が乗ったので、木馬は勢いをつけて前後に大きく揺れる。子どもは不満そうな顔をして、ママ、こっち、こっちと、また後ろに乗るように指令を出す。子どもよりも楽しそうに遊ぶ母親に呆れたような、そんな顔をしていたので、子どもを促して、図書館へ急いだ。子どもとふたり、木製のベンチに腰掛けて、あれこれ絵本を読んで、ふたりとも楽しんで家路についた。
_ かねがね、ジョナサン・ケイナーの西洋占星術は、いわゆる占いというよりも、カウンセリングやさんみたいな感じに思っていた。石井ゆかりに対しても、そんなふうに思っている。基本的に占いは信じないのだけれど、このふたりの占いは、なんというのでしょうか、返事を書くことはできない手紙が届いたみたいな感じで、ふむふむと頷いて毎回読んでいる。で、ジョナサン・ケイナーによる4月のおうし座の月間占いを読んで、一人爆笑しておりました。以下が、その全文。
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世の中には、無人島に建てられた豪邸で余生を送ることを目標にする人がいま す。そうかと思えば、ヒマラヤ山中の洞窟にこもって、心の静けさを得ることを 夢見る人もいます。しかし、人通りの激しい街の通りにいても、人気のない牧草 地にいる時と同じくらいの心の平和を得ることは可能なのです。それに、心配事 や腹立たしい記憶に注意を払っていたら、人里離れた田園地帯に行っても、心配 事や記憶はあなたについてくるはず。
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実は2月から3月にかけて、ちょっと某国で、日系企業での就職活動をしたりなんかしていたのだった。もちろん全滅全敗です。で、ジョナサンの占いを読んで、うひゃー、確かにそやわー、日本でも就職できひんのに、外国でできるわけないっちゅうねん!と、ひとりでバカ受けしてしまったというわけでした。確かにあの就職活動が終わって、まるでハーフマラソンを毎日走ったかのように疲弊して得た結論があったのである。わたしは多分、その問題とどう折り合いを付けるかを自分できちっと答えを出さないと、きっと何をやってもだめなんだろうなと思ったのだった。それをきっちりと改めてジョナサンに指摘されたような気がしたのだった。