_ 頭にどんな種類のことばがつくのかわからないけれど、強迫神経症めいた状態だったのだろうと思う。7月をどうすごしたのかまったく記憶がない。それくらい暗く俯いて就職活動に全エネルギーを注いでいた。切実な理由としては保育園に子どもを預けられる資格を喪失してしまう恐怖心があった。もう終わりだ。履歴書を出したり、インターネットからエントリーした数は100どころじゃなかったと思う。もちろん全部、外れた。正確にはひとつ採用になったのがあったのだが、精神的に辛くてかかってきた電話に出られないようになっていたために、落としてしまった。どうせ残念ながら…という連絡しか自分にはかかってこないと思い込んでいたからだ。生活保護を受けるという選択は、保育園を追い出されてからと考えていた。もう切羽詰まりすぎて、どうやって毎日を過ごしていたのか覚えていない。8月になってからも出す履歴書が全部外れで、インターネットで申し込んでも「残念ながら…」と返信がくるのはよいほう、まったく反応なしという結果の連続で、就職できるのが先かあるいは…と考えていた。10日前、某国から手紙が届いた。去年の終わりに履歴書を送っていた大学からである。20対1の面接や学部長との面接を経て採用となっていたものの、ずっとずっとずっと音沙汰がなくて、こちらから出したメールにも返信がなくて、もうなかったものと思っていたところからだった。待遇もなにもかもまったくこちらの希望にはほど遠いけれど、とりあえず仕事が見つかった。たぶん、そこがベストなのだろうと思う。しばらく気の抜けた風船のような日々を過ごしてそしていま、渡航費の金策に東奔西走している。お金がなくても人は生きられるとは思うし、なければないなりになんとかはなるものだ。それでもお金があると心に余裕ができる。心に余裕ができると、ひとつの凝り固まった考え方から脱却できる。貧しくとも心に太陽をとか、清貧の思想とか、いろいろあるのも知っている。だからくじけてはいけないのだけど、みじめな気持に押しつぶされてしまうこともあるものだ。お盆の間だけはみじめに落ち込んで、それからまたしばらくがんばってみようと思う。もうちょっとがんばったら、なにかがきっと変わるはずだから。