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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

06-11-2013 / Wednesday [長年日記]

_ あっという間に11月に入って、もう6日になっている。10月の末、アパートの中で、一階から二階へ引越しをした。一階の部屋は、わたしのようなものにはもったいないくらい広くて快適で、涼しかった。お風呂も、小さいながらもちゃんとした洗い場があり、そこに腰かけて、髪を洗ったりくつろぐことができた。二階の部屋は、前に、知人が住んでいたときにみたことがあって、部屋のことはよく覚えていないけれど、お風呂が少し狭くて洗い場がちいさなシャワーブースがある、普通のユニットバスのような感じだったことを覚えていた。引越しを予定していた日よりも、数日早く、引越しをするようにとの連絡があったので、お手伝いさんと一緒にばたばたと荷物を二階に運んだ。リビングは、一階の部屋よりも二割ほど狭くなった。でもそのかわり、玄関からみて右手は部屋の奥行き分に三面の大きな窓がある。左手側にはバスルームと寝室。寝室は一階のへやよりも広く、作り付けのタンスも一棹分?多い。小さな整理ダンスもふたつあって、ドレッサーの抽出しも合わせると、収納はまったく問題無し。しかも小さなバルコニーがついていて、ここに洗濯ものが干せる。そしてこちらの窓からの風がとても気持ちよい。

寝室のエアコンもとても静かでよく動く(一階の部屋は、音だけはすごいのだが、まったくエアコン機能が働いていなかった)。欲を言えば、シーリングファンの状態が少し悪いことくらいか。台所に備え付けのあれこれも、一階の部屋のときよりもよかった。日本人的には、光がたくさん差し込む二階の部屋の方が、ずっと好み。こちらの人は、窓はできるだけ小さく暗く、日中も全然、空気を入れ替えたりしないのが好みなので、普通の家の窓は小さくて遮光ガラスになっている。でもこのアパートは、基本的に外国人向けあるいは都市生活者向けなので、窓は透明で大きく、風がたくさん入る。なので、昼間も窓を開けているのは、わたしと二階のトルコの人だけ。あとの部屋のこちらの人たちは、全員、窓を締め切っている。そしてエアコンをがんがんと入れている。

お風呂の記憶も、思っていたよりはずっと広くて、お風呂用のプラスチックの椅子を買ってきたところ、それで全然オッケーになった。快適に暮らしている。ただ、大学からちょっと遠いのだけが難点。

10月の中頃、お給料はいつ、どうやってもらえるのかなと、秘書さんに尋ねたところ、たぶん学期末だろうと、普通の顔で言われた。ええー。と唸ってもどうしたって、出ないものは出ない国である。心証を悪くするのも得策ではないので、ああそうですかと受け止めた。仕方がないです。

二階の部屋に移動したら、インターネットを引こうと思っていたのだけど、二階のわたしの部屋だけ、電話回線が届いていないとのこと。お給料も出ないし、これも今少し、ベンディングと相成った。

二ヶ月が過ぎたけれど、未だ、仮住まい感を払いきれないのは、こういうもろもろのせいなのかなと、あれこれ考える毎日です。


14-11-2013 / Thursday [長年日記]

_ アパートの部屋の引越しが終わり、ようよう荷解きも完了したと思ったら、今度は大学の部屋の引越しがある。今は、日本語学科の教職員が全員ひとつの部屋に集まっている。小学校や中学校の職員室のイメージで、机がコの字型に並んでいる。それぞれの机の前には、卒論指導用の椅子がおいてある。この部屋の構えがきらいな人はきらいだろうけれど、わたしは意外なことに、きらいではない。それが、文学部の教員はこれから全員一人一部屋というお達しがあったとのことで、今、すべての学科が民族大移動をしている。わたしも一部屋もらえるという話である。それでこの2週間はずっと落ち着かない生活をしていた。その2週間の間に中間試験もあって、睡眠時間も全然足りなかったし、家も大学もざわざわして全然落ち着かなかった。明日、新しい個人研究室へ引越しですよと、2週間前からずっと毎日毎日、お触れがあって、いつでも荷物が出せるようにとずっと荷物はダンボールに詰めっぱなしだったのである。で、明日かあさってにいよいよ引越しという最後?の通知が、今朝、出された。しかし、現時点で、移動先とされる部屋の壁はまだぶち抜かれていて、エアコンも取り外されていて、天井の照明でさえ、保護用のビニルがかけられている。でもきっとなんとかなるのだろうなあ。そういう国だから。不思議なことであるけれど、なにもかも最後にはつじつまがあうようになっている。なにもかもなぞだけど。


21-11-2013 / Thursday [長年日記]

_ 文学部は、全17学部の中で、教員一人あたりの研究活動の成果および競争的研究資金の獲得のランキングが、もうずっと最下位なのだという。その理由が、個人研究室がないからだということに求められたこと、だからひとりあたりの学術的生産性を上げるために、今年度中にいずれ個人研究室が与えられるという話は聞いていた。で、既存の使われていない平屋の一棟が、日本語学科に割り当てられた。壁を設置して個人研究室を工事するということで、それが完了次第、引っ越しがおこなわれるといのことだった。そしていよいよ来月あたりという声が聞こえてきたのが、先月の末のこと。いつでも引っ越しできるようにと、荷物をまとめる人も出始めた。わたしはというと、もともと荷物がまだほとんどなかったということに加えて、いつも机の中は空っぽにしておくようにしていたので、ほとんど荷物は皆無であった。プリント類はどんどん処分していたし、書類箱がひとつとファイルが3つほど。でも引っ越し用の段ボール箱に一応いれて、用意はしていた。

今週の月曜日、朝、学校に来たら、部屋がもうからっぽになっていた。なにもない。もう引っ越したのかと思って、新しい部屋に来てみたら、共用スペースの小さな物置部屋に段ボール箱が天井まで山積みになっている。え。わたしの箱は、大きな模造紙の箱を入れたので、箱の上を閉じないでいたために、段ボール山の山頂に据えられていた。そしてその山頂部は、天井部と接しているのであった。しかし荷物が詰め込まれているその部屋は、他の三方はせいぜい段ボールが一段か二段積まれているだけである。段ボール山の部分は、裾野の直径が2メートルほど、高さが4メートルという、曲芸的な積み方によって造山されていた。どうしたらこうなるのか。まったく不明。わたしはしかし、いかにもこちらの人のやりそうなことだなあと思って、楽しくみていた。そう、楽しくないと、段ボールを運ぶ作業なんかできないのである。辛い仕事の中に、楽しい要素を見いだしたからこそ、雨が降る日曜日に、工事の人たちはこんな仕事が出来たのであろう。楽しく、わたしは感心もしていた。

しかし。他の先生たちは大ブーイング。なまじ日本経験が長い先生ばかりなので、こういうことは日本ではありえないという反応が先に立ってしまったようでもある。まあまあ、とわたしがなぜか取りなして、片付け作業を始めた。

床だってほこりだらけ、煙草の吸い殻だらけである。気の早い先生は、掃除の人を待たずに、たわしやモップでこすり始めた。みんながなんとなく落ち着きを取り戻した矢先、なんと今度は、部屋のペンキを塗り替えるという。ここに至って、さすがのわたしもなんじゃそりゃ?という反応を示したのだが、その次のことばを聞いてさらにどひゃーとこけてしまった。ペンキを塗ったあと、新しく窓を付けるので、壁をぶち抜く工事をするとのこと。段取りとか工事計画とか、そういうものが全くない国だとはよく知っていたけれど、もう笑うしかない。。無駄を省くとか、エコとか、そういう発想がゼロ。。そこでアカデミックな生産性を上げる活動をせよというのは、ちょっと無理な話ではないのだろうか。インターネットが開通するのはどうやら来年初頭とのこと。電話だって、まだ電話線が引かれていないとのこと。すごいなあ、すごいよなあと、ひたすら感心して、おもしろがっています。「センセイ、こんなことになって、スミマセン」などと謝ってくれる先生もいらっしゃるのだが、思えば、わたしはずっとこういう不思議な世界を観察してきたから、別に驚くべきことでもないと受け止めているのである。日本がやはり突出して変な国だと思えば、別に何事もどうということではないのである。


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