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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

07-05-2014 / Wednesday [長年日記]

_ 日本の大学時代からこちらで断続的に調査をするようになって、初めて日本人会というものに所属するようになった。それまで長くコミットしていた場所にも、戦前からの日本人会があって、そちらのほうがずっといわゆる日本人会らしさを呈していたのではないかと思う。例えば、メンバーのほとんどが日本あるいは日系・現地企業等に所属する男性であるとか、その次に多いのが外務省および援助関係の人々であるとかである。今、住んでいる場所は、教育機関が多いことや伝統文化関連の施設が集中していることもあって、広義の学生が多い。現役の日本の大学生で、短期留学や交換留学で滞在中という人が圧倒的に多い。さらには、会社を辞めて留学しているという人や、学生留学で渡航して以来ずっと当地に住み続けるようになったという人が続く。当地に進出している日本企業がひとつかふたつしかないこともあって、いわゆる大人の社会人は、極めて少ない。その代わり、学生でもない、企業人でもないという日本人が圧倒的多数を占める。

_ 会員とか在留邦人の多様性自体は、全く構わないのである。ただ、「それはどうだろうか・・」と思う行動を取る人に接すると、少し複雑な気持ちになる。基本的には見ざる・言わざる・聞かざるという態度を取っているのだから、無視しているのだが、会社に所属する人が多数派であれば、こういったことは起こらないのだろうかと、一人悩ましく考えることがしばしばある。

さらに悩ましいのは、そういう他人のよろしくない行動について、詳細を知らないのにも関わらず、あちらこちらで悪口めいた批判を口にする人たちの存在だ。距離を置くように心がけているうちに、いつの間にか、わたしの周りには日本人がほとんどいなくなってしまった。みんながそういう風評を流す人ではないのだが、日本人そのものと付き合いをするのが、面倒になった結果である。今では日本人会でも、ユーレイ会員として所属するようになった。もし子どもがいなければ、もっと早くに退会していたと思う。しかし子どもがいるからといって、子ども中心の活動が定期的に開催されるわけでもないから、日本人会に所属するメリットというのは、実のところほとんどない。ぐいぐいと会を引っ張っていく人がいるわけでもない。邦人安全情報に関しては、大使館に在留届を提出しているので、滞りなく、情報は入手できている。現地の安全情報に関しては、夫をはじめ、近所の人や同僚からの情報の方が圧倒的に早い。ただし、情報の信頼性については疑わしいことが多いのだが。

_ 海外で、ある程度まとまった人数の日本人がいると、それはそれで、またいろいろたいへんなのだった。世の中、本当に次から次へと、いろいろなことがずっと続いているのだなあと、感慨深い。先日、入国管理事務所で、驚くべき事態に遭遇して以来、日本人というのは、すごいな…と、ずっとショックを受けている。


10-05-2014 / Saturday [長年日記]

_ 休日出勤。なぜかというと、明日、日本語弁論大会があり、わたしが教えている学生が数名、出場することになっていて、最後の仕上げがあるからである。しかし、待てど暮らせど、誰も来ない。たぶん、来ないんだろうなあ。。まあしかし、のんびりひとりでこうしてインターネットができるというのは、なかなかないことなので、よしとしています。Youtubeで音楽聴いたりもできるし!キョウだけは、のんびりしようと思っています。


21-05-2014 / Wednesday [長年日記]

_ 相変わらず、待遇関連ではまったく進捗がなく、一応、毎週月曜日に、どうなっていますかとだけ、学科長に尋ねることにしている。滞在ビザについても、予想外のややこしい局面を迎えるというアクシデントがあった。しかしだからといって大学が何かしてくれるということでもない。じゃあもう辞めるしかないよねえという状況になったとしても、きっと大学は、ああ、そうですよねえ、じゃさよなら、というだろうと思う。ネイティブ教員が必要だから採用されたわけなのだが、本音と建前の大きな違いや、状況主義的に対応される場面が多すぎて、なぜわたしが必要なのだろうかと考え込まざるをえない。ありがたいポジションではあるのだが、所詮は外国人だから、取り替えが効く存在だと思われているのだろう。なかなか安住の地に恵まれないものである。ずっと苦労している。

仕事の関係で、頻繁に日本と当地を往復する知人に、ユーミンの40周年記念アルバムを買ってきてもらった。これを学生に聞かせて、どんな状況か想像して寸劇を作ってもらうというつもりだった。ところが、学生には「懐かしの演歌」にしか聞こえなかったようだ。全然、盛り上がらず、どんなふうに事態を収拾すべきかひじょうに困る羽目に陥った。やっぱり、日本語がはっきりと聞こえすぎたり、わかりやすいメロディーというのは、今時の若い人にはもうひとつだったのだろうか。

で、学生になにもかも任せて、ドラマの準備をしてもらっている。このドラマというのがたいへんくせ者だった。今学期が始まって2回目の授業のときに、「あ、そういえば、3回生はドラマをお願いします」という指令が突然出されたのだった。え?し、しかし、わたしはもうシラバスも作ってあって、教材だって準備して・・・ということばを挟む余地もなかった。なぜならば、3回生のドラマは恒例行事であり、毎年、ビデオ撮影をして、みんなが楽しみにしているからだそう。。しかし、わたしが来て以来、そんな話は一度も聞いたことがなかったのに。いつも仲良くお茶飲んだり、雑談なんかしたりしているのに、なんでそんな大事なことをもっともっと早くに言ってくれなかったんだろうと、かなり気持は落ち着かなかった。でも所詮は外国人なのである。そして、まだまだ新人なのである。もっと自分があれこれ先に情報を収集すべきだったのだろう。いろいろ考えて、ドラマの役に立つような授業を慌てて組み立てた。しかし、自分の準備不足を解消する余裕もなく、結局、なにもかもその場しのぎ的に取り繕うようなことになってしまった。せっかくのネイティブの授業なのに、こんなことになって学生に申し訳ない。仕事の場面での話の進め方とか情報の引き出し方とか、長々とこの国に関わってきたけれど、ほんとによくわからないことが多い。本当のことはどこかにある、しかし、それがどこにあるのか、誰にもわからないままに何かが始まって終わる。だから、その間の出来事が一体なにを表すものであったのか、どんな意味があったのか、永遠にわからないのである。反省して次回に活かすとか、そういう発想もない。いいとか悪いとかの問題でなく、そういう適当さとどのように付き合っていくべきなのか、未だによくわからないでいる。


26-05-2014 / Monday [長年日記]

_ 押し入れにはオシイレ仮面が、お風呂場にはシャワーマンが、うるさく騒げばオオカミ男が現れる。そういって、いつまでも起きていたい子どもを寝かしつけ、お風呂で遊びたがる子どもを制し、大声を張り上げて遊び回る子どもを大人しくさせようとしてきた。しかし、当地には押し入れはなく、お風呂は日本の風呂場の2倍ほどの広さがある。オオカミ男になりたいと思い始めた子どもには、どんなことばも効かなくなってしまった。風呂場には、日本地図と各都道府県の名物をイラストで表した表を貼っている。秋田県のところには、なまはげの絵が描かれている。子どもの弱点はなまはげであった。あるとき、業を煮やして、「そんなことばっかりしてたら、なまはげが来るで!」と言ったところ、怖いもの知らずの子どもの顔色が変わった。本気で泣き出すのである。よし!やった!とばかりに、この頃は、ずっとなまはげで、子どもを怖がらせている。たぶん、子育てとしては、よくないやり方なのだろうけれど、おもしろいくらいに子どもがおとなしくなるので、トラウマにならない程度に、なまはげさんにお願いしている。風呂場のイラストは、どちらかというと、全然怖い顔には見えないただのイラストなのに、子どもは子どもなりに恐ろしい存在だと受け止めたのか、なまはげだけには来てもらいたくないと真剣に考えているようである。子どもはおとなとはまったく違うんだなあ。わたしも子どもの頃、いつも寝るときに、壁を向いて寝るのが怖くてしかたがなかった。なぜだったのか、今でも全然わからない。いつも壁とは反対側の景色を見ながら寝ていた。時々、夜中に目が覚めたときに、壁を向いていることがあった。するとその瞬間に、もう怖くて怖くてしかたがなくなって、慌てて両親の寝室に走っていくのであった。だから、今でも、壁を向いて寝るのは苦手である。いつも、天井を見て寝る。こちらではわざわざベッドの置き方を工夫して、壁がどこにもこないようにしたほどである。壁となまはげとは全然、違うものではあるけれど、子どもがずっと怖がらないように、いつかきちんとなまはげさんの役割について、説明しなければいけないと思っている。


27-05-2014 / Tuesday [長年日記]

_ 昔、大阪・アメリカ村の雑居ビルの一階に、Pat O'Brienという名前の店があった。もしかすると、今でもあるかもしれないけれど。そこは今風にいうなれば、カフェということになりそうな雰囲気だったけど、700円だったか800円だったかのランチメニュー数種あって、それくらいの値段のケーキセットもあって、ちょっとアメリカン・カジュアルな内装だったような記憶がある。3回くらい行ったことがあったのは、隠れ家とまではいわないけれど、ちょっと中に入り組んだところにあって、かならず座れるからだった。急に思い出したのは、ゆうべ、夜中に目が覚めて眠れなくて、「色彩を持たない多崎・・・」を読んだからだった。読みながら、そういえば、高校時代、全員女子だったけど、仲良しグループでよくいろいろなところに出かけたなあと思い出したからだった。そのうちの何人かとは、極めて不定期的に連絡を取り合っている。でもあとの人たちたちとは、高校卒業後、たぶん、一度もあったことがない。みんなで最後に出かけたときもPat O'Brienでケーキを食べたような記憶がある。「多崎」については、どんなふうに評価すべきなのだろうか。恐らく、少なからぬ人数の人が感じたのではないかと思うけれど、「ノルウェイの森」を薄くしたような、あるいはそこからインスピレーションを得た人が似たような小説を書いてみたらこうなったとでもいうような、そんな感じがした。好きか嫌いかとか、面白かったとかつまらなかったとか、そういう感想ではなく、「全編村上春樹的」という感想しか思い浮かばない。肯定しているのか否定しているのか、自分でも不明。

徹底的に小説に飢えている。貧乏じゃなかったら、そしてちゃんとお給料がもらえていたら、キンドルを買うのだけど、状況が許さないので、手持ちの本を何度も何度も繰り返し読んでいる。おもしろい小説をひたすら読み浸る状況が欲しいものだ。


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