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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

02-01-2015 / Friday [長年日記]

_ あけましておめでとうございます。

当地は元日以外は、まったくの通常営業日で、31日も前期末試験がありましたので出勤でした。本当は今日も出勤日なのですが、子どもの学校は週末ということもあって今日も明日も連休。4日からなので、わたしも今日は休みにしました。ゆっくり目に起きて、朝ごはんを食べて身支度を整えて、近所のモールへ。でも別になにか催しものがあるわけでもなく、普通のいつもの週末でした。まだクリスマスの飾り付けが残っているくらいで、お正月の雰囲気はゼロです。セールですら始まっていません。来月の旧正月まではイベントはゼロ。

昨日はひじょうに簡単なおせち料理をつくりました。おもちを焼いて安倍川もちにし、ごまめ、大根なますの代わりに、ビーツ(サトウダイコン)とクズイモと切り昆布を使ってそれらしきものを甘酢仕立てで作りました。ごまめはバルサミコ酢で味付け。やわらかくなっておいしかったです。で、赤米、黒米、発芽玄米、モチゴメ、ウルチ米のミックスご飯を炊いて、お団子ふうにしてこれにもきなこをまぶして食べました。また卵をたくさん使って、秘蔵のみりんと日本酒を使っただし巻きも。お正月ごっこみたいではありますが、これが今の私にできる精一杯の贅沢です。

みなさまがたもよい新年をお迎えになったことと存じます。わたしも、なんだか相変わらずがちゃがちゃしていますが、今年は去年よりも一速、スピードを落として過ごせたらなと思っています。今年をもどうぞよろしく。


04-01-2015 / Sunday [長年日記]

_ 文学部の庭に小さな池というか、大きな水盤というか、そういうのがある。そこに金魚みたいな魚が数十匹いる。子どもはこの魚に餌をやるのが好きで、しばしば、どこか行きたいところはとたずねると、サカナのいるところ!と答える。今日は自主的なお正月の最終日ということもあって、子どもを連れて大学へ。2時間ほど子どもはサカナと遊び、わたしはその間、ベンチで読書をした。今日はよい日取りなのか、学内の二カ所ほどで、大きな結婚式があった。その盛大なる音楽を聞きながらのんびり読書。その後、お昼ごはんを食べに、大学から一番近いモールへ移動。わたしひとりならば、もっとローカルな場所で簡単に済ませるのだが、子どもが一緒だとどうしても行く場所が限られてくる。毎回、子どもが食べられるものがあるファミリーレストランに入ることになる。子どもはエビフライの入っているお弁当がお気に入り。

もうじき子どもの誕生日なので、前から約束していたとおり、バービー人形みたいな人形を買いに行く。「みたいな」というのはホンモノではないからである。いろいろなバッタもんがあったが、わたしが気に入ったのはブライスみたいな人形。リカちゃんやバービーの顔に比べると大きさが2倍くらいあるし、顔のつくりも目が大きくて、かわいい。ホンモノみたいな憂いはない。子どもは最初、ふつうのアメリカンな顔のバービーを欲しがったのだが、そういうのはすぐ飽きるで・・・などと言いながら、子どもが自主的にブライスみたいな人形を選ぶようにいろいろ画策してしまったのであった。でも、結局、子どもはそのブライスもどきがとても気に入ったとかで、家に変える道すがら、自転車タクシーの上で人形を箱から出そうとするほど。なんとか気に入ってくれてよかったよかったと独り言ちたのだった。

本日の読書:伊坂幸太郎/バイバイ、ブラックバード(第一章のみ)。


13-01-2015 / Tuesday [長年日記]

_ また出張中。今日は午後からのアポイントメント3つがキャンセルとなったため、買い出し。わたしがまだ院生だった頃、本当に行くのが楽しみで仕方がなかったモールがあった。いつ行っても人がたくさんで、外国人も地元の人も、気軽に入れて、それなのにほんの少しだけ背伸びした雰囲気が楽しめるとても楽しい場所だった。何年もご無沙汰していて、前回、ほんの少しだけ時間が空いたとき、ふと思い立って、スカーフを探しに行った。いつもの仕事着が少し地味すぎて、年齢以上に老けて見えるぞと、ショーウィンドーに映った自分の姿をみて思ったからだった。目当ての階に上がる途中から、その凋落ぶりが目に見えた。スカーフなど小さな装身具を売っている階は、置いてある物もまったくいけてない。昔はディスプレーも本当に素敵で、ここでたくさん、素敵な物を買った。それに、その頃買った装身具は、スカーフも含めて、今、身につけていても、それいいねえと言われるのである。決して値の張る物ではなかったけれど、それくらい素敵なものがたくさんあったのだった。

今はこのモールの一番の目玉は、地下一階のフードコートと地下二階のDIY屋。今日、わたしは地下で、子どものために、ディズニーの水筒を買い、一階のATMでお金を引き出して、あっという間にモールを後にした。そしてホテルの隣の日系スーパーで、まだ半額札が貼られる前にさっさと夕食を買い、古本屋で文庫本を買って、あとはホテルで午前中の会議の議事録を書いて本を読んで過ごした。時間がたくさん流れた。わたしはなにも変わっていない。変わったことに気が付かないほど変わったのかもしれない。いずれにしても、もうなにも気にならないということにすら、それほど驚くこともなくなっている。

読了:インシテミル/米澤穂信


19-01-2015 / Monday [長年日記]

_ 本当はもっと子どもと遊びたいのだが、日々の生活に追われてしまっていて、子どもが可愛そうになってきている。先日の出張で、『本格小説』を文庫本で購入した。ハードカバーは、子どもが生まれた翌年に蔵書一掃したとき、手放してしまっている。今回、再読中なのだが、そのなかで三枝三姉妹の真ん中の夏絵の行動を読んで、さらに反省している。夏絵と違って、子どもをかわいいと思っているし(夏絵もそうなのだろうが)、子どもの事故を見聞きするにつけ、うちの子だけは、平和に元気に育ってほしいと願うのである。しかし実際には生活とか仕事にかこつけて、やはり少し、かわいそうなくらいにほったらかしにしているのではあいかとも思うのだ。子どもはもう5歳になった。それなのに、まだひらがなもカタカナも読み書きできないし、数字だって覚束ない。小学生になってからでも大丈夫だよ、などと日本の友人たちに言われていたとはいえ、先日、こちらの幼児教育の実際を見聞きして、今、自分の子どもへのまなざしがいかにいい加減なものであったかを痛感しているのである。

こちらでは、小学校へ入る前に数字が数えられて、もちろん書けて、アルファベットで自分の名前が書けるのが当たり前なのだそうだ。またそうでないと、小学校に入学申し込みができないのだそうだ。小学校は公立でも私立でも申込制である。締め切りのあとに、入学者が発表されるのだそうだ。学区というものは存在しない。だから、評判のいい教育熱心な学校に入れようと思えば、親は半年以上前に子連れで学校を訪問し、アピールしないといけないのだそうだ。順番で受け付けるとはいえ、実際には誕生日の早い順に入学が許可されるとのこと。そういう背景があるからなのか、こちらでは学校暦の早い月に生まれる子どもが多いとかいう話も初めてきいた。そういえば、子どもの保育園時代から、誕生会は特定の月にものすごく集中していた。うちの子どもは1月生まれなので、絶対的に不利なのだそうだ。なので、希望の学校に入れない可能性が高いとのこと。日本の感覚で考えると、なんじゃそりゃ?という話である。じゃあ、なんのための申し込みなのか。いっその事、何月生まれから何月生まれの子どもだけ受け付けます、とか態度を明らかにすればいいのに。

未だに、数字が覚えられなくて、アルファベットも、pとbしか覚えられないこども。親がもっとしっかりと子どもに接して教えなければいけないということであろう。そういう時間をあまりとれていなかったし、勉強はその時がきたら、自然にできるようになるものと考えていたからでもあり、親になっても、自分のことだけで一所懸命過ぎたのだなあと、今更反省仕様もないけれど、反省しているところである。こちらへ来た当初に比べると、子どもと人間らしい話ができるようになったこともあるし、ずっと子どもと話時間も増えたし、できるだけいつも子ども中心の生活を送っているつもりではあった。それでもまだまだ足りないのだろう。今、気がついたということはラッキーだった、まだまだやり直しが効くと思って、もっともっと子どもと遊ぼう。あっというまに子どもはわたしから飛び立っていくはずだ。そうであって欲しいとも思っている。バイクを買って、効率的に時間が使えるようになり、タクシーの運転すと不毛な言い争いをしなくてもよくなってみると、随分と客観的に生活を振り返る余裕ができたということなのだろうか。


23-01-2015 / Friday [長年日記]

_ 前期試験が終わったので、今週いっぱい、少しだけのんびりとしている。午前中、大学に行って、お昼前には帰路につく。帰りにお昼を食べるため、日替わりでいろいろな屋台へ。今週は水曜日と木曜日は、連続して中央市場へ行った。普通の市場は、午前3時頃から午前10時ごろまで開いている。しかし、中央市場は未明から午後4時まで。大学から市場に直行しても、まだ市場のにぎわいがたっぷりと残っている。野菜や果物はいつもスーパーで買うことが多いのだが、市場で買うと、ずっと大きくて、ずっとおいしそうなものが、半分以下の値段で買える。

お昼は、市場の中の屋台で食べた。炭火で調理する焼きそばとか汁そばを食べる。これも飲み物と合わせて100円程度。市中の半分の価格である。しかも、おいしい。

この市場は中央市場を兼ねた観光市場でもある。だから安い服やら工芸品もたくさんある。ちょっと素敵なシャネルカラーのジャケットが、洋服コーナーのメイン通路の裏の屋台に出ていた。いくら?と聞くと、千円だという。縫製も仕立ても文句なしの出来栄え。しかし、この生地が、どこかひじょうに日常的な、いや、毎日どこかで見たことがあるような裏地である。。あ、これってもしかしたら、遮光カーテンかいな?!ときくと、そうだという。おおかた、売れない遮光カーテンを再利用して衣類に仕立て直したのだろうな。。しかし、そういうわけで、意図せざるUVカットジャケット?とか勝手に解釈して、買いました。UVカットではもちろんないわけでだけど、気にせずじゃんじゃんと水洗いできるだろうし。こういう不思議なものがときどきあるのが市場のおもしろいところである。それと、コメコウジも買った。自力で塩麹を作る予定である。ぬか床は、発酵が進みすぎてしまうので、どうもうまくいかない。コメコウジは、こちらの人も普通に使うので、極度に発酵が進み過ぎるということもないかなと、勝手に想像している。衣類を整理する手編みのかごバッグも幾つか買った。おもちゃやでは、子どものブライスもどき人形に着せるような服が一着30円ほど。ちょっと素敵なものを2枚買った。

『本格小説』は、久しぶりに一気読みをして、実に心地よい読書酔いの頭痛を味わう羽目になった。しかし、こういう心底何もかも忘れてただ本のページをひたすらめくる時間の贅沢なことといったらない。まだそのドライブ感が忘れられず、ぼうっとしている。


28-01-2015 / Wednesday [長年日記]

_ 先週末、子どものが幼稚園の学芸会があった。子どもの幼稚園は、日本の言葉で言うと「こども園」みたいなところである。朝8時から大体11時までが幼稚園の部。これが終われば帰宅する子どももいる。共働き世帯などの子どもは、お昼ごはんを食べるために、保育園部に移動する。昼食後、歯磨きをしてお昼寝。お昼寝から起きると水浴びをさせてくれる。ここでパジャマに着替える子どももいる。なんで?という感じがするが、夕方の行水が住めば、あとは家に帰ってご飯を食べて寝るだけだからというのが理由らしい。夕方の行水が住むと、軽食が出る。これが結構ボリュームがあるので、うちの子どもはときどき夕食が食べられないこともある。保育園の部の子はさらに、昼寝をしないで、お稽古事部に行く子もいる。たとえば、お絵描き、こどもパソコン、そろばん、読み書き、バレエ、テコンドーなどである。お稽古が終われば、軽食を食べるためにまた保育園の部に戻る。

そういう学校なので、いろいろな子がたくさんいる。子どもは、やっと夏頃からふたつのことばを使い分けてて話すようになってきた。家で一人遊びをするときは、ふたつのことばを使い分けて、人形遊びをしたりもする。学芸会の練習は、去年の11月頃から始まったので、この2ヶ月近くは、ずっと子どもは家でも踊りを練習していたのだった。

いろいろな友だちを誘って、学芸会に繰り出した。わたしは本当に久しぶりに、リコーのデジカメではない、ニコンの一眼レフを持参したというのに、いざ舞台に出てきた子どもは、まるで石の孫悟空のように、舞台上でふくれっ面に仁王立ちのまま、微動だにしなかった。ど、どういうことなんだ。。と思いつつも、心のどこかでこういう状態を予想していた部分もあった。とにかく学芸会の段取りが悪くて、子どもは出番まで4時間あまりも待っていたのだった。もちろん他の子どもも条件は同じなのだけど、うちの子どもはどうにもがまんができなかったのだと思う。そんな子どもは、他にもいた。きっといつもは楽しく踊るのだろうに。。

学芸会が終わって、会場のロビーで軽食をみんなで食べるとき、わたしは子どもになにも尋ねなかった。一言、きれいな衣装を着せてもらってよかったねえ、とだけ言った。子どもには子どもだけが納得できる、なにか理由があったのだろう。それはもしかすると、とても言葉にはできないものなのかもしれない。わたしはただ、担任に、誰かに何かを言われたとかいじめられたとかそういうことがあったのかなかったのかだけ、確認した。担任は、自分の知る限りではそういうことはなにもなかったはずという。四六時中、うちの子どもを見ていたわけではないだろうから、それもどの程度本当のことかはわからない。でも、とにかく、子どもがあまりそのことを気にしないようにとだけ、そう思って、子どもを膝に載せて、車で帰ってきた。

いい学校なんだけど、世界の幼児教育の最先端からすれば、江戸時代みたいなところのある学校である。子どもの集中力が、どれほど短いものであるかは、全然わかっていない。すべての子どもが武士の子どもであるかのように、ひたすら長い時間の行事への参加を求めるところがある。曲なんて、このデジタル化時代なんだから、長さなんかいくらでも調整できるはずなのに、一曲まるまる踊らせたりするものだから、いくら踊り好きの子どもであっても、4分とか5分とかいうのは長すぎるのだ。見る方だって、しんどい。

そんなことをあれこれ考えながら、今日に至るまで、子どもの様子をじっと観察してきた。今のところ、なにかあったのかなかったのか、あまりはっきりとわからない。はっきりとわからないのは、やはりなにかあったからなのか。ひとつわかっていることは、子どもが嫌がらずに楽しそうに幼稚園に行くことである。なにか特別なことがあったわけではないのだろう。今度は、わたしが過度に考え過ぎないようにせねばと思っている。


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