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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

03-02-2016 / Wednesday [長年日記]

_ 学内に林立する日本の大学のサテライトオフィスのひとつに、今は某大学にいる修士時代の同級生がいる。研究科は違っていたのだが、なんとなく印象に残っている人で、名前とその当時の面影くらいは、わたしも覚えていたのである。で、昨年、再会したのは、偶然、わたしの職場を訪れたその人がロッカーに貼ってあるわたしの名前(日本語)を見て、もしかしたらねぶくろさんでは?と問い合わせたのがきっかけだった。わたしが覚えていたその人の面影は、レッツゴーヤング!とかで、歌手の後ろで踊っている、これからブレイクしそうな若いアイドルといった風情の人だった。だから、当時の凸凹大院生としては、どちらかという浮いているような雰囲気の人だったのである。そういった外見の割には、研究していることはこれ以上ないくらい固い内容で、基本は関西人の癖に、そういうお笑い的な要素ゼロで、はっきり言って、「なんやけったいな人やなー」という印象だったのである。それにわたしが貸したこれ以上ないくらい固い内容の本も、未だに返してもらってないし!ということもあったりで、いろいろな意味で印象に残る人だったのである。それで世紀を越えて再会してみると、無論、わたしもそうだと思うのだけど、昔の面影は完璧に消え失せていて、人のよさげなおじさんになっていた。しかもえらくフレンドリーな人になっていて、いまなら貸した本の取り立てをしても、「なんやー、もうそんな古い本、うってしもたわー、ごめんなー」というかわされ方をされるかもしれない(←はい、根に持っています!)という感じだろうなというくらいに、明るい人になっていた。見た目と中身の差異が最小化されたとでもいおうか。

そんなこんなで、時々、彼のオフィスを訪れては、関西人トークを炸裂させて、元気をチャージしている。お互い、やってられんわーということが多々あるのである。彼のオフィスには、日本語能力試験1級の教え子がアシスタントとして働いている。彼女は、われわれの関西弁がまったくわからないらしく、「センセイたちの日本語は少しカワッテイマスネ…」などという。あんたの日本語がおかしいねんでえ、としれっと言っても、アアソウデスカ、モットガンバリマス、となるので、おかしかったりもっとちゃんとした日本語(関西弁)を勉強する必要があると思ったり。ちょっとした息抜きとして、ちょうどいい茶飲み友達なのである。


14-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ やはり今年も旧正月当日は大雨だった。それから金曜日の午前中まで、午後から夜半にかけては毎日ずっと雨。旧正月当日の天気は一週間続くと言われるのだが、本当にそのとおりだった。なので、チャイナタウンの催しものを見に行く気力もなく、残念無念。グレゴリオ暦の正月もどさくさに紛れてまったくお祝いの気分もなにもなかったうえ、旧正月もこのようなことで、年中行事の履行率ゼロを更新中である。バレンタインデーとやらも、日本以外の国では別に?という雰囲気。次はイースターまでなんにもない。

こちらに来てしばらくは、カレーを作る時は、あれこれとスパイスを自己流に調合して、ドライカレーをよく作っていた。今でも作るのだけど、最近はもっぱら日本風のカレーを作っている。といっても、ルーはないので基本は自己流のスパイス調合で、小麦粉とバターでしっかりと野菜を炒めてとろみがでるようにしている。野菜といっても定番のじゃがいも、にんじん、玉ねぎではなく、よく白菜かキャベツ、豆腐、肉類のひき肉あるいはツナ缶、ナス、で作る。白菜とかキャベツのカレーは意外にもとてもおいしい。こういう野菜を入れるので、ドライカレーよりもドロッとした日本風カレーのほうがおいしいのである。パンもよく焼いている。といってもフライパンで焼くのである。おいしい。ときどき、中にカレーを入れたりなんかもしている。外ではほとんど食べなくなった。お昼に大学のカンティーンで食べるくらいで、ほとんど自炊。しかし本当は自炊のほうがお金もかかるし、ガス代なんかもかかっているんだよな。。外食がおいしい地区もあるので、そういうところに住んでいれば、もっと違う食生活になっているんだろうな。でもまあいいや。

もらいものの『赤毛のアン』何度目かもうわからない再読。やっぱり大好きだ。


21-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ ネルソン・デミルの『王者のゲーム』を図書交換会で入手したのがおよそ一年前のこと。先日、ホテルに泊まりに行くときに、思い出して持って行った。プールサイドで読み始めたら、もうやめられなくて、結局、夜通し、さらには泳ぐのも忘れて読み耽ったのだった。ときどき子どもがいることを思い出して、なんとか自制心を絞り出したものの、なんともなんとも。やめられない小説というに久しぶりに出会った。ただ、すごくよくできた小説とはあまり思わない。というのは少し都合がよすぎる点が散見されるため。例えば、小説の結末部分。運よく主人公とヒロインが敵の魔手から逃れることができた点。本当に都合がよい。それといかにも、いかにもな、才色兼備、射撃万能の会計士かつ弁護士である女FBI捜査官の人物造型とか。ケイ・スカーペッタみたいな人物というのは、アメリカでは普通にいるということなのだろうか。

そういった些末な、何も持たない一読者の平凡な日常からは到底想像し得ない人物が活躍する小説となると、プールサイドで非日常的な怠惰な時間を過ごしながら読むにふさわしかろうと思うのも当然だろう。現代の西部劇を読んでいるような躍動感があった。面白かったんだけど、ごにゃごにゃと思うのはなんでだろうか。続きももちろん読みたいです。続きを書くために、犯人を生かしたのだろうから。


28-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ 先日、わたしの研究分野では超有名な某大学名誉教授の先生の講演があった。わたしも凸凹大学に所属していた当時、国際シンポジウムで何度もお目にかかったことがあった。今回、こちらでは初めてお会いする機会となった。世界的に有名な先生だから、さぞかし学部中の先生がいらっしゃるのだと思っていたら、どうやら学部生や大学院生が中心で、教員はほとんどいなかった。この講演会の話題は、先生のご専門の話ではなかった。人文学系学問の未来について語るというものだったから、広く日本語教育も含めた語学系の学科の先生もいらっしゃると思っていたのだった。それに、単に人文学系学問の未来について希望的観測を語るのではなく、なぜこの分野の学問が必要なのかという点やこの文学部がかつてトップクラスの研究をしていたのが長期的凋落傾向にあることについての理由などについて、グローバルな視点から語るというものであった。わたしはたいへん興味深く聞いた。ところがあとから同僚の先生たちに聞くと、英語だったから途中で抜けたわよ、ということだったのだ。日ごろは、もっと日本語で書かれた論文や資料を読んだほうがいいですよなどというと、わたしは日本語を読むより英語を読むほうが楽だから…なんて言って逃げてしまっていたのに!何たる二枚舌か…なんてことは野暮なのでもちろん言わずにいたわけです。

それにしても、このメインスピーカーの講演が終わって15分のブレイクを経て第二部の講演が始まったとき、聴衆が3割くらいにガクッと減ったということのスピーカーに対する非礼をだれもなんとも思わなかったのだろうか。またこの第二部の話題が終わって質疑応答が始まったとき、最初の質問者が「本日の講演内容とは少し関係なくて申し訳ありませんが、我が国のゴミ問題についてどう思いますか」と、自信たっぷりの英語で話した大学院生の頓珍漢ぶりがまたスバラシくて(第二部の話題はカルチュラル・スタディだぜ!)、さすがのモデレーターもフォローしきれず、その質問がなかったものとして司会を進めるしかなかった。

この国の人たちは、客観的に見るとみなコメディアンである(@ネルソン・デミル)。しかし、当事者としてかかわると、笑って済ませることなど到底できない鉄壁のナイーブさがある。わたしは第二部の話題提供者に深く深く同情と哀悼の意を表した。この方も、超有名な大学の先生なんですが、第一部のスピーカーの対バンを張らされることになったのは、本当に不幸なことだったと思う。というか、この講演会、なぜ二人もスピーカーが必要だったのか。それが一番の謎。


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