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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

21-05-2016 / Saturday [長年日記]

_ わたしは学部で語学を専攻していたというわけではないため、大学で語学を学ぶということがどういうプロセスでおこなわれるのか、よくわかっていない。自分が日本語教師の資格を取るときに勉強したのは、国内の日本語学校付属のコースだった。何回か日本語学校の授業見学もあったので、なるほど、今まで自分が受講したことがある外国語学習コースとなんとなく似ているんだなと思ったものだった。それが外国の大学の日本語学科で教えるようになってすぐに気がついたことは、「あれ、日本の日本語学校の授業とよく似ているなあ」ということだった。似ているのはカリキュラム。文法(文法事項導入)、漢字、会話、聴解、少しできるようになって来たら、読解と作文が加えられる。専門的な知識というのはすべてこれらの科目に集約される。

日本に関して知っておいたほうがいいという知識として、日本の歴史(主として20世紀以降)、日本事情(日本地理)、言語学(日本語のというわけではなく、あくまでも一般的な言語学的知識)、文学(これも日本文学ではなくて、文学理論とか分析理論のこと)が3回生である。しかし専門性はまったくない。日本の大学のようなゼミはない。ゼミみたいなものはあるが、これは卒論作成の技術を学ぶためのもの、発表のスタイルを学ぶためのもので、個別のテーマについて、みんなでとことん議論するというのはない。だって、30人前後のゼミなんて成立しないからだ。卒論のテーマが決まったら、基本的には先生と一対一で書いたものを持って行ってコメントをもらう、出直す、またもらう、という過程を経て、卒論ができるようになっているらしい。。。

そんなわけで、大学の語学専攻って、どんなことをやるんだろうか、というのがわたしの目下の一番の関心事項である。語学を学ぶって、いったいどういうことなんだろうか。語学のテクニカルな面だけ知っていても、それは運用能力とはまったく別のもんだいであったりする。文法的に正しくても社会的な文脈にふさわしくない表現というのもあったりするわけである。それに書き言葉と話し言葉は結構違うもんだ。だけど、本格的な日本語の論文を読む授業というのもなかったりするのである。「読解」という授業は、主として日本語能力検定試験対策であったりするからだ。

せっかく専門的な知識を持った日本人がいても、教えるようにと言われるのは文法ドリル(口頭練習)と作文メインである。これで本当にいいのかと思うこともあるし、もっと上手に専門知識を持った人を使えばいいのになんてもったいないと思うこともあるし、やっぱりこちらの先生にはできないことをまず教えないといけないんだなと思うこともある。どれがいいのかはよくわからない。でもとにかく、一番強く思うことは、別に日本語に対する情熱がなくても大学の先生になれてしまうこちらの大学のシステムの複雑さと不可解さのことだ。先生たちの日本理解は、ものすごく偏っている。先生たちが学生だったときのトレンドとか、今、ニュースサイトなんかのヘッドラインに出てくる現象がすなわち日本の本質だと思って話していたりするのである。確かに間違いじゃないんだけど、それはどうなんだろうかと、本当にいろいろなんである。授業の進行にしても、学術的な潮流の認識に関しても、なんでそうなるの?!ということがあまりに多すぎて、さっぱり理解できないことが多い。それでもよくできる学生も多いは、偏差値が高い学生ばかりだから、自分でなんとかすることができるからなのだろうと思う。ときどき、とてもよくできる学生と超級の日本語でおしゃべりをするのはとても楽しい。インターネット世代の若い人は、先生になったような人とはまったく違って、日本が直面している問題についてもよく考えているからだ。


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