_ 今、ラジオからスティーヴィー・ワンダーのStay Gold が流れている。ものすごく好きな曲。
ずっとGoldな気持ちでいたいなって思う。自分で実際に身につけることはないのだけど、気持ちだけはそうありたいなと思う。曇ってしまうときもあるけど、磨けばまたきらきら光るということを覚えておきたい。
_ 大晦日の朝、大学でメールを開けてたところ、母入院という知らせ。頭が真っ白になる。帰国以来、毎朝、母に電話していたのが、この日の朝に限って母が出ないものだから少し気にしてはいたものの、また後でかけなおそうくらいに思っていたからだ。あまり覚えていないのだが、とにかく一番そばにいた友人の席に駆け寄って、泣き出したのだと思う。冷静になれと、冷たい水を運んできてくれた。とりあえず、この連絡をくれた弟に電話。電話ではなくメールでの連絡であったことから、今なら判断がつくのだが、危篤とかそういうことではなかった模様。しかしながら、こちらはもう頭が真っ白で、気が動転していたものだから、そしてなにより、今までの親不孝が祟って親の死に目に会えないなどということになれば、もう取り返しがつかないと思い、大慌てで帰国のチケットを探し、約2時間後には帰国の手段が確保できた。で、それからも荷造りしながらも泣き、旅券のありかが思い出せずに泣き、手当たりしだいにとにかく持って帰るものだけ手提げかばんに詰めて、迎えの車を待つ。夫になる人も駆けつけてくれ、日本人の友達が空港まで送ってくれた。呆然としながら、チェックインすると、ビジネスクラスにアップグレードしてくれた。都合3回飛行機を乗り換え。某国の空港はいつもと違って閑散としていた。伯母に電話して、容態を確認。あれ、なんか元気そう??頭真っ白なまま関空。すぐに電車に乗って、病院へ。元旦の病院なんて初めてだ。病室をのぞくと父がいる。あれ、母は起き上がって元気にしている。あれれ?
結論からいうと、出血性十二指腸潰瘍で、がんではないとのこと。下血したため貧血状態となったために、緊急入院したとのこと。絶食がつらいが、なんとか10日ほどで退院できそうだ‥とのこと。。
慌てて駆けつけなくてもよかったのかな。でも両親はわたしがこんなにすぐに帰国するとはおもってもみなかったので、喜んでいたようであった。母も、あんたはいらちやからあかんといつものように叱り付けながらも、うれしかった模様。ええ薬になったわ、と笑っていた。
わたしがこんなに早く行動を起こした理由は、前回の帰国のとき、夫になる人の写真を持って帰ってくるのを忘れたから。慌てて、泣き顔のまま、ふたりで撮った写真を、棺桶のなかにいれなあかんかもしれない、と思っては泣きつつ帰ってきたのであった。
とにかく、思いがけず、日本のお正月を楽しむと同時に、親孝行もどきもでき、まあ終わりよければすべてよしです。しかし、日ごろ元気な人が病気になると、ほんと周りの人は驚くものである。
で、帰国便を探すのとかもろもろの処理で、いやー、苦労しています(笑)。みなさま、どうぞよいお年を。今年もよろしくお願いいたします。
それにしても、まだ頭がよく回っておりませんです。。夢でも見ている気分。おみくじは、一番の大吉を引きました。いやー、しんどかった。
_ 年賀状のお返事を一気に片付けた。といっても全部メール便。でもまだちょっと気の張る人への返事が終わっていなかったりする。
_ 夫を空港へ迎えにいくのは母である。関空ターミナルの地図やらなんやらかんやらをプリントしたものを使って、母に当日の行動を学習してもらう。指さし会話帳もどきの図を作成してあるので、二人で適当に意思疎通し合って、病院まで来てもらう予定。結構たいへんそうだし、若干の不安がある。が、まあなんとかなるでしょうな。
_ 結局、本気で布を全部裁断したのが昨日の夕食後のこと。ヘプバーンの映画をみながら、ぬいぐるみのパーツを縫い合わせ、昨日の深夜の時点であとはパーツをつなぎ合わせるところまで一気に進んだ。そして今朝、ウィーンフィルの新年コンサートを見ながら、ちくちくお裁縫。おなかの中に、先日買ったチャイムを入れて、その周囲にしっかり綿を詰めて、顔を刺繍したりなんだかんだして、ミジンコさんの最初のお友達になるはずのクマ子さんができた。クマ子さんのよだれかけ(スタイ、っていうんだそうですな、最近は)とおむつを縫って、完成した。よだれかけには、最近、はまっていたヨーヨー(というのは、円形に裁断した布の円周をぐし縫いして糸を引き寄せ、花の形に絞って整えたもののことなんだそうです)をひとつつくって、飾りとした。おなかがしっかりと重たくなっているので、お座りもできるクマ子さんとなった。
糸ととハサミをおいてからも、なにか縫いたいモードが続いているのだが、残念ながら、今手持ちの布がもうなくなってしまった。ダブルガーゼの端布を買ってきて、ミジンコさんの靴下などを縫ってみたい。
_ あけましておめでとうございます。わたしたちみんなにとって、よい一年となりますように。
今年はもっとたくさん日記を書きたいと思っています。毎日、ただただ流されているだけのような気がするので。がんばります!
_ 年末は31日まで学期末試験だったのだけど、わたしは休ませてもらった。ことしは元日が金曜日ということもあって、クリスマス休暇に続いて4連休となった。のんびり過ごさせてもらったといいたいところだが、現実には家族がいるとそういうわけにもいかなくて、全然休めなかった。ただただ疲れている。
昨日は子どもたちを連れて動物園へ。天気が悪かったということもあって、駆け足で動物に挨拶だけ。子どもはバクとカピバラが好きなので、新年のあいさつをした。そしてシカさんたちにも野菜をあげたりして、大急ぎで動物園を後にして、そのままアヒル料理屋へ駈け込んだ。はっきり言って、おいしいのかそうでないのか、もうひとつよくわからないのではあるが、自分で料理するのに疲れている身としては、誰かが作ってくれたお料理はなんでもおいしいものである。
食べ過ぎて気持ち悪くなったので、夕食はバナナとパパイヤでジュースを作ってそれで済ませた。まったくもってして、お正月らしさのかけらもない今年の初めでした。まあしかし、こんなものか。。
_ 年末は海と山と森のあるところで過ごした。飛行機で3時間しか離れていない場所だった。でもとても懐かしく、居心地のよい場所だった。わたしの知っている人たちは、今はもう誰もそこには住んでいない。街の様子も、もちろん20年前とは比べられないほど変わっていた。それでもそこには海と山と森があった。
毎日、ホテルで朝食を取ったが、右を見ても左を見ても、日本人はいなかった。圧倒的大多数は東アジアからの旅行者であった。二番目に多いのは欧米からの旅行者である。あるいはわたしたちと同じように、首都から休暇で訪れていただけなのかもしれなかった。その次に多いのが東南アジアからの旅行者であった。クリスマスと新年の飾り付けを兼ねたブレックファストルームの意匠は、巨大なツリーに全精力が注ぎ込まれていた。ツリーを木だと考えると、間違いなのだろう。天井まで届くようなスリムな円錐形に、きらびやかな飾り物がぶら下げられている。星の形や月の形、天使やトナカイのようなわかりやすい形のものは一切なくて、大中小の球形の飾りだけがぶら下げられている。だから、クリスマスと関係があるのかというと、今はその季節だからそう見えてしまうけれど、別の季節に見れば違うものに見える、そう見てもまったく差し支えないといえるかもしれない。色だって、緑と赤、あるいは銀色と金色といったわかりやすいペアですらなかった。それは白一色だったのだ。球形の飾り物だけが、いろいろな色のラメの輝きを放っていた。
小さなものから巨大なものまで、海に面した街には多すぎるのではないかと心配になるほどたくさんのショッピングモールがあった。その中で、一番古くて小さいモールの中で、わたしたちは小さなクリスマスの焼き菓子を買った。部屋へ戻り、夜景を見ながら食後のデザートにお菓子を食べた。ひとつの場所を離れるときには、いつかまたここに来たいと思いながら、飛行機に乗るものだと思ってきた。だから運良く、また戻ってくることができてうれしいとしかいいようがないのである。しかし、窓から見える海も空も、まるで時間が全然流れなかったかのように平和な青と白のコンビネーションである。光の加減で真っ青に見えたり、流れる雲が輝くような白だったりする。ふと気がつけばもう20年が過ぎているのである。不思議な気持ちになった。
一週間後、わたしたちは日常へ戻ってきた。今、目の前に見える景色の向こうに、輝く海と空と山と森は見えない。でも見えるような気持ちになってみて、なんとかやっていくしかない。
_ ラギ [おつかれさまです。 でも、親孝行できてほんとによかったですね。 お母様、安心されたことでしょう。 ・・・わたしも二..]
_ ね [ラギちゃん、ありがとうございます。退院の目処もつき、ほっとしています。式は来月15日です。また連絡しますね。]