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  1. UtindDitStund (03-08)
  2. ね (10-30)
  3. ぜぶら (10-30)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

02-10-2006 / Monday [長年日記]

_ 某さんとまたけんきゅうについて懇談会。。ううーん、それだけ不満をもっているならば、なぜ改善しようとしないのだろうか。あるいは、なぜそんな思いをしてまで、こんなところで調査しているのだろう。まずはその疑問が生じてくる。飛び込むことができないで、また顔をつけて泳ぐことができなく、あっぷあっぷしているようにしか見えない。気の毒にすら思ってしまった。

_ 自分のお金で調査しているのであればなおのこと、もっと自分の調査に対して自己中心的にならないと。他人の目を気にすることと、他人に配慮することとはまったく別の次元の問題ということは、あまり知られていないのかな。とか。知らないけど。

_ 某くんとこないだのSMS事件について、総括。あほやね、ということで笑って終わりました。ま、別になにかされたわけではないし、というかこっちはどんな人だったのか知らないわけである。

_ 今度、某国語を勉強しなおすために語学学校に通う。その手続きとか。


03-10-2006 / Tuesday [長年日記]

_ 蘊蓄を語るのが好きな人とか子ども自慢の長い人につきあう度量がない。自慢することがほとんどないからなのだろうか。純粋にそうなのだとしたら、興味深く、なるほどー、とか真剣に聞いてしまうのが本当なのだろうか。だとしたら、わたしは自慢したくて仕方がないのに自慢することがなくて、嫉妬しているだけのつまらんやつか。

_ 某さんの研究上の不満をまたきかされる羽目となり、頭が痛む。なぜという問いかけは、わたしではなく、村なり役場の人にしないと。わたしは百科事典ではない。知らないことがまだまだたくさんあるから調査に来るのであって、全部しっていたら、来ないよ。知らないから教えてもらうのだから。それと、なぜという問いかけと、自分の不満を混同してはだめだ。そこのところに気がついて欲しいのだけど、それはその人が自分でわからないことには意味のないことだ。わたしは不親切で不寛容な人間だから、ええ加減にせいと活を入れることもしないし、なるほど、ふんふんと静かに賢そうに偉そうに聞くしかしない。うんと年上の人にどんなふうに上手に伝えることができるか、わたしはまだわからないのだ。わからないということを自分でわかっているので、日々、考えてしまう。無駄なこと考えていると思いつつ、頭の中が透明にきれいに晴れる日を待っている感じ。


11-10-2006 / Wednesday [長年日記]

_ ホテルの浴室で転倒して頭を床に打ち付けたのが1週間前のこと。しばららく脳震盪を起こしていたようで、気を失っていた。シャワーの水が冷たくなってから意識が戻った。直前になにがあったのかは、はっきりと思い出せた。水を冷たいと感じている。手足は普通に動かせる。よし起き上がろう。頭に手をやると、何ともいえない不気味な感触にふくれあがっているが、血溜まりは見えない。ゆっくりと、頭を左右、上下に動かしてみた。鏡に顔を近づけて、白目が見えるようにまぶたをひっくり返してみた。気分は悪くはない。寒い。爾来、休憩していた。タイルがぼろで、それほど頑丈でなかったのが幸いしたのだろう。それと生まれつきの石頭のおかげか。くも膜下出血という可能性もある。首都に戻ったら、一応レントゲンを撮ってもらおう。それまではまだなんとかなりそう。

けがとか病気とか、もう慣れっこになっているところがあるのかもしれない。気が弛んでいるのだ。浴室の床を濡らしたくなくて、シャワーブースから、タオルに手を伸ばしたときに、足を滑らせた。いつもはそんなことしないのに。ひたすら眠り続けた。疲れすぎていたから、これは休めということなのだろうと思って。


14-10-2006 / Saturday [長年日記]

_ あまりにもしんどかったので、マッサージ屋へ。今日のところは、女性専用。ムームーみたいな洋服に着替えてから着席のまま、マッサージしてもらう。死ぬほど気持ちいい。筋をマッサージしてくれる。凝りをどこかへコリコリと排出してくれるのだが、その腕の良さといったら。たっぷり2時間。悶絶の極まり。痛いけれど、それがやがて得も言われぬ快感に変わって行く瞬間を楽しむものなのですな、マッサージとは。さすればこれは、何かに似ている。終わったあと、虚脱して、ショウガ茶を啜る。私見だけど、マッサージの技術としては、女性の方が一般に上手だと思う。が、男性のほうが手のひらも大きいし、指も太いので、指圧してもらったときにそれほど痛覚を感じない。手のひらの大きい女性にマッサージしてもらうのが一番いいなあと思った。今日の人はそのような人であった。160円。

_ 連日連夜、宴会続きで、睡眠3時間を切って、荷造りしたいけど、もう身体がもたなくて、出発2時間前まで寝て、小一時間でパッキングというアクロバットをする。空港に着いたときはもう心臓がばくばくしていて、頭を打った焼きが回ってきたかと観念したけれど、しばらくバックパッカーらしく、ベンチで横になっていたら、治った。首都に着いてから、とりあえず、髪をきれいにしなくちゃと思って、整えるだけと言ったのに、やっといい感じにワンレングスになっていた髪を段カットされてしまった。段カットだよ、段カット。もう泣く気にもなれない。みんなに、今の髪型が一番似合う、絶対きっちゃだめ!と言われていたので、ちょっと整えてと言ったはずなのに。人がいいというお店で切ってはだめだ。自分がいいと思ったお店で切らないと。ということで、もう今、表に出られないくらいへんな髪型になって、どうしようもなく暗い気分。頭のレントゲンは、やはり帰国してからにしたほうがよいと言われる。旅行保険はどうなるのかな。ミラーワークとかビーズ刺繍のお洋服を買いあさる。


15-10-2006 / Sunday [長年日記]

_ 書類書き。進まなくて、たいへん。

_ 某語辞書の第三版が出ているので買う。この辞書も押し花系で、重い。


16-10-2006 / Monday [長年日記]

_ 今回、わたしはまるで人が変わったように、誰にでも愛想よく、どこから見ても善人という態度で、終始一貫過ごしていたのだが(もちろん、内心はブラックこの上なかったことはここでたびたび吐露していたとおり)、その背景はよき理解者がふたりいたことだと思う。ひとりは同僚某氏。つきあいは浅いのだが、知り合ってからの歴史は長い。その空白を埋めるくらいに、いろいろ語り合った。もうひとりはSMS友だちの電話交換手(苦笑)。なにやってんねんなー、という感じですが(笑)、現実には会わないで、SMSのやりとりをしている限りでは人畜無害な人。かなり妄想系ではあるが、文章がひじょうにきれいな人である。まあわたしに合わせてくれているのでしょうが、外国人にわかりやすい文章を書いてくれる。それで思ったわけであるが、「妹」と呼ばれるのは、なぜか気持ちがよいものなのですね。実際にはわたしのほうが年上なのだけど、「ぼくの妹」とか「愛しい妹よ」と言われ続けると、洗脳されてしまうのだな。。というか、わたしがたんにアホなだけですが。「きみはぼくの太陽だ」とかいわれているものなあ。冷たくすると、「きみは怒ったときのほうがかわいい」と言ってくれるし(待たされてぶーっと膨れていた顔を見ていたらしい:気持ち悪いじゃないか!)、返事を書かないでいると「ぼくはきみを天国でさがすよ」とか今にも死にそうなSMSが来る。と、笑っている間はよいのだが、さすがにこれ以上、相手をしていると取り返しのつかないことになるかもしれないので、もうここで終わりにしようと思うというメールを別の友人に書いたら、「君はなんて悪い人間なんだ。人の気持ちを弄んで。人間として終わっている。猛省を促す」と言われた。それでやっと、本来のわたしに戻ったような気がしました。をや、そんな人間だったのかわたしは?

_ 今回の一番ハードだった調査の部分の調査助手さん、期間中、ずっとわたしと何かと張り合おうとして、かなりむずかしい相手だった。学部を卒業して3年。こちらでは大学院に進学するということは、大学に職を得るということとほぼまったくイコールだ。彼女は進学のルートにうまく乗れず、順番待ちをしているというわけで、本人もすでにルートから外れていることをしっているから、いきなり海外留学を考えていて、あれこれ挑戦していた。工学部に行きながら、別の大学で英文学部を卒業しているから、努力はものすごく認める。が、それが災いしてか、自分はものすごくよくできると、思いこみすぎているところがあった。たしかによくできたと思う。ただ、それはわたしと張り合いたいというという部分が突出しすぎてしまうというネガティブな結果を伴うものであった。だから、共同研究というかたちにはならなかった。指示の出し方がへたくそだったのだから、これはわたしにも責任がある。彼女のデータは、わたしより先によいデータを取ろうというところが出過ぎて、全然、補完してくれるようなデータではなかった。わたしもこんなに若くて経験のまだ少ない、しかし研究者という気概だけは存分にありすぎる人と一緒に仕事をしたことがなかったので、指示の出し方を間違ったかもしれなかった。わたしもまた彼女に張り合っていたのだろうか。いや、たぶん、わたしが最後まで彼女と相容れなかったのは、この人の二人称の使い方に深い違和感を覚えていたからだろうと思う。それは別のことばで言い換えれば、それほどわたしは尊敬されていない、とわたしに感じさせるものが言葉遣いに含まれているように思ってしまった、ということになる。そしてそもそもそういう違和感をもってしまうわたしは、自分は尊敬とまではいかなくとも、そこそこ経験のある人間なのだから、もうちょっと適切な二人称を使ってくれという、なにかやはり偉そうなところがあったからなのかもしれなかった。

外国に対する憧れが強い彼女は、こちらのテレビなどでも放送されるような、対等なようなことば使いでの会話を望んでいたのかもしれない。わたしも別に、彼女に対して強そうに偉そうに接するつもりは毛頭なかった。が、彼女が、だいじょうぶ、わかっている、あなたの考えていることは100%理解できたわということばが、実はかなり疑わしいものだということがわかった時点で、わたしの彼女に対する二人称は、少し修正された。そんなことどうだっていいことだというのは、一番、わたしがわかっているはずなのだが、このまま「フランク」につきあっていくことはあまりよくない結果を生むような気がした。11月にはわたしのデータがイギリスからフィードバックされてくる。それをもとに、彼女があちらのチームに説明することになるのだけど、わたしはなんでも完璧にわかっているという彼女が、うまくやっていけるか、わからない。現実に、こんなデータの整理は1週間あれば大丈夫といったのに、もう1ヶ月以上たつがまだ送られてきていない。わたしは1週間だと雑なデータ整理になるから月末でいいよといったのだが。昨日の遅くに、SMSがあった。曰く、生理痛でこの1週間なにもできなかった。あと1週間欲しいとのこと。もう一緒に仕事をすることがないとはいわない。潜在的な力は認めているのだから。ただ、若い人の芽を摘むことなく、どんなふうに進むべき方向を見つける手伝いができるのか、わたしも悩むべきなのだろうなと思った。むずかしい。


18-10-2006 / Wednesday [長年日記]

_ 携帯電話のデータが突然、なぜかリセットされる。大事に取っていたSMSなどが全部きれいになくなった。アドレスは無事に残されていたけれど、いろいろな環境がすべてリセットされていて。さらには自分の力ではもうどうにもできようがなくて、ヘンなソニー・エリクソンの文字が並ぶ画面でがまんしています。。いろいろな携帯が売られているけれど、やはりソニー・エリクソンの携帯が一番、かわいいような気がします。というか、工業デザイン性がものすごく高い。

_ ところで、なぜ電話番号を変更したのにという問い合わせがあったのですが、外国人の所在など、ローカルネットワークを駆使すれば、いとも簡単にわかってしまうようであった。というか、ホテルの人が教えたらしい。プラバシイとかそんなのは全然。


19-10-2006 / Thursday [長年日記]

_ 伝票の整理とか。わたしは毎晩、その日の会計報告をノートに書いてからしか、眠りにつけない。いくら使ったか、その都度メモしておかないと、物価が安いからといって、散財してしまう傾向があるから。日本円に比して安い、、とかいう発想は持たないようにしないと、際限なくこまごまとしたものを買ってしまうから。誘惑に弱いので、形だけでも反省しておこうと思ってのことであるが、意味があるのかどうか、微妙でもある。反省するという行為に満足してしまっているのかな、とこの頃、反省している。武田泰淳いうところの「反省の似合わない女なのだから、反省などするな」と、ときどき、自分で呟いてみる。

_ 某氏と某先生と語り合う。某公募について、「きみ、そういえばこれに応募するよね?」と、某同僚さんから婉曲な問い合わせがある。出すわけないがな、と回答したところ、安心しましたという返事。。なんだかもうなあ、という気持ちになる。

_ なんかいろいろ複雑な背景の中、いろいろ話を進めていかなくてはならなくて、ちょっとたいへんになりつつある今日この頃です。


20-10-2006 / Friday [長年日記]

_ 帰国準備。図書の発送。今回は、人にお願いして送っていただくことができるので、気楽。船便と航空便とに分けるだけでOK。おみやげの類を買いに行き、なぜか総刺繍のブラウスなど買ってしまっていた。。おみやげ、もう考えるのが面倒になり、全員、おなじ物にする。某氏と一緒に最後の晩餐。総刺繍を早速、着ていく。このようなものは、日本で着装すると「あ、なんかヒッピー?」と思われるような気がするので、たぶん、着ないだろう。でもとても気に入っている。

河童国でストップオーバーするので、ホテルの手配など。スーツケースも開けなくてよいように、洗面道具と着替えだけ手荷物に取り分ける。機材も入っているので岩みたいに重くなった。


21-10-2006 / Saturday [長年日記]

_ 河童国で予定通りに先輩と合流。おいしいものをごちそうしていただく。夜からさらに打ち合わせという先輩と別れて、紀伊国屋へ。ほんとうはもっと先輩と話していたかった。またしても「はよ結婚しいやー」と言われる。会う度に、そして別れる度に、挨拶の前にかならず言われる。来週、河童国へ帰省するという中欧某大学の講師を紹介してやるから、かならず来るようにといわれる。。40歳で、たぶん、いまだかつてガールフレンドがいた形跡はないが、よい人だから必ず出席するようにと言われる。40歳。そういえば、今回の出張中、何かとわたしのことを気にかけてくれて、ほとんど初めて、心底、いろいろと話をした某氏も40歳だった(しらんかった。てっきり、同い年かと思っていた。失礼なことにずっとため口だったものなあ。。人を見た目ではんだんしてはいけない)。奥さんも40歳だった。この河童国の先輩も40歳。40歳の人に助けてもらう一年だったのかな。

紀伊国屋で2時間。疲れたのでフードコートでチャーシューパオとミルクティー。自炊用にいくつか中華系のハーブやカレー用のスパイス調達。ひとつずつパックされているにぎり寿司を買うかどうかさんざん迷って、なぜか化粧品売り場に行って、いつもの香水。そのままホテルに向かう。帰国した翌日にひじょうに重要な打ち合わせがあるので、その連絡を確認するため、インターネット喫茶へ。イギリスから山ほど問い合わせが来ていて、すぐに回答しないといけなかったので、お返事。そのため、重要な打ち合わせの連絡を読むのを忘れたままログアウトしてしまった。ホテルの部屋に戻ってBBCを観ようと思ったら、ブレーカー?が落ちた。一人用の湯沸かしのスイッチを入れからだったらしい。部屋は真っ暗、エアコン停止、遮光カーテンをもうおろしていたので、ややパニックになりつつも、マグライトをさっと取り出してさてとひねったら、電池切れであった。。手探りで電話にたどり着き、とりあえずなにか押してみて、電気が落ちたからすぐに来てくれー、というと、なんと全館、落ちていたらしい。わたしのせい‥じゃないだろうな。。

小一時間またないといけないとのこと。しゃあないなあと、小汚いままベッドカバーに寝転がって、帰国のシミュレーション。飛行機の中ですることとか段取りを考えていると寝てしまった。起きたら部屋は明るくなっていて、テレビもついている。もう夜中の2時。とりあえず、顔を洗って歯を磨いて、一旦寝る。4時半に起きて、シャワー。6時にcheckoutして、いつもの薄いパンがおいしいインド系の朝ご飯屋に行くと、ここのインド系の人はムスリムなのだった。ゆえに、断食期間中は、日没後しか営業していないのだとか。あと数時間早く起きていたら、食べられたのになー、と残念。紅茶だけ飲んでタクシーで空港へ。今度はエコノミー。

一列一人で座れたので、安心して仕事道具出す。隣列の人、いかにも凸凹大学の研究者風の人だった。そういうのって、なぜかすぐにわかるものなあ。書類を3枚ほど作ってから、寝る。爆睡。帰宅してからも、すぐに寝るつもりが、もうなんだか頭が冴えてだめだ。あと、メール、個人的なメールは、最近、ほとんどゼロ。仕事関連のメーリングリストばかりが来ている。友だちが減ったような気がする。もともといたのかどうかもわかんないけどね。。ということで、よい天気なので、洗濯機を回し中だ。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ぜぶら [ そんで帰国されたのでしょうか?  でしたら、おかえりなさい。  いや、あまりにも大変そうなので、メールを出すのもな..]


22-10-2006 / Sunday [長年日記]

_ 絶対、あそことあそこはつながっているよなー、とか思うものな。でもまだ尻尾が掴めないもの。

スパイスをたくさん使ってカレー。クローブをほんの少しだけ入れると、おいしい。カレーにクローブを入れるというのは、昔、某所の大御殿に居候していたときに、教えてもらった。

来年度の非常勤、男子大学から継続打診の問い合わせ、女子大学からは音沙汰なし。女子大にはもう行きたくない。返事は当面、保留。どんなふうに4月以降を暮らしていくのか、まだわからんからなあ。

_ ひじょうに重要な会議は月曜日に変更されていた。

_ Chittagongの先生から、わたしにD論の指導をして欲しい、セミナーにも出席したいという問い合わせが、CV付きで送られてきていた。が、まったくこの方のことを知らないし、25歳で助教授というのはなんとなく悔しいし(苦)、捨ててしまっていいかなと思うのだけど、宛名が完璧にわたしのものになっている。過去にお会いした記憶ゼロ。宛名は別に間違っていない。嘘メールとかそんなのでもないような気がするのだけど、どうしたものか。というか、わたしに指導する資格がないことくらい、ちょっと調べりゃわかるわけでもある。ということは無視してよろしいというになろう。最近、この手の不思議メールが多い。あと日本に留学したい人が、なぜかプロポーザルのチェックをして欲しいと、次々にファイルを送ってくる。無料で添削サービスをしてくれる人とかいう情報が回っているのだろうか。

_ 最近、急速に学問的に話をする機会が多くなって、唯一、わたしが積極的に携帯電話の番号を教えてしまった某さん、やー、ほんとに頭がいいなあ。ただ一方的に聡明というのではなく、わたしがほんとは一体何を考えているのかということを、どんどんと引き出してくれる人だ。ご夫婦ともに聡明。研究者夫婦って、こんな感じにつねにお互いを刺激しあって、知的な生活を楽しんでおられるのだろうか。だとしたら、今まで研究者とだけは結婚すまいと思っていたが、軌道修正してみてもよいのかもしれない。もっとも、なんだか楽しそうだなあなどと軽佻浮薄に思ってしまうわたしには、そのような日々が訪れることがないことは、確かであろう。

_ 桐野夏生「グロテスク」。こういう小説、もう読むのがしんどくなってきた。一番嫌いなのは、ユリコの姉。この人、なんて名前なのだ。「ユリコの姉」だけでいいのか。そういえば、出張の最後のほう、ドライバーさんとおしゃべりしていたときに、夫は妻のことをなんと呼ぶのかという話になったことがあった。子どもができるまでは、それこそ「妹」だの「ベイビー」だのに類した表現で呼ぶとのこと。「おみつ」とか「おせん」とか、直接に名前を呼びかけることはあまりないのだそうだ。妻は夫を「兄上」とか「おにいちゃん」と呼ぶ。やはり名前を呼びかけることはない。子どもが生まれると、子どもの名前+お母ちゃん、とかお父ちゃん、などと呼ばれる。これは日本でもとてもよくあることなので、別に驚かないわけであるが、名前は記号じゃのう、と深く納得するわけであった。ところがこういった背景に暮らす人にとって、わたしのように社会のどこにも属していない人をどのように呼ぶかは、実は問題のようでもあった。名字で呼ぶべきか、名前で呼ぶべきか。ドクターをつけるべきなのか、まだ大学にポジションはないのだから、ミスでええやろか、いや結婚していないけど、結婚していて当然の年齢なのだから、ミセスくらいに呼んであげてもよいだろうか、いやいやまてよ、それもかわいそうだから、おねえさん、あたりにしておいてやろうか。。という煩悶が見て取れるので、「名前だけでOK」ということにしているのだが、それもまた落ち着かないよう。社会的にどこに属する人なのかがわからないから、わたしのことを第三者に紹介ないしはうわさ話をする際に、困るのだそうである。そんな話を渋滞の中で、延々としていた。「ユリコの姉」という存在に対するわたしの不快感というのは、自分も居場所のない無名の人であることと関係しているのかもしれないにゃ。


23-10-2006 / Monday [長年日記]

_ 高島屋のローラ・アシュレーが閉店になっていた。。これはすごいショック。

_ 帰国後、今浦島になっている状態のところで、いろいろとインプットしてもらう。ま、あいかわらず、ひどいところに帰ってきてしまったな感。月曜の会議の後、某所で缶詰にされることとなった。この時期に缶詰ということは、それはもう某書類を書かされるという業務のためにどこにも行かせてもらえないということを意味する。わたしって、なんなのかなあ。便利屋を思い切って名乗ってみようか。家にまでじゃんじゃん電話かけてきて、学校中、○×が今朝、帰国して出勤しているはずだけどどこにいるんだ!と、探されたりしたら、こちらがどんな思いをするかとか、考えてくれないのだものなあ。わかってくれるのは、相変わらず、某さんだけで、彼のフォローがなかったら、どうなっていたかと思う。浦島太郎は竜宮城でよい思いをして帰ってきたのだけど、わたしはまだ竜宮城には足を踏み入れていないものだから、ただ、自分が巻き込まれているものに逆らわずいるだけ。いつか竜宮城に呼ばれるかなと思いつつ。


24-10-2006 / Tuesday [長年日記]

_ いいお天気。

_ なんだかおなかの中に虫がいるようで、気持ちが悪い。虫がいるときって、すぐにわかる。全体的に気持ちが悪くなるのである。普通の虫下しではだめな種類の虫のような気がする。


25-10-2006 / Wednesday [長年日記]

_ ほんまにええように使われているだけで、悲しくなってきて、今日は起きあがれなくなった。もう今日はおうちにいよう。帰ってきて、すぐ会議にかり出されて、缶詰にさせられて、書類書かされて、それで業績には名前も入らないし、完全に事務の人とおなじ扱いで、部屋もないし、辛うじて隅っこのパソコンを使わせてもらっていて、そんな現実に3ヶ月のブランクのあと、また直面してしまったら、高め安定していたテンションがすとんと切れてしまった。わたしに関心をもってくれている人はゼロで、わたしの個人的な意見は全部無視されていて、だれもわたしを評価してくれない。こちらの提案はことごとく無視されていて、なんであちらの提案ばかりしたがわないといけないの。ひとりでも味方がいてくれたらよかったのだけど。みんながやりたくない仕事をやりたくないのはわたしもおなじなのに、給料を出しているのだからやりなさいと言われる。そのとおりだけど、他の人は給料を貰っていないの?先生だからかまわないのだね、自分の研究に専念していれば。ひとりぼっち感でつぶされそうになる。

_ 調子悪い。仕事も進まない。今、学内でちょっとおしゃべりして気分を転換してくれるようなお友だちがいないのも辛い。ばかな話をして、けたけた笑って仕事に戻るということの大事さをしっているだけに、そういうのもだんだんと辛くなってきているのかなあ。


26-10-2006 / Thursday [長年日記]

_ マクドナルドのメニューに、マックフルーリーとかいうアイスが登場した模様だけど、これ、海外のマクドナルドでは、随分前からの定番メニューだったと思う。というのは、まだことばが話せないのと、まだ若くて一人でお店でごはんを食べる勇気がなかったころ、お昼はこのアイスだけ、夜もこのアイスだけ、という日々があったのだ。マクドナルドにいるわたしは匿名の外国人で、ただの旅行者に見えると思っていたのだ。ことばが通じなかったらどうしよう、なにか聞き返されたらどうしよう、という不安に駆られることがない。ことばが下手でも、始終びくびくしていようとも、ただの旅行者なのだといえば、すべてが許されるような気がしていたのだ。お金もなかったけど、いつもひもじいような気がしていたものだった。今、マックフルーリーを食べたら、懐かしい味がするだろうか。苦いかも知れない。バニラシェイクも長らく、晩ご飯にしていたと思う。もっとも、その後、わたしが住むようになった場所にはマクドナルドがなかったので、空腹で倒れる前に、なんとかふつうのお店でも注文できるようになる必要があった。それで、すこしずつ、次第に、ことばが話せるようになった気がする。懐かしい。みんなそんな道を通ってきたはずだったのに。きみもそんなことがあったはずなのに、もう忘れてしまったのかい?そう問いかけていれば、きみは死なずに済んだのだろうか。もう遅いけれど、明日、わたしはマックフルーリーを食べながら、きみに向かって尋ねてみるよ。もうなにも心配しないで、ゆっくりお休み。もうしんどいことは終わった。今頃、きみはなにを食べているのだろうか。なんでもおいしそうに食べていた姿しか、今は思い出せない。大きな体を丸めて、きちんと正座していた姿だけを、覚えていたいと思うよ。しんどかったねえ、ゆっくり休みや。

_ 登校拒否二日目。。といっても家で作業しているからよいのである。

この部署がだめな理由:愛がないからだと思う。あほかと思われるかも知れないけど、愛がなさ過ぎる。愛ってなに?と問われても、わたしにはそれに対する答えの用意はないのだけど、この殺伐とした環境にいて、なにかがおかしいと思えるということは、たぶん、まだわたしの精神はまともなのだということなのだろう。まともな精神は、まともな感情を欲するもの。

27-10-2006 / Friday [長年日記]

_ 朝は三時に起きて書類を書いていて、夕方、毒でも盛られたかのように眠くなったので、さっさと帰るつもりが、思いついてジュンク堂に寄り、散財。さらには高島屋でハンカチを4枚も買って、気が遠くなった。なぜ今、ハンカチなのだ。家に帰ったら9時だった。すれ違った人がみんなわたしをじっと見るので、社会の窓でも開いているのかと思ったら、開いていました。誰も教えてくれないのだね。

_ 地理が嫌いだったので、日本史と世界史を両方、選択していた。高三のときは、週に6コマも世界史を取っていた。うち2コマは選択科目の近現代史。といっても、先生はローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトに心酔していた人だったので、ほとんど20世紀のドイツと東欧の話ばかりであったような気がする。理科も、高一のときは、生物と地学、高二のときは物理と化学と、全部取った。文系理系にかかわらず、理科は全員が必須科目として全部を選択しないといけない学校だった。公立高校だったけど、全員が新聞部みたいに、なにか一言書きたいとか言いたい学生ばかりのだった。学年末の文集に掲載されるメンツは、意外にも体育会系の人が多かったりした。わたしは一年と三年の時にメンバーに名を連ねた。数学、英語、国語にさほど集中することなく、他の科目もまた集中できた幸せな時代だったということもあるが、受験に関係しない科目の先生が、おもしろい人ばかりだったということもあったかもしれない。とくに理科系、社会系、そして漢文と古文の先生は、今思えば、大学教育並みのプロフェッショナルな先生が多かったように思う。旧制の女学校だったからかもしれないけれど、女先生はほとんどが卒業生であった。もうとっくに退官されたような品のよいおばあさん先生がたくさんおられた。びしばしと身だしなみと素行を注意されることが多かったが、「それは美しくない」とか「品がない」とか、「あらそれはすてきね」という会話がほとんどであった。階段の踊り場には、身だしなみチェック用の姿見が据えられていた。ほこりっぽい空気の中で、日光がきらきらと窓から差し込み、踊り場を通り過ぎるときに、自分の姿をちらりと横目で見ながら、大人になったような気がする。進学校ではあったが、みんなのんびりとしていて、職員室の新聞は赤旗と朝日新聞だった。もちろん、今は、国旗が掲揚されており、国歌斉唱もされていることだろう。学校の建物も替わり、女学校を卒業した女先生ももういなくなった。わたしは小さなピアノ室に忍び込んで、ときどき、ぼんやりしていた。学校を全面的に信頼していたというわけではないが、学校はその頃、わたしにとっては社会だったような気がする。その記憶が濃厚にあるから、いまでも学校幻想が強い人間なのかもしれない。といっても、大学とか大学院に対する幻想は、ほとんど持たなかった。高校時代がすべてであったと思うほどに、楽しかったからである。大学へ行くための過渡的期間みたいな高校の有り様だと、ここで教養を学ぶということは難しいのかもしれない。高卒で就職する人は、一桁の前半台しかいなかったけれど、問題意識の高い人たちばかりだったような気がする。なんだか懐かしい。出身高校に対して、そういう思い出を持たない人が多く出そうなこの頃、それは不幸なことだなあと思う。


28-10-2006 / Saturday [長年日記]

_ わたしの悪いところは、細部に凝るあまり、全体を見失ってしまうことかもしれない。。というがそうに違いない。もうこれ以上、がんばれないので、寝る。

_ そうだ、今やマックユーザーではないか!ということを思い出したので、しこしこ作業。でも、大学のソフトのほうが古いので、うまく開けるかどうか微妙。。

_ 語学学校の入学準備着々進行。住むところが決まった。一軒家を借りることにした。街中にある先輩の持ち家。安全。川の近くに住めるのがうれしい。

_ 仕事がたまりすぎていて、にっちもさっちもいかなくなっている。先日の出張のうち、ふたつの財源の会計処理は済んだのだが、あとひとつ、よその大学の会計に出さないといけないほうが、もうしんどくて手が回っていない。月曜日には絶対提出と思っているのだけど。。明日は久しぶりに日曜出勤。帰国してから大体、睡眠時間が4時間(時差ぼけがきつい。。)で、しかも眠りが浅い。ぱっと切り替えができなくなったことが辛い。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ぜぶら [一軒家。なんてステキなのでしょう。 で、それって日本の話? 持つべきものは持ち家を持つ先輩だわね〜。]

_  [某国です(笑)。密かに家を購入しておられて、引退後に備えておられるとのこと。確かにもつべきものは、そのような先見の明..]

_ UtindDitStund [<a href=http://ebookanswer.com/>book genealogy to enrich t..]


29-10-2006 / Sunday [長年日記]

_ 今日、やらないといけないこと:①査証申請、②某書類、③会計書類提出、④某書類、⑤片付け、⑥郵便。あとできれば、自転車操業をしなくてもよいように、しないと。チケットとか旅行伺いとか、どうするんだ。こういうとき、秘書さんを奥さんにしている同僚とかがうらやましい。男の研究者は、なんだかんだいって、秘書さんとか非常勤の人に上手に頼むものなあ。わたしが頼むと、「そういう事務仕事を自分でやってこそ一人前の研究者だ」とかいって、余計な説教をするくせにさ。とか思っている間があったら、手を動かすことにします。アルバイトをお願いしたいです。ルネで好きな物食べ放題させてあげるとかいって、ついてきてくれる人なんて今はいないものな→かつてそう言われて、飛びついたわたし。


30-10-2006 / Monday [長年日記]

_ こしあんかつぶあんかという話を読んで、無性に、こしあんの酒まんじゅうがたべたくなった。十三駅の改札の前にある、あの渋い和菓子屋。まあもっとも、わたしが一番好きな和菓子は、伊勢の名物赤福餅である。完璧。シンプルかつおいしい。あと青森かどこかの鶴の子もおいしいな。(かもめのたまご、ですよね?はとのたまごだっけ?)あと、長崎のふくさやのカステラ。和菓子ツアーに行きたいな。きんつばもおいしい。無性にあんこものが食べたい夜。

_ メモリフラッシュ、SDカードなども価格破壊の時代になったのだろうか。生協で、安く売られているのを見て、おおいに迷ったが、結局買わず。自動販売機のところで、赤いねこを見る。むちゃくちゃかわいい。しばらく、みゃあみゃあと話をする。日本のねこは、外猫も家猫もみな太りすぎだ。今日の赤いねこなど、下手すると、アジア・アフリカの新生児並の大きさ。何を食べているのだろうか。しかも物怖じしない。人間と堂々と向き合って、最後には威嚇するなど、世の中をしっかり生きているようにも思われる。今日は、うっかり落としてしまったお釣りを取ろうと屈んだところ、ねこに思い切り威嚇され、きゃっと小さく叫んでしまったほどだ。

査証の件で大使館に電話。とりあえず、OK。チケットも取れた。しかしここの代理店の人、もう前世紀からのつきあいなのに、毎回、かならず経由地のある深夜便を最初に予約してくれる。深夜便はいやだと毎回、言っているのに、人の話を聞いていないのか、嫌がらせなのか、あるいは反対にわたしのことが好きなのか(はは、さすがに一応、書いているだけです)。担当が変わらないというのがよいのか悪いのか、もはやわからない。

_ まいなー・ちぇんじ。


31-10-2006 / Tuesday [長年日記]

_ おまんじゅうが食べたい。


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