_ 今日も緑がきれいだったなー。
本部で打合せが終わって構内を歩いていたら、お稽古ごとでおなじクラスの某人と遭遇。お互い、お稽古の時は、割合、きちんとした格好をしているということがわかる。といっても、私は非常勤の帰りだから比較的ましな格好をしているということなのだけど。お互い、服だけ見ていたら、決してわからなかっただろうが、ピーター卿も言うように、「背中はごまかせない」ということであった。
_ 『犬は勘定に入れません』、買う。
_ ねむい。
_ 今期のお稽古ごとの先生とは、やっぱり相性が悪いので、来期は飛ばすことにした。どちらにしても全回出席は無理だし。
_ 今日はなんかお昼過ぎから、本物の嵐が来て、とても寒かった。朝はこれでもかというほどに蒸し暑く、研究室は誰かがエアコンのドライ設定にしていたので、暑いのに乾燥していて、窓をあけて湿度を保ったかんじ。体がついていけないよー。今日もまた乗ったタクシーの運転手さんに、積極的に話しかけられた。乗る距離が短いから、話が盛り上がったところで、どこで下ろしてもらうかを告げるのは、微妙に心苦しい感じがしてしまう。話は楽しいのだけど、おりなければならないということを、もっとさらりと言えたらいいんだけど。気にしすぎているだけだと思うのだけど。
_ 『若草物語』の何章目かの出だしは、「6月1日!」だったような気がする。ジェンダー研究に引っかかりすらしないほど古典的な本だと思うのだけど、なぜか身の回りに四人姉妹の人が多いので、わりと親近感のある本。もちろん、ジョーが好き。
_ ひょんなきっかけから「マンハッタン・ラブ・ストーリー」の最後の方の何回かを見ることがあった。その前からそうは思ってはいたのだけど、ミッチー(及川光博)って、かっこいいなー。改めて思った。割とツボにはまっている。なので、「キューティー・ハニー」は見に行きたいような気がする。
_ タスク、多し。できるかな。
_ 何度か書いたと思うけど、小学生の時は、物語の国に住んでいたようなもので、気の合う友だち(男の子もいたりした)と一緒に、サミアド(砂の妖精)を探しに行ったり、地底探険ごっこをしたり、ロビンソン・クルーソーごっこをして遊んでいたものだった。もちろん、現実と物語の境界を意識していたのだと思う。だから、「ごっこ」だったのだと思う。学年が上の男の子にいけずをされたことはあったが、それは「自転車をこぐのが遅い」とか「走るのが遅い」とか、そんなのが理由だった。かといって、じゃまにされたわけたでもなく、待ってくれていることを知っていたので、涙ぐみながらも、必死でペダルをこいだものだ。今でも駅で当時のいじめっ子の男の子だったおじさんに会うが、ま、しらんぷりしている。お互い。
アンじゃないけど、想像力って必要だなと思う。ぼかして書いているからわかりづらいと思うけど、小学校上級生の女の子は、子どもじゃないし大人じゃないし、自分でも自分が誰がわからないような時期だと思う。だんだんとその境界の時期が若くなってきているのに、周りの大人が気付くのが遅れているということもあるだろうなと思う。子どもだ、子どもだと思って、子どもを見る目線を変えてもいいんじゃないかと思ったりした。
_ 小学校上級生の女の子にとっては、容姿の問題は重要だもんなあ。。。私は背が高すぎたのが悩みだった。今時の164センチなんて、ごくごく普通の身長だろうが、当時は大きすぎた。
私が小さい時にも、小学校の飼育小屋で飼っているウサギを全部殺してしまうような人はいたし、いじめもあったし、仲間はずれもあった。『ぼくは12歳』(岡真史)が学校の図書室にあったりして、だんだんと世の中の矛盾とか複雑さに気がつくようににもなった。自分が死んだらどうなるだろう、死んだ後の世界はどんなだろうかと考えることはあったと思う。『ブラックジャック』だって、もう読んでいた。偕成社の「少女名作シリーズ」には、病気で死んでしまう薄幸の少女たちがいたものだ。死ぬことは身近なことではなかったにせよ、悲しいことなのだな、もう元には戻らないものなのだなと思ったものだった。マシューも死んでしまったし。
虫を殺すこともあった。川で捕まえてきたメダカをうっかり日向に出したままで、小さなお腹を見せて水面に浮かばせてしまうこともあった。男の子たちは、ウシガエルを踏みつけたりしていた。
毎日おなじ服を着ている女の子に「全然着替えへんねんなー」といじめる女の子がいたが、そう言われた女の子は「私はおなじ服を5枚持っているのだ」と切り返していた。「100枚のきもの」のワンダ・ペトロンスキーに憧れていた私は、こっそりとその女の子を尊敬するようになった。
でも誰かを殺そうと思ったことは、多分、一度もなかった。苦手な人がいなくなればいいのにと思うことはあったが、それは「明日、地震が起きて学校がなくなればいいのに」とか「火星人がやって来てたいへんなことになればいいのに」というのとおなじ次元のありえないことであった。どうしようもない、ということである。
_ 今回の事件は最初から殺意があったということが、きっと、問題なのだろうなあ。私が一番引っかかっているのはきっとそれだ。人を刺したら、血が流れて、もう取り返しがつかなくなるということを少しでも想像できなかったのだろうかということだと思う。自分だけの問題ではなくて、自分の両親や兄弟も巻き込む、たいへんな事態になるということである。
もちろん、いつの時代にもきっと似たようなことはあり得たと思う。これがインターネットの影響だとかなんだとかはあまり関係ないと思う。三島由紀夫の『午後の曳航』なんて、恐ろしい小説だ。子どもでも殺意は持つということを、いや、だれでも瞬間的には殺意を持つかもしれないということを具現化した小説だと思う。
_ とにかく、痛ましいなあと思った。残された家族も、それから、これから長い年月を生きていかなければならない女の子にとっても、辛い時間が流れ始めたのだなと思う。
_ 人間はいろんなことを学習する能力があるはずで、その中のひとつに「忘れる」というがあるのだと思う。
_ やっと、送信。ダメ人間ぶりを発揮した一週間でした。前半:がんばりすぎる、後半:がんばらなさすぎる。メリハリがあればいいというものではない。今月はほんとにタイトなスケジュールなんだな。。気分転換に時々眺めているのが、これ。庭にパソコンを持ち出して見ればいいのかも知れないけど、暗くてわからないだろうなあ。。
_ で、セカチュー。『青春デンデケデケデケ』(芦原すなお)、『69 Sixty-nine』(村上龍)『世界の中心で…』の順で、好きだと思う。全部映画になっているらしいが、観たのは「デンデケ」だけ。セカチューと略すらしい。アクセントは/ka/。このように、似たような小説を片っ端から読んでいるということは、認めたくないが、この手の小説を読みたくなってしまう気質があるということだろうにゃ。。系列的には、『しろばんば』とか『坊っちゃん』とか『ライ麦畑でつかまえて』も入るのかな。いや、違うか。
_ いかんなー、と思いつつ。
日増しに、レジュメを用意するのが遅くなっている。なんとか水曜日の午前中までに提出してあとはのんきに…と毎回、思うのだけど、結局、それ以外になにもできない状況。研究室へ行けば、それどころではない雑用が待ちかまえているから、すっかり出不精になりつつある。家にいてものんびりするどころか、レジュメの準備をしていなければ、ほとんど書類書きとかそんなに追われて、まったく、時間の使い方がへたっぴーになったものだ。
_ どさっと、アイロン掛ける。
_ ♪6月6日に雨、ざーざー、降ってきて。梅雨入りしたそうだ。いっそ降ってくれたらいいのにというくらいに、湿度が高い。掃除とか、片付けとか、いろいろ。
_ BBCでいえばRadio2みたいなFMをたまに聞く。日曜日は、本当に80年代、90年代前半。いや、今、Lollipop(Chordettes)が流れているよ、「スタンド・バイ・ミー」の。ディスクジョッキー女史の日本語がNHKのアナウンサー並にきちんとしているところもよい。
_ 百貨店のバーゲンコーナーにより、とっても安くなっていたトプカピのスカーフ、買う。夏場でもクーラーの効きすぎているところで首に巻いたり、膝に広げたりするだけで、冷え性は随分と改善される。ペイズリーって、昔は嫌いな柄だったけど、ここの柄だけはなんとなく好きなので、なんだかんだで、5枚も持っている。
そういえば、昔、ペイズリー柄のいろいろなものを集めた企画展が、どこかの博物館で行われたことがあったらしく、その図録を読んだことがあった。ゾウリムシに準えられることの多い柄だけど、手の込んだ模様に描かれると、なかなか素敵だと思うんだけどなー。と、誰にいうでもなく。一瞬、プリンスのことも思い出す。ペイズリーなんちゃら、って歌っていたもんで。
_ 院生さんと話。前回、相談に乗ったときに私が言った一言が印象的だったのだという。それで別の人に、「なんて、『をんならしい』発想かと思って、自分もそうでありたいと思った」といったところ、「それはむしろ、『研究者らしい』発想だ」と訂正されたのだという。どちらであっても構わない。うれしいと思ったのは、また次も会ってくださいと言われたこと。畑の違う人と話すのは楽しいし、刺激になる。研究という次元を離れても、楽しくつきあっていけそうな人だからかもしれない。
_ 先週買った、「ユリイカ」のバックナンバーの「クマのプーさん特集」によれば、ディズニーのあの黄色いクマとシェパードが描いたプーさんは別物として認識されているのだという。後者の、輪郭が曖昧で、いかにもクマのぬいぐるみ然とした方は、「classic Pooh」というそうだ。私の机の上に住んでいるのは、もちろん、クラシックなクマだ。クマ界にもいろいろあるんだな。
個人的には、ディズニーのプーさんは、ちょっとおじさんくさく見えて仕方がない。線がはっきりしすぎだし、赤いちゃんちゃんこを着ている。
_ バスの中でKBPに遭ったので、学会の様子など聞くが、想像したとおり。行かなくてよかった。クマのことを考えていたら、クマみたいな人がいたので、近寄ったら、KBPだった。
_ 夕べ、寝る前に、お父さんが書いたお嬢さんへの手紙を読んで、眠られなくなってしまった。いろんなことがわかってくるにつれ、他人の私でさえ、やりきれなくなってくる。
_ 結構、必要があって、four-letter wordの類をみなさんの前で発話することが多いのですが、若いときは絶対にできへんかったやろうなあ(苦笑)。といってもラテンか学術的な単語を使うから下品には聞こえないだろうと思いこんでいます。雪見さんところを読んで、なんとなく連想した次第。今は平然とみなさんに説明して、みなさんが一瞬どきっとする様子を冷静に観察している。そういう趣味を得たというのか(それも問題だ!)、あるいは大人になったのだというべきなのか。
_ 午前中は爽やかだったのに、夕方になるにつれ、蒸し暑くなる。リネン・ウォーターを少し混ぜた水で、机周りなどをぞうきん掛けする。暑いよー。
_ なんか思ったように変わらないなあ。。
_ むむ。。ま、いいことにしておこう。
_ ちなみに私が食べたいのは、キャンプ料理だと思うのだけど、こんなのです。
ぶたモモ肉にたっぷりと黒粒コショウ、岩塩を擦り込む/アルミフォイルで丁寧に包む/大きめの石などで囲いを作ってその中であらかじめ、たき火を作っておく/お肉を放り込み、蒸し焼きのようにする/
今日は気分としては肉食。今週はずっと魚の日々だったからかな。キャンプに行きたいなー。
_ あんまりうれしくない指示を受けて、凹む。甘えさせてくれる人もいないしなあ。なんかものすごく寂しい。
_ 『大きな森の小さな家』を読んでいると、食べものがおいしそうでたまらない。嵐山光三郎が『文人悪食』という本を書いているが、小説やエッセーの中の食事の描写は、美食の人が上手だとは限らないような気がする。メイプル・シロップを雪の上に垂らして、即座に固まらせたものだとか、ニンジンをすり下ろしたジュースでバターを黄色くおいしそうにみせるだとか、ヒッコリーのチップで燻したシカ肉やブタ肉のハムだとか。食べたこともなければ、想像もつかないものばかりだが、読んだ端から垂涎避け難し。
なんかお腹減っているみたいですね。おやつの時間にしよう。
_ 辞書遍歴を思い出してみると、一番最初に買った(買わされた)英英辞書は、American Heritageだったかも。アメリカ演劇を読んでいたので、薦められたような気がする。一番最近、買った英英辞書は、Longman Dictionary of Contemporary English。イギリス人の友だちに薦められたからなのだけど、その理由がなんだったか思い出せない。。辞書は押し花を作るのにふさわしい重さがあれば、それだけで所有する意味があるかもしれないです。自分が持っている辞書で一番有益かつ読んでいて面白いと思うのは、『分解博物館21:英和ビジュアルディクショナリー』だと思われる。だからといって、細かい機械のパーツを英語で言えるわけではないところがポイントです。
_ うだうだと書類作り。でも、まだ終わらない。。
_ で、合間に、ネザーフィールド、ペンバリー、メリトン、ピングリー、ベネット姉妹、そしてミスター・ダーシーとくれば、『高慢と偏見』を見る。久しぶりに見ると、とても新鮮。BBCが制作したジェーン・オースティンの小説をドラマ化したもので、過去にNHKでも幾度となく、放送されたらしい。私は英語の勉強にと思ってDVDを買ったのだけど、生協では、ストックがたくさんあるようだった。注文したその日に入荷しましたというお知らせがきたくらい。
細かいことはよくわからないが、小説とおなじ言葉で話しているように聞こえるところがおもしろい。あと、食事のシーンが多いのもよい。何を食べているのかわからないのだけど、とてもおいしそうなので。ここ数日の私は、どういうわけか、鴨肉もしくはシカ肉を食べることしか考えていない。どちらも、そう滅多ことでは食べないのになあ。なんでもよいのだけど、おいしいものをちょっと贅沢に食べてみたい、今日この頃です。
_ 雨、上がりました。
_ 来週は必殺ウィークだ(笑)。じめじめしているのに肌寒いお天気だと、なんか思考が後ろ向きになるのう。
「なにごとも宗教裁判よりもましだ」「ものごとの明るい側面をみよう」、ということで、来週の目標は、「後ろ向きにならない」ことにしよう。今週は前を向きながら後ろに進んでいたような気がする。三歩進んで、二歩下がるくらいでもいいや。
_ お昼過ぎに原書をみながら、『高慢と偏見』を見てみたら、やはりほとんどの台詞は本文どおり。目が疲れるのですぐに止めた。
これは5人姉妹がいかにしてよき結婚を成し遂げるかという恋愛話が中心なのだけど、どたばたしていない(母親と末妹とイトコのコリンズ君は除く)。主人公は勝ち気だけど思慮深い次女エリザベス。なぜこのような人物がこのような母親から生まれるのかというくらい、お母さんがむちゃくちゃに下世話な人物なのである。父親とエリザベスはいつも機知に富んだ会話をしている。妹たちは世間知らずで、父親をして「イングランド一馬鹿な娘たち」と言わしめるほどに、(実際に若いのだが)幼稚な人びとである。長姉はエリザベスには及ばないが、自分でものを考えることができる人物である。なんというのか、『渡る世間は鬼ばかり』を彷彿させる(といってはオースティンに悪いのだけど)家族ドラマなのである。
登場人物がとにかく、みんな個性的でおもしろい。それと、とにかく食事のシーンの多いドラマで、しかもおいしそうなんだな。なにを食べているのか、ものすごく知りたい。
_ 今年はいろいろと予定があるのだけど、本腰を入れて就職活動に力を注がないといけない。手に職があるわけではないし、今やっている非常勤講師だって、来年も継続するとは限らない。かなり厳しい大学なので、継続はほとんどないものと考えている。かといって、大学界隈に就職できるかというと、これも無理そう。まず学位はあっても業績が少な過ぎるから。今年は投稿論文二本と決めているのだけど、できるかどうか。もう研究職に就くことはとりあえず考えていないのだが、かといって真っ当な社会人としての経験もない。
今の大学にいられるのは今年度が最後だという話を、漸く、母にした。
どんなふうに生きていくことになるかわからないけど、とりあえず研究室の本とか資料とか写真なんかをどこに置くかという現実的な問題をそろそろ考えないといけない。まずは、それ。
_ えつと。。。8分の2(25%)終わったところで、全体の10分の2が終わったということは、結果的に20%しか進んでいないちゅうわけやね♪
_ 貯めていた仕事、8分の1を片付けた。微妙な表現だな。
夏には里帰りしますという連絡が伝わったらしく、「あれこれを買ってきて」というメールが来る。。無沙汰をしているので、そうしたいのはやまやまだが、今のスケジュールではなんだか微妙。。。どうしたもんやら。あと8分の7だ。
_ 涼しいので、よく眠れる。
早起きして、お布団を干す。レジュメをプリントアウトして、予習。『高慢と偏見』、最後まで観てしまう。BBCでも何度も再放送されているそうだが、私もこのDVDを買ってから、少なくとも4回は通しで観ている。普通のイギリスの人がどれくらい観ているのかわからないのだが、日本在住6年の人が5回観たというのは、多いのだろうか、少ないのだろうか。久しぶりにDVD観賞モードになって、やらないといけないことが全然進んでいない。今日できることは、明日しようモードになっている。だめだなー。いや、いいのか。
_ とりあえず、書類の準備。あとはやる気。
_ えつと。。。「10分の1」のうちの「3分の1」ができた。昨日までの分を足すと、ええーと、30分の1+30分の6で、30分の7ができた?分数の計算が怪しいといううわさが。。。確かブラウザで分数を表すことができるなんちゃらっていうのがあったような気がするんだけどなー。分母が大きくなったのが、ちょっとうれしい(違)。
_ 小心者なのですな(苦)。
一本、電車に乗り遅れてしまったので、手持ちぶさたの合間に、ICOCA(っていうJRのプリペイド・リチャージャブル・カードらしい)を買ってみた。しかし、いざ使う段になって、(ほんとにこれをぴたっと付けたら改札が通れるのか…このような時、私はかなりの確率でブーっと音が鳴って、引っかかって仕舞うんだ…)と思ってしまい、しばし逡巡。人気がなくなったらささっと通ろうと思った。しかし、次の電車が近づいてきて、改札付近は人が集まり始め、しかも私のクラスの学生さんらしき人が挨拶してくれて、そのまま改札口に溜まっている。危機一髪でもなんでもないのに、(今ここでICOCAを使うわけにはいかない、いやいいんだけど引っかかって注目を浴びるのは避けたい)とか思って、結局、Jスルーカードを使ってしまった。ちなみにこのJスルーカードは、ICOCAと間違って買ってしまったもの。
で、電車が来て、席について流れる景色を見ていたら、何をアホなこと考えていたのかと、冷静になりました。なんか文明の利器関係に弱いんだな。こんなことでは、まかり間違って携帯電話なんか手に入れた暁には、電柱の影とかお手洗いの中でこそこそ使うのではないかと思われる。いやー、なにを今日はそんなに挙動不審な態度を取っていたのだろうか?われながら、不可解。私が完璧に使いこなせる文明の利器は、一眼レフ(もちろんフィルム装填型)だけです。あとはそろばんくらい。
_ 私にとってはどうでもいいことなんだけど。でも、自分の権力を発揮して、なんでも動かそうと思ってはだめだと思います。その人をスポイルするだけなんだから。って、正面切って、言えたらいいんですけど。言えないから、ここに書くのだ。
_ 今日、初めてランチに行ったお店がとてもヒットでした。しかもおいしかったし、大満足。天井高いし、ロフトでは絵を描いている人がいたりで、誰かの家のリビングみたいな感じだった。オープンキッチンで、包丁を使ったり、フライパンでじゅーっとソテーする音がよく聞こえるんだけど、雑駁な感じはしなかった。いいお店でした。ひいきにしそう。
_ いろんな後輩の女の子が相談に来るんだけど、男の子は来ない。いいんですけどね。
今日はお昼を食べながら、あれこれ話。夕方、本部で打合せ。西日の夕日が強烈。日傘の生地をとおして、じりじりと焼かれる。
_ そうこうしているうちに夜も更けて。
わあー。全般的に準備不足のうちに、もう火曜日だ。なにか重大なことをきっと忘れているような気がするのう。
_ さてー。ひとつ節目を通り越したので、次の段階へ。今日の会合はまずまず。飲み会って大事だなと思ったりしました。4月以降、ほとんど講義の準備とかいろんな雑用に埋もれていて、鬱屈していたもので、今日は久しぶりに風通しよく、いろんな話ができたように思った。久しぶりにお酒も飲んで、気分もよい。
_ それで、夏場はどうやら、「誰もいない」になりそうです。メール、書きますね。
_ ものすごく素直な院生さんとこのところよく話すのだけど、やはり気持ちいいなと思う。ただ素直なだけでなくて、きちんと自分のことばでものを考えることができて、気働きができるというのはすごいことだとおも思う。自分の立場は大教官と院生のちょうど中間。なんとかいい「研究仲間」になってくれるように、一緒にがんばっていきたいなと思った。年齢が下だとか上だとか、その立場に応じた行動というのは確かにあるかもしれないが、よい影響はそういうのに関係なく、どんどんと受けたいなと思った。
_ 暑いねえ。
あれこれDVDの編集して、もう見切り発車だ。時間切れです。
_ 行きしなの電車では、週刊文春を読んだ。帰りしなの電車では、週刊新潮を読んだ。違いはどの記事がトップかおしりかだけで、その間に書かれていたことは記憶にほとんどなし。週刊誌を買うくらいだったら、文庫本を一冊買う方がよかったのにと反省してしまった。朝日ジャーナルの最終号を持っていたりします。だからどうなの、というわけでもないのですが。
_ ピクニック。かつて留学生だった人がサバティカルで戻ってきたので、お昼はみんなで河原でのんびりすごす。就職した人もいるし、相変わらず学生のままの人もいる。6年前と言えば、まだ現役の院生だった。全員揃うと、時間が全然過ぎていなかったような錯覚に陥る。あの頃、よくホタルを見に行ったものだった。ふと、久々に、見に行ってみようかなと思ったり。
_ ゼミ一本出て、うだうだおしゃべりして、眼科に寄って帰宅。目がお疲れのよう。
また明日も、雨らしい。そして、月曜日も雨。うむ。
_ 自分が外国人だったら、断然、エリザベスという名前がいいのですが、友だちにはスーザンというイメージだと言われる。モードとか、マイア、という名前もいいなと思うのは、『抱擁』を再読中ゆえに。
_ 10分1ずつ進んでいるはずの仕事は、先週はすっかり停滞気味。明日っから、またやるぞー、と思いつつ、夕方から『永遠と一日』(テオ・アンゲロプロス)を観る。新しいことばを買う詩人が出てくる。このところ、読む本や観る映画には、よく詩人が登場する。詩のことはまったくわからないが、小学校の国語の時間以来、詩を読むのが苦手。嫌いなのではなく、解釈をするように求められたことの弊害なんじゃないかと思っている。…というのはいいわけで、散文人間なだけなのかもしれないが。
_ もうなにがなんやらわからないままにレジュメ仕上げて、4時起きでシャワー浴びて出発。睡眠不足の頭ではアドリブも出てこず、循環しておなじことをしゃべる。やっぱり寝ないとにゃ。午前中2コマやっつけて、朦朧としたまま電車に乗る。もう全然、頭が働いていないので、乗り換えの駅でもなんでもない駅で降りてしまい、憔悴してしまう。ま、しかし、ごはんは食べなあかんわなと思い直して、パスタ屋へ。これがおいしくなかったのだな。まずい食べものやに入ってしまう才能があるらしい。気合いを入れ直して本屋で渡辺葉(椎名誠の娘)の翻訳したレシピ・エッセー買う。おもしろかったらいいんだけど。
_ やっぱり夜は寝ないといけません。
_ そして、無事にICOCAデビュー果たす。案の定、一瞬ブザーが鳴ったのだけど、センサー?に関知しなかっただけみたいで、もう一回ぴたりとくっつけたら、ちゃんと扉は開いた。なんだー、たいしたことないじゃん!と急に強気になり、使った分をチャージしてみたり、余裕を持った態度で駅を後にした。でもなんかやはりカードが厚すぎるような気がしないでもない。クレジットカードやキャッシュカード並の厚さだもの。
_ 先週読んでいた本の中に、「本当によく訓練された従僕はノックなどしたりしない」ということが書かれていた。ドアをノックして、「お食事の用意ができました」などとは言わないということなのだろうか。去年から断続的に、侍女とか従僕とか客間女中とかの出てくる本を読んでいるのだが、かれらがいったいどんなふうに仕事をしていたのか、とても知りたいこの頃です。『エマ』というマンガがあるようですが、これはジェーン・オースティンの『エマ』なのだろうか?
_ 学部生の頃、さぼられる講義はすべてさぼり、映画を観るかアルバイトばかりしていた。テスト勉強もほとんどしなかった。単位を落としたことはなかったが、成績はとても悪かった。その中で、唯一、全回出席した講義があった。専門科目ではあったが、直接の私の専攻に関係するものではなく、周辺領域の科目も選択しないといけなかったので、登録した講義であった。担当教官は客員教授で、のちにこの分野では先駆的な研究を切り開いた人だったことを知るようになるが、当時はそんなこと知るよしもなかった。
_ なにがそんなに私を引きつけたのか。今もわからない。その先生の講義を受講する機会があったことを人に話すだけで、それは貴重な経験でしたね、とうらやましがられる。当時、その先生はすでに退官されていたから、私の世代でおなじ経験をした人はほとんどいないと思う。そして私自身、とても自慢げにその経験を話していると思う。今や専攻を変えて、唯一、全回出席したその講義を専門分野として、学校で教えたりしているのである。その私が学生さんの出席を細かくチェックしているのが、なんとも矛盾しているのだけど、まあいろいろ考えてのことなので、許してくださいね(と、なぜかここで謝っています)。
_ 「カレンダー・ガールズ」、観る。映画館は3人だけ。ヨークシャーの風景が美しい映画でした。後半、すこしだれたけど、悪くない映画。
_ お稽古最後の日だったので、先生を囲む会。たらふく食べて、帰ってくる。
_ 4時半起きで出講したら、やはり本日は全学的に休講措置。がっくし(内心、うれしい)。研究室直帰。
_ うむ。でも、補講しないといけないんだよね。
_ 夕飯、食べ過ぎで、なんか眠れず。昨日の映画館はものすごく場末感の漂う場所で、『二十世紀少年読本』とか観るのにちょうどよさそうなうらぶれたところだった。嫌いじゃないんだけど、昔、別のうらぶれた映画館で、不届きな輩にいかがわしい言葉を投げかけられたいやな思い出があり、予告編が終わる頃に入ってくる人影が怖くてならない。昨日もやはり、予告編が終わってスクリーンが広がる寸前に飛び込む人影があり、三人しか観客がいないのに横とか後ろに座られたら泣くなあと思っていたら、二列置いて真後ろに座った気配がした。
さて、映画が終わって照明がついてしばらくして立ち上がって振り向いたら、半ば予想していたとおり、観客は三人しかいなかった。。。今日は雨も降っていたしなあ。場末感漂っていたしなあ。。急に寒くなって、大あわてで映画館を出る。ちなみに私が振り向くまで、ドアは一度も開いていない。確認したわけではないが、確信している。これは断言できる。いやー。忘れましょう。
_ 小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店)を読む。なぜか後味悪し。いろいろ思うところはあるのだが、文学って、そんなに「解釈」されねばならぬものかね?というのが、率直な感想。解釈というよりも、むしろ、分析か。いかに私が文学を理解していないかという証左となるかもしれないが、そんなことを思いました。そういう読み物がきらいだとか、存在をみとめないとかいうことではない。この本が、あまり私の趣味ではなかったということなだけである。しかも、そもそも、小倉千加子は文学としては、『赤毛のアン』を読んでいないということなのかもしれないし。
あといろいろ思うところがあるのだけど、小倉千加子がフェミニストだということを知っているので、そういう書き方になるよな…と思ったこととか。
_ 数週間ほど前に、とてもツボにはまる日記…?なのか日誌…?なのか、とにかくそのようなものを見つけてしまい、幸いなことに過去ログがたくさんではなかったので、全部読んでしまった。内容は。これが説明しづらいのだが、どうも私にはちんぷんかんぶんの事象に関する記録なのだと思われる。日本語で書かれているのだけど、半分以上、なんのことかさっぱりわからないのであるにもかかわらず、ツボにはまっているとはどういうことなのか。個人的には、文体に引かれているのだと思っている。なかなかに素敵な文体なのである。わかる人にはわかるように書かれているであろう、その文体から垣間見える書き手の人が、ものすごく魅力的なのである。という感想を持つためには、私の方でも相当に妄想を働かせて読んでいるということが言える。なにしろ、ところどころに書かれている感想や雑感めいたことしか、私にはわからないのだから。その辛うじてわかる部分が、強烈に私に訴えかけるのである。それなのに、書いている人に妙な愛情を覚えている今日このごろです。これって、まずいことなのだろうか?
しかしまず、なんのことについて書かれているのか、がんばって「分析」してみよう!
_ 『風博士』(ブラウザじゃなくて、バンド)が届いたので聴いてみる。歌っている人の声に耳が慣れていないのでまだなんともいえないけど、音がとてもきれい。寝てしまいそうになるくらいに、さわやかな音。退屈なのではなくて、静かな音なところがよい。
_ どうもこの頃、紅茶がおいしく淹れられない。このところ、ずっと同じ銘柄のダージリンを飲んでいるのだけど、味と香りに慣れてしまったのか、まったくマスカット・フレーバーどころか、紅茶的おいしさすら感じられない。舌がおかしいのかなと思って、アール・グレイを淹れたところ、これは普通にベルガモット味。夏場だし、水が悪いということにしておこう。
_ ノックが気になって、手持ちのDVDを早回しで観察してみた(暇なのか)。で、わかったのは、そんなシーンが1回しかみつからなかったこと。といってもその1回は、ブリジット・ジョーンズがダニエル・クリーバーのオフィスに入って行くところ。もっとも、透明壁のオフィスなのだから、ノックなどせずとも、ブリジットが来たということはもうわかっている。しかもブリジットは召使いではない。ということで、なにも発見はありませんでした。
基本的にバトラーは「個」を持たない存在なので、主人や客と同室に居て、空気のように主人たちの世話をしているのではないでしょうか。何がいいたいかと言うと、召使いたちは外にいるわけではないということ。常に扉の内側に何らかの召使いがいるのです。サーブされる側が完全にプライベートでいる(寝室などの)場合は、主人が呼び鈴等で召し使いたちを呼びつけるだけのこと。なのでノックの必要性がありません。主人達がパーラーなどで会話しているときに来客があった場合、客に顔をさらすことのできる立場の召使い(first footmanなど)が、いつでも主人の部屋に入れる立場の者(butlerなど)にネームカードを渡し、butlerはノックなどせずに何も言わずスッと部屋に入っていき、スッと主人の後ろに立ちます。すると主人が「何だ?」と聞き、butlerが用件を言う。そんな感じじゃないでしょうか。 少なくとも19世紀ものでノックの必要性があるシチュエーションが思いつきません。20世紀に入っても、たとえば寝袋さんがあげてらした、イシグロの「日の名残り」では、ホプキンスはノックなんてしていないような気がします。(単なる思い込みかもしれませんが。)P.G. Wodehouse の Jeeves and Wooster のテレビドラマシリーズ(スティーヴン・フライ&ヒュー・ローリー主演)には出てくるかもしれません。その疑問を、解決していただきました。 考えてみれば、源氏物語なんかでも、お付きの人びとは、主人や女主人の逢い引きにいなくてはならない存在ですねえ。「お時間です」と声を掛ける必要も出てくるし、主人と従者の関係には「恥ずかしい」とかそういう感情があっては成り立たないものかもしれないなと思いました。突然、部屋に入ったら、主人が裸で逆立ちをしていたりしても、驚かず冷静に、「寝袋さんがお見えです」と言わないといけないわけなのだなあ。「個」の意識の誕生と階級社会の衰退(安易に「階級社会」と使っています)とか「羞恥心」の芽生えとか、関係がありそうな気がしてきました。 雪見さんとムラサキさんが教えてくださった『ゴスフォードパーク』、生協に注文しました。もう生産中止になっているらしいのですが、あわよくばみつかるかもしれないなー、と思って。どうもありがとうございました♪日記めいたことを書くようになって以来、こんなにアカデミックなことを書いたのは、初めてのことのような気がしています。ちょっとは格調高くなったかな(笑)。
_ 数学。今日は(10分の1)×2進んだので、合計10分の4進んだ。ということは、まだ4割しか進んでいないということである。がんばろー。
_ 家にある本を、本当に全部読んでいたら、ものすごく賢くなっているはずなのになあと思いながら、部屋を片付ける。
さて。今日できることを、明日する方針の一環として、ちょっと昼寝をすることにしよう。なぜか眠い。
_ 巷のはやりで私もやらなければまずいことを書いておきたいような気がするのだが、それがわからへん(=整理できひん)故に、混沌としたまま次の(10分の1)の(2分の1)を終えてみました。10分の1作戦が終わったあとの予定って、いつもながらになし崩し的に年度末になだれ込むしか思いつかない。
夕方だけど、ちょっと寝る。
_ 初七日。
_ よし、(10分の1)終わった。これで5割終了。さてー、がんばる。
_ それでですね、どうしたものかと腰に両手を当てて考えるのポーズを取ったらば、なんと両脇のボタンが外れていることに気がついた(弾け飛んだわけではない)。だからかー。ボタンを嵌めたら、ちゃんと普通の位置でズボンは止まった。今朝は、何を慌てていたのだろうか?
大手を振って本部に出向き、発言して帰ってきた。
_ うちのITさんが推奨するからなのだけど、私はふつうにいろいろなサイトを見るのにはネットスケープを、そして論文書くときにいろいろ参考になるところを見るのには、オペラを使っている。オペラのよいところは、コピーしたいところを選択すると「テキストコピーする?」ということを聞いてくれるところ。これは、文字装飾とかその他の属性をなくした状態でコピーできる機能で、そのままコピー&ペーストで、ワードに貼り付けたりできるのだ。文献リストを作るときにとても重宝する。またURLをアドレスバーにペーストすると、「Paste & Go?」と聞いてくれるところも好き。IEを使うのはUpdateの時だけ。
それがさー、今朝、ネットスケープを開けようとしたら、またしても真っ白になっていました。うーむ、この現象はいったいなんなのだろうか。
_ ええと。流行の腰骨ではくズボンをはいて来たのですが、はいているうちに生地が伸びたらしく、ものすごくズボンが下がってきた。男子高校生だったら、それでよいのかもしれないが、私は残念なことに大学で働いていたりする。どうやって、今から会議に出たものかとちょっと思案しています。
_ お友達のお母様がお花を送ってくださった(斜陽風)。やっぱり、お花をもらうのって、うれしいですねえ。しかも特別な理由があるわけではなく、ただ、「これを○×さんにあげたくて」というふうに思ってくださっただけというのが、なんかうれしかった。
_ ああ。夕方の微風がものすごく気持ちよい。今日中にあと一件、仕事を片付けて、今日はもう終わりにしよう。
_ やっぱり「あしながおじさん」「続あしながおじさん」そして「赤毛のアン」は、何度読んでも面白い。私も絹の靴下とやらを履いてみたいなあと思う。あとルバーブ・パイを食べること。
_ 今日は朝からずっと5分に1回、メールが届いて、その度に返事を書いていたような気がする。メール文化が来る以前は、一体どうしていたのだろうか?電話?電話はついつい余計なことを話してしまう。事務的に話せばよいとはわかっているのだが、あまりに淡泊すぎるのもどうかと思って、ついついくだらないギャグを言ってみたりする。それで「わかりました」と淡泊に受話器を置かれて、(ああー)なんて、凹んでしまっているようでは世話はない。
Before...
_ ブリラン [さらにくっつけて。 ジョーが結婚したのは、家を出てニューヨークで働いてるときに (子供の家庭教師か何かだったはず)出..]
_ ね [むむ。。。雪見さんとブリランさんのベア先生評が違うのがおもしろいですね♪ ドイツ系の先生とあらば、それだけで、私が好..]
_ ね [わかった。なぜジョーの結婚相手をお医者さんだと思いこんでいたのか。『敵様』(続あしながおじさん)で、サリー・マクブラ..]