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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

02-06-2011 / Thursday [長年日記]

_ 扁桃腺炎だと言われていたので予想もしなかったのだが、熱が下がった次の日、子どもの全身に赤いぽつぽつが出た。これがうわさの突発性発疹かも、、と、もしふたつの病気が併発していたのなら、それはしんどいことだったろう。子どものわがままっぷりが全開中なのもむべなるかなと思い、「ちいさなうさこちゃん」「こぐまちゃん ありがとう」「わたしのワンピース」をそれぞれ6回ずつ読むことを命ぜられたのであった。通算でそれぞれ50回以上は読んでいるから暗唱したくなるのだけど、絵を見ることが眼目。挿絵付きの般若心経とかあるかな。この機会に暗唱できるようになればうれしいんだけど。。


03-06-2011 / Friday [長年日記]

_ 恥ずかしながら、本日初めて、親子で児童館デビューをした。ママ友グループとかができているんだろうな、わたしと違って、知らない人にもずんずんと話しかけていくQPさんが、そういうグループに入っていったりしたら、どうしたもんやらなどとあれこれ無駄に悩みながら遊び部屋へ。もちろんお母さんたちはみんなとても若いのだけど、知らない人には適度に愛想よくしつつ一定に距離を置くという感じで、その間に保育士さんがいることが、なんとなくよい具合に緩衝帯となっていたんではないかという雰囲気だった。QPさんはその中でももちろんわがままし放題で、3人のお母さんと5人の子どもが頭を付き合わせて絵本を読んでいる輪の中に入っていって、自分の選んだ絵本を読めと、お母さんの一人に渡したり(完全に保育園の先生と混同している)、ちゃぶ台の上に這い上がって絵本を読んだり、上から下りてくる子どもがいるのに滑り台の下から二カニかとしながら這い上がったり。家にいたら母親とは1秒たりとも離れたくないという甘えっ子なのに、外に出れば、そこにわたしなど存在しないかのように次から次へとおもちゃを取り替えては、広い部屋を走り回る。難聴、発達障害ということばが目の前でじりじりと姿を現してきたような思いに囚われてその場に崩れそうになったけれど、QPさんはとにかく広い空間を存分に走り回ることができたようですっきりとした顔をしていた。その後、大型ショッピングモールに寄って、涼んでから帰宅。家に帰ってごはんを食べながら、疲れてしまったのだろう、QPさんはずるりと眠りに落ちてしまった。その眠りに落ちた子どもを抱っこして、今度は予防接種。熱もなく、突発性発疹からまだ日は浅いけれど、お医者さんの診察でもまったく問題なしだったので、無事に注射。素直に口も開けるし、注射針が刺さっても、注射器をじっと見つめる余裕があるくらいなので、もちろん泣かない。えらい。強い。


05-06-2011 / Sunday [長年日記]

_ 土曜日。朝から子どもを連れて大きな公園へ。とても朝早く行ったので他に誰もいなくて、空気もまだ冷たくてとても気持ちよかった。子どももずっと鼻歌。でもなんの歌なのかはわからない。お弁当を食べようと木陰のベンチに座ったら、すっかりと寝込んでいる。突いても何をしても一向に起きる気配無し。やむなく、一人で食べて、12時前には公園を辞した。とっても疲れたけれど、親子でリフレッシュできた。

日曜日。朝7時半から近所の児童公園へ。100円ショップで砂場遊びセットを買ったので、ふたりで砂場へ直行。QPさんは熊手で一心不乱に土を掘り起こす。わたしはスコップで、型抜きのカメさんと金魚に土を詰め込み、ひょうたん山みたいなのを二人の周りに作り、篩でふるった小石やら枯れ枝を突き刺して築山。が、子どもはわたしの作品にはまったく関心を寄せず、ずっと地面を掘り続けていた。わたしの小さい時と同じだ。小学校4年生くらいだったろうか。なぜかその日は一人で、とても退屈だと母に文句を言ったところ、庭でも掘ればと言われた。それでスコップを出してきて、植木や花壇以外の庭の地面を全部掘り返してしまったので、母に叱られたことがあったのを思い出した。一時間ほど遊んでから、また遠回りをして別の大きな公園まで。11時頃帰宅してお昼を食べて、並んで昼寝をした。一時間ほどしてから一人だけ起き出して、すだれのセッティング。梅雨空が灰色で、蒸し蒸しと暑くなってきたこの頃だ。


06-06-2011 / Monday [長年日記]

_ ろくがつむいかに雨、ざーざー降ってきてないのが残念。

朝、8時半に散歩出発。図書館に絵本を返却するために、例のカメが甲羅干しをしていた池とその北側にある別の公園の池を回るルートを取った。今日もカメとゴイサギが、彫像のように動かずじっとしていた。北側の池では、なぜか水面に埋め尽くすほどたくさんの50センチを超える体長のコイがざくざくと泳いでいる。なんなんだこれは〜、という光景。思わず、ぞぞーっと背中が総毛立つ。等持院大学の裏山のずっとずっと山奥に、小高い山頂が少し平らになっているところに、池がある。まだ三回生だったか二回生だったかの頃、仲良しグループ8人くらいで真夜中にその池を訪れたことがあった(まだ若かったので、夜中ずっと起きてて次の日ふつうに講義に出たりしていたものでした)。と、月明かりもない夜なのに、なぜか突然、水面がぞわぞわと波打ち始め、あっと思った瞬間、水面すれすれに銀色に光るもので埋め尽くされた光景をみたことがある。全員、叫び声を上げる余裕もなく、全速力で車を停めた場所まで走って、西大路に出るまでほとんど一言も話さなかった。ただただ今見たものがなんだったのか考える余裕もなく、とにかく何か明るい光があるところを目指そうとしていたのだった。その時のことをふと思い出したけど、幸いなことに今日の場合はまだ午前9時。怖くない。と、北側の池にもゴイサギが二羽とカメの親子が三匹、池の小さな小山に並んでいた。まったく微動だにしない。と、よくみれば、こちらはどうも置物のようだ。。石を投げて確かめたかったのだが、子どもの手前、我慢して図書館。今日は休館日と知っていたので、そのまま返却ポストに投函して、今度は電車に乗って別の駅へ。児童館へ行くつもりだったのだが、子どもがすっかり寝込んでしまっており、このままでは起こしたところで機嫌が悪いだろうと思ったので、次の駅で下りて市場で買い物をして帰宅。帰宅した途端に目を覚ますお約束。何冊も何回も絵本を読んで、疲れ果ててしまい、いつか寝てしまっていた模様。思い切り子どもに髪を引っ張られて、目が覚めた。


08-06-2011 / Wednesday [長年日記]

_ 先日、子どもと一緒に大きなショッピングモールへ行ったとき、おもちゃ売り場で、ロディという室内用のゴム(なのかな?)の木馬がバーゲンになっているのを見た。3千円という値段は、あとで家に帰ってから調べてみると、定価やスーパーの小売価格に比べると3-5千円も安いものだった。年齢的には少し早いのだけど、活発なQPさんのきっと気に入るおもちゃだと思っていたので、売り場でその値札を見たときは、なんとかして買ってあげたいと思ったのだった。でもそういう余裕はなく、とにかく子ども手当が入ったら急いでもう一度、まだ売れていないかを確かめに行こうと思っていた。そして今日、見に行ったところ、もちろん、そんなものはとっくの昔に売り切れていたのだろう。影も形も見えなくなっていた。かわいそうなことをしたなあと、普通の親だったら、3千円くらいお財布に入っていただろうに、わたしの方が思いっきり気落ちしてしまったのだった。でも気を取り直して、家に帰って、いつものように、襖の陰を使いながら、二人で鬼ごっこをした。くるくるくるくると二人できゃっきゃと言いながら、追いかけっこをして、何がおかしいのか、ずっとからからと笑いながら、疲れて倒れて、笑いすぎて息ができないくらいになるまで遊んだ。梅雨空をからっとさせるような鬼ごっこをしたあとは、冷たい牛乳を一人カップに一杯ずつ飲んで、昼寝をした。QPさんの寝顔は天使のようで、またいつかご縁があれば木馬が家に遣わされてくることもあるやもしれぬと思わせるものだった。体を動かすと、頭がすっきりと晴れて気持ちがよくなる。また明日も楽しく過ごせたらそれで十分。


11-06-2011 / Saturday [長年日記]

_ 夜中に目を覚ますと、まずトイレに立ち、水を一杯飲んでから寝床に戻ることにしている。それからできるだけすぐにiPodのイヤホンを両耳に突っ込み、タイマーをセットしてから、音楽を聴く。大概は、プレイリストにしているいくつかのお気に入りのリストのどれかひとつ。「永遠と一日」のメインテーマは、ショパンのノクターンの一曲にとても似ている。これを聞く度にいつもいつかショパンのノクターン集のCDを借りてこようとおもうのに、いまだ実行していない。体は睡眠状態、頭は覚醒下にあると思っていて、眠りなおすのに時間がかかるだろうなと毎回思うのだが、実際には一曲目のほんのイントロ、そうでなければサビの部分に差し掛かるかかからないかの時点で、もう寝入っているようだ。毎日そうやって、ルーティンになっているのに、毎日、こんなことするのは初めてのことといった奇妙な新鮮さを感じたりしている。


12-06-2011 / Sunday [長年日記]

_ なすび、ジャガイモ、ニンジン、トマト、タマネギ、ひき肉でカレーを作る。ルーを入れる前に野菜などを小鍋に取り分けて、あらたに絹ごしを四分の一丁、さっとレンジで温めてほぐしたささ身を入れて、QPさんように赤ちゃんカレーを用意した。わたしのカレーは毎回、三種類くらいのルーを少しずつ入れて、仕上げに黒砂糖、ヨーグルト、牛乳、ウスターソース(もしくはケチャップ)を入れる。子どもとふたり、はふはふしながら、ときどきお互いのカレーを味見ごっこしながら食べた。


13-06-2011 / Monday [長年日記]

_ 花やさんの前を通ると、カサブランカがたくさん出ていた。思い切って一本、買う。帰宅して、花瓶に花を挿すと、部屋中に濃厚な百合の匂いが立ちこめた。長年、大事にしてきたハゴロモジャスミンが枯れてしまい、今年の季節には花やさんで小さな鉢物を買ったのだった。来年もきっと咲いて欲しい。花のある生活はやっぱりよい。

_ 土鍋でご飯を炊くようになった。おいしい!子どもも喜んで、ご飯ばかりを食べる。

_ 背中の真ん中あたりにまで達するようになった髪を切ろうと思っている。長いのにはもう飽きてしまったというのもあるけれど、変えられる部分から変えてみるのもいいかなと思って。ショートカットだと、小まめに手入れをする必要も出てくる。いまのわたしには、それがどういう種類のことであれ、なにかとにかく「やってみて」「がんばってみる」というのが必要な気もするからなのかもしれない。長いのは、それはそれで便利だし経済的でもあるのだけど、そういう自分にとって楽な方向に流れるのがよくないのだと思い始めたということでもある。遅すぎるといわれるかもしれないけど。子どもはわたしが誰だかわからなくて、泣いたりするかもしれないなあ。


17-06-2011 / Friday [長年日記]

_ 『苦海浄土』。ちびちびとしか読み進められないのがもどかしい。弱者という立場に追い込まれてしまうことに、当事者も、その周りの人びとも、無自覚だった時代があった。今はどうなのだろうか。さまざまな立場の人に、手厚いサポートを提供する種々のサービスがあるように見える。昔は問題とならなかったような事柄でも、今はきめ細やかに焦点が当てられているようにも見える。人の世の中は、そうであれば楽になってきているのかと思えば、そうであるとはなかなか言い切れない部分もまたあって、世の中がどんなふうによくなってきたのか、わるくなってきたのか、昔と簡単に比べることに意味が見いだせないようになっているともいえる。そんなことを考えつつ、夜中に少しずつ読み進めている。それにしても、石牟礼さんが美しい日本語で描く水俣の漁村の人びとの暮らしは、なんと人間的な豊かさに溢れているのだろうか。美談ばかりではなく、哀しい話がたくさんある。そこを生き抜く人びとの力強さを前にすると、この人たちが、今われわれが公害とは無縁の環境でのんびり(それぞれの範囲内でそれなりに苦しく)生きていられるのかなとも思えた。水俣だけでなく、四大公害の被災地はすべてそうなのかもしれないと思ったりもした。苦しいときほど、人間の真価がみえるというけれど、そうであっても情けないわたしなどはどうすべきなのか。一層、頭が痛くなってくる。


20-06-2011 / Monday [長年日記]

_ この日記、相変わらず、一旦更新すると、二度と修正できないままになっているので、ときどきとんでもない綴り方の時があって、ひとりであ゛〜と叫ぶことが多くなった。でも仕方がないので、ドンマイ。

_ 山の家の片付けへ。バスの時刻表が変更されているということを知らずにいて、えらい長い時間、ぼーっと待つ羽目になった。久々の山の上で一汗搔いたが、下界よりも涼しいのであっという間に時間が過ぎた。真っ直ぐ帰宅して家にたどり着いたら、自分では気づかなかったけれど、疲労困憊していたもようで、食べ損ねたお弁当を片付けたら、もう一瞬たりとも起きていられなくなった。それでも子どもをお風呂に入れないといけないので、一緒に泡で遊んだり、数え歌を歌ったりしているうちに、いつもの頭は覚醒しているのに体はもう燃料切れ状態になり貧血。絶好調の子どもをなだめすかせて着替えさせ、自分はお風呂上がりにカルピスもどきを一杯飲んでしばらく起きていたけれど、知らない間に寝てしまっていた。子どもはその間、一体、どうしていたのだろうか。。気がついたら、子どももわたしの隣で寝ていた。中途半端な時間に目が覚めてしまって、まずいことになった。。そうそう、今日の夕食、子どもは一体何を食べたのだろうか。ちょっと謎だけど、ジャガイモを食べていたような記憶がある(もちろん生ではありませんー)。

_ 思考停止状態が長く続いている。子どものことを考えたら早く動き出さないといけないはずなのだけど、まだ動き出せない。そういう甘いところが自分の一番だめなところ。子どもは一体、何歳くらいから、自分の親のことを記憶に刻むようになるのだろう。わたしの場合、明らかに弟が生まれる前後から、自分の記憶というものが始まっている。いつか書いたことがあるけれど、母が入院していたと思われる病院の廊下のベンチから落ちて、鼻血が出たこと、わたしが抱っこできるくらいに首も座ってちょっと大きくなった弟を膝に抱えた写真を撮ったこと(写真を見ることで、その記憶が再生産されたということでもあるのだろうとは思う)、いつもいつも弟一番の家族になって弟に意地悪をしたら、腕が脱臼してしまい、以後しばらく、脱臼癖がついてしまって、母にひどく叱られたこと、、。だから大体、三歳前後から、自分の人間としての記憶が始まったような気がしている。今なら子どもと離れるようなことになっても、子どもはわたしのことを覚えていないんじゃないか、そういう考えが頭に浮かんでは消えていく。そして、すぐに子どもの耳のことを考えて、一瞬たりともあれこれと考えたことを打ち消している。子どもは、わたしが子どもの頃に買ってもらった古いぬいぐるみと、大学院生の頃に買ったちょっと新しい古いぬいぐるみを喜んで、一緒に寝ている。ぬいぐるみと子どもの顔の大きさがほぼ同じで、三人キョウダイみたいにみえるのが、おかしくって。明日はもうちょっとがんばろう。


21-06-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 最近読んだインターネット上の文章で、とても心に残ったもの。「…どの時代でも人は、今出来ることを一生懸命にやることで道が開けてくるのだと思う。…」時々、読ませていただいている方のブログで、『JIN』というドラマの感想を書いておられたもの。ドラマは観ていないし、こちらの方の感想を読んであらすじを把握しているようなものなので、この文章だけ取り出すのはなあという気が多少するのだけど、そうだなあ、、わたしはそういうところがちょっと足りていなかったよなと思って、はっとしたのだった。今日は朝から子どもを連れて図書館へ行き、絵本を借り直したり、新しい本を借りたりして、そのまま特売日のスーパーを回った。帰宅して食事の準備をして子どもに食べさせ、後片付けをしたら、またわたしだけ電気が切れたように寝てしまい、大声を上げて泣く子どもに起こされて、まだ日差しの強さがぎんぎんの中、公園に出かけた。バネ仕掛けのキリンやパンダの乗り物に子どもを乗せ(自分も一緒に乗ったり)、かけっこをしたり鬼ごっこをしたりして、約一時間。とっても喉が渇いたので、またスーパーに寄って冷たい飲み物を買い、途中で飲んで帰宅。子どもは疲れてバタンキューと昼寝。そのすきに家事を片付けて、もうこんな時間だ。でも、もっと一所懸命がんばってみよう。もうなにをしてんだかわからんのだけど、がんばらないと。そんなこと


28-06-2011 / Tuesday [長年日記]

_ 先日の日記が、なぜかしり切れトンボになっていたのは知っていたのだけど、もうどうやっても直せなくてなんだか自分がものすごく「無能の人」、あるいは鈍感力を発揮しているおばはんに思えてくさくさしていた。

週末くらいから、異様な暑さが本格的に始まって、諸般の事情からクーラーも付けられないので、ひたすら団扇で扇ぎ、夜中であろうが打ち水ができるところには水を撒いたりしていたので、とにかく一日中非生産的に眠気が押し寄せてきてたいへんだった。朝昼晩、行水していたような気がする。

それで考え方を変えて、ある日は朝から電車を二回乗り継いで行かねばならないようなところにある超大型ショッピングモールに出かけてみた。節電てどこの国のこと?といわんばかりに、がんがんに冷房が効いていて、寒いくらいだ。そ、それに、これが今時のショッピングモールなんだね!!とにかく広い!すごい!昼時になっても、フードコートに空席がある!フードコートがなんだか某国を思わせる料理やさんの展開で、ええ〜ここはどこなんだ〜と、思わずテンションが上昇したおかげで、せっかく冷えた体がまた暑くなってしまう始末で、とにかくビックリしたです。広いんだな〜。そして、いろんなものがあるんだな〜。QPさんは、いつもはショッピングモール備え付けの子ども用カートに乗るのをとてもいやがる。自分はそんな子ども騙しは嫌いなんだという態度で、断固として抱っこ紐から下りない。なので、その時は家から乳母車に乗ってきていたのだが、そのモールに備え付けの子ども用カートが、QPさんのハートを鷲づかみにしたようで、乗ると言ってきかない。いつもは外で奇声を上げたりはしないのに、とにかく大声を出した。挙げ句には、乳母車から立ち上がろうとする。もちろんシートベルトをしているから、乳母車はその反動で、あわや転覆しかかるし、ほんとに往生した。よその子はみんなとても静かだし、おとなしいのに、うちの子はほんとにほんとに、どこの子や〜というくらいに自己主張というのがわがまま放題で、とにかく気がどんよりと重くなってしまった。せっかく涼みに来たのに、もうそんなことはどうでもいい漢感じになってしまったのだった。予定では、夕方涼しくなる頃に家に着くようにと思っていたのだけど、炎天下の1時半過ぎに、駅から家までの道を歩く羽目になってしまった。帰宅しても、なお外で遊びたがるQPさんを宥めながら、無理矢理DVDを観たりしたのだが、もう利かん坊の小鬼と化した子どもは恐ろしい泣き声を上げるばかり。なんとか用意した夕食も、自分の好きなように食べたいと主張して、思い切り派手に散らかしてくれた。まだまだ半分以上、器に残っているのにごちそうさまをして、お皿を重ねて流しに持って行ってくれるので、こちらの気分はまたどんよりしてくる。賢いのかあほなのかわからんのです。お風呂でも、湯船のお湯をいかにして飲ませないようにするかを巡る攻防があって、こちらはひたすら消耗していた。とにかくですね、飲みたい!と思ったらなにがなんでも飲みたいわけです。だから、愛して止まない丸形タッパーでお湯を汲むことを禁じられても、泡立てネットを浸してそれを口に含んで飲むとか、タオルを浸すとか、挙げ句の果てには蛇口に口を付けるとか、などなどなど。そういう毎日を過ごしています。もう夜も昼もない。


30-06-2011 / Thursday [長年日記]

_ 春先のある日、知り合いから翻訳を頼まれた。日本語から外国語への翻訳で、難しいのは歌詞だという点だけで、分量も多くはないし大丈夫だろうと思って引き受けた。翻訳料を払う、もらうというような話ではないので、翻訳ができた暁に、お昼ごはんでもごちそうしてもらえばOKですよ、というかんじで引き受けた。歌詞には曲がついている。その曲をきいたほうがイメージしやすいのではということだったので、CDを貸してもらえればよいと思ったのだが、新譜を含めて何枚かのCDをいただくこととなった。新しいのを買ってくださったのだと思う。それからも、下書きができるたび、完成版ができるたびに、いろいろなものをちょこちょことくださった。こちらは逆に申し訳ないなあと思うくらいだった。完成版を渡してからしばらくして、問い合わせがあった。実は翻訳した歌詞を公開するに当たり、自分で辞書を使って単語を引いてみたのだという。こちらの表現とわたしが選んだ表現は、どう違うのかという説明をして欲しいという。そのこと自体は簡単で、いくつかわたしの趣味というか好みが先行して、文語的あるいは詩的な語句を使っていたのが辞書(どんな辞書を使ったのかは最後まできかなかった)には載っていなかったり、辞書で引いたときに最初にあがっているのとはちがったりがあったのだと思う。また確かに誤解を招く語句を選んだものもあったと思ったので、その点については、無難な語句に替えたり、説明を付け加えたりもした。難しかったのはやはり最初に思ったとおり、歌詞であることに由来する解釈の問題であった。たとえば、前を向いているという表現があったとしよう。凝視しているのか、何かを考えながらじっとみているのか、あるいは何も考えていないのか。無表情なのか、歌詞の前後から判断してなんらかの喜怒哀楽の含まれる表情があると考えるべきなのかそうでないのか。とおり一変の解釈では間違いが生じたとしてもそれは当たり前のことだろうなと思っていたので、そういう点も含めて、できるだけこちらもいろいろな文献を当たり、人にも教えてもらって、完成稿を渡すことができた。翻訳はできるだけ中立的にと思っているけれど、詩の世界の解釈となると、ある程度、翻訳者の恣意的なことばの選び方が、詩の世界を再構築してしまうのかもしれない。そういうことを勉強できたという点では、よい経験だったと思う。ただちょっと困ったなと思ったのは、わたしの翻訳を、その言語についてはまったく知らない知人が、全部「確認」したということ。クロスチェックはどんな場合でも必要だとは思う。公開するならなおのことだとも思う。しかしなんだかちょっと「いやな感じ」とまではいわないのだが、ちょっと困ったなあという感じがしたのだった。そのことで別に気まずくもならないし、何事もおこらなかったわけなのだけど、人になにかをお願いするのは難しいことなんだなと、今さらなんだけど思ったものだった。


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