_ 全然、世の中の動きから外れたところで一人でごにょごにょとしています。思えばこの数年のわたしは、ずっとそのような感じで過ごしてきた。徒党を組もうにも、群れようにも、今、身の回りにとくに親しい人はいない。みな、いなくなってしまった。だからというわけでもないけれど、新しいことはそれなりに努力して知っているつもりだったのだけど、本来、自分以外のアンテナから取り込むべきような情報からすっかり疎くなっている。そのことに、長らく気がつかなかった。そしてまずいことになっているなあ、と思ったわけである。ひとりガラパゴス化していることに気がついたのだ。わが国の首相をみていて、思わずわが振りを直さなあかんと思ったりしてしまうほど、自分以外の他人とのコミュニケーションが断絶している。毎日学校に来ていても、そんなふうになることがあるわけです。別に意識して閉ざしているわけではないのだけど、そうなってしまっている。誰かに/誰かと何かについてじっくり話す、という行為から遠ざかって久しい。夫や家族を別にすると、今のわたしには誰もいない。誰もいないということは、ある意味、すぅっと消えてしまいやすい状況でもある。さびしいことだと考えるとどうしようもないけれど、自由ではある。ただし、挫けない強さが必要、あるいは感情を押し殺すような鈍感さが必要といおうか。十分に強いし、十分に鈍感やなあと思う。思うので・・・さて。
_ 一ヶ月ほど前のことだっただろうか。新聞で読んだ小さな記事をときどき思い出している。確か九州、福岡あたりで起きた事故だったと思う。40代前半の女性が、1歳だったか11ヶ月だったかの男の子と一緒にお風呂に入っていて、うたた寝をしてしまい、目が覚めたときには子どもは溺れていてぐったりとしていた、病院に運ばれたが助からなかったという事故だった。お母さんはきっと、どんなに疲れていても子どもと一緒にお風呂に入りたかったのだろうな、いやいつもは誰かがお風呂に入れてくれるのがその日だけは都合がつかなかったのかもしれないなどと、ついつい頭を巡らせてしまった。自分もお風呂で寝込んでしまい、母に起こされることがよくあったから、他人事ではなかった。そして、そのお母さんは今、どうしているだろうかとも気になってしかたがない。日にち薬を飲んで、少しずつ、元気を出しているのであればよいのだけれど。
こういう小さな記事のその後について、新聞は報道する必要がないと思っているのかもしれない。わたしは学生の頃、A新聞をかY新聞とかM新聞とかK新聞の入社試験を受験した。結論からいうと、どれも最終面接で落ちてしまったという恐るべき不運、人望とか将来性に一抹の曇りのある若者であったわけである。大体、どの面接でも、ある記事をキャッチ―に取り上げて書くのはよいが、「後日談」を書かないところが新聞の悪いところだ、なんてことを言ったりしたからだろう(いやそれだけが原因じゃなかったんだろうなあきっと:はは)なんて思っている。中長期的な視点からの観察の記録は、すでに「ニュース」ではないから、新聞には載らないのかもしれない。載せないのかもしれない。すぐに結果を出そう、結果が出せる研究をしようという流れとおなじく、とても刹那的。そういう流れがあちらこちらから集まってきて、そういう本流ができているような気もする。というのは、わたしの僻みだとして。
_ いろいろ作業。いよいよ収集がつかないよー。
_ 昨日の午後になって外にお昼を食べに出たとき、わが国の首相が辞職したというニュースを知った。そういうムードは最前から漂っていたとはいえ、本当に辞めてしまうとは。。いろいろ失策があったり不幸なところもあった人かもしれないけれど、辞めることが何かを解決するわけでもなんでもないということは、わかっていたのではないかと思っていたんだけどなあ。別に、前の選挙のときに、彼の党を応援したわけでもなかったけど、もう少し、長期的な視点からどうするのかみてみたいとは思っていた。みな不完全燃焼という感じではないか。
_ 友達にお願いして、某作業を手伝ってもらう。
_ ぎりぎりまでアブストラクトを書いていたりするもんだから、荷造りが一切できていないし、おみやげなんかに手が回らなかったりします。いったい何していたんだなんていわないでね。わたしにもわからんのだから。プルーフが返ってきたらすぐ提出する準備だけはしておこう。で並行してスライド作り。いざとなったら、パスポートとクレジットカードだけでも出国できるんだからだいじょーぶ、と自分に言い聞かせる。がんばろう!