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  1. ね (05-07)
  2. pyonpyon21 (05-07)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

04-05-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 少しずつ復帰しているつもりなのだけど、一進一退。相変わらず。研究も仕事も中途半端、子育ても中途半端、生きているのも中途半端、という事態に陥りそうで、何を今/一番最優先にすべきか、自明ともいえるべきことをかんがえにゃあいかん症候群に罹っている。末期症状である。ぎりぎり踏みとどまっているのは、子どものせいにはすまい、という点のみ。でも一度だけ、言い訳に使ってしまったことがあった。あとは雪崩式にとはならないよう、まだなんとか徳俵にかかとを乗せている状況だ。わたし、どうなるんでしょう。。

暑い季節になってきたからなのか、冬生まれのカルガモさんは、毎日、大声で泣く。そのたびに、体を拭いてあげたり着替えをさせたり。朝はまだ涼しいうちに、近くの公園、神社、高級住宅街などを散歩する。野バラが咲き乱れる小道を歩き、その芳香にうっとりとしている時間が幸せだ。赤ん坊の笑顔というのはほんとうにまったくなんの含みもなく、まっすぐなんだなあ。この子の顔を曇らせてはいかんと思うのがわたしの徳俵かもしれない。まだぎりぎり踏ん張っている。その視界から、わたしが消えてほんの一分もしないうちに、カルガモさんは大声で泣き叫ぶ。洗面所の、お風呂の、台所の扉の向こうから声をかけたって、姿が見えないと、抱き上げるまで泣き続けるのだ。踏みとどまらずにいられようか。まだ、そう思える。


05-05-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 毎日の散歩で、近所の氏子神社でこどもの日の神事があることを知っていたはずだったのに、すっかりと忘れてしまっていた。氏子神社ではない、人気のない、無人の小さな神社に散歩のルートを取ってしまったのだ。カルガモさんにとっては初めてのこどもの日だというのに、大失敗。きっと来年は行こうねと、謝った。

連休の間、母方の親戚一同がカルガモさんのために集まってくれた。出産直後は、冬の一番寒い時期ということもあって、近所の親戚は病院や家に来てくれたのだけど、少し大きくなったカルガモさんの御披露目を兼ねた機会に、みなが集まってくれたのだった。カルガモさんは終始ご機嫌で、わたしの基準からすれば奇声といってもよいような妙ちきりんな大声を喉の奥から出して、きゃっきゃとはしゃいでいた。この数年間は、わたしは特に、某国に滞在していた期間がながかったから、イトコたちの近況なども実はあまり知らなかったのだが、キョウダイが多いと、結婚する人しない人、離婚する人再婚する人などもやはりいて、へええ〜と驚いたりして、親戚たちの話を聞いていた。

そういう流れで当然出てくる話題として、お墓をどうするかという話があった。母方の本家は三姉妹でわたしの祖母が長女である。が、別に遠縁から養子を迎えて家を継がせた。そちらが本家といわれているのだが、その孫の世代(わたしの世代)は女系かつ独身・おそらくこれからも結婚しなさそうで、もう子どもは生まないだろうという状況になっているのだそうだ。祖母と結婚した祖父の流れが分家と呼ばれているのだが、こちらもそういう事情で、母の兄弟は女系かつ未婚のイトコたちばかりとなってしまっている。だれがお墓の管理をするかという話題が出てきてもおかしくない状況で、どうするかな〜という話を数年前からしていたのだという。と、祖父の祥月命日におっさん(お坊さんののこと)が次のような話をしたとのこと。そのお寺さんでも檀家さんらから子どもが地元を離れてしまって帰る予定もなかったり、結婚しないとか、子どもを生まないとか、子どもがいてももう面倒なことはしたくないとかで、なんとかよい方法はないかという相談が増えてきた。なのでお寺では、お墓を解体してその墓石で塔を建て、そこにお参りするようなことを準備してある。おたくはどうされますかいな、という内容であったらしい。そういえば、最近、祖父のお墓参りにいったとき、なんとなくまわりの景色が風通しよくなっているような気がして、どうしたのかなあとは思っていた。それはすでにお墓をのかしたからであったのだろう。

先日集まった親戚の中ではすでに合意ができていて、お墓をのかす方向でまとまりそうだという。もとよりわたしは本家も分家も関係ない立場だし、うちの親も散骨派なので、親戚の話を傾聴しているだけだった。そうしながら考えていたのは、某国だったらどうなるのかなということ。一人が亡くなったら、その村の人が全員、文字通り、赤ん坊から老人までが葬儀に参列する土地がらである。別に出欠をとるわけではないのだが、わたしも街から呼び戻されて、末席に連なったことがあった。初七日にはまた村の男性だけが全員、亡き人の家に集まり、みなで読経する。墓所は先祖代々、すくなくとも四代前あたりまでは、その名前と配偶者とが当代の当主に記憶されており、ちょっとしたエピソードとともに語り継がれている。わたしもきっとその墓所に入るのだと思う。法要は、100回忌までは普通におこなわれる。少なくとも、現在までにおいては、そういう行事がずっとなんの疑問ももたれることなく、続けられてきている。生まれるときも死ぬときも、人間は決してひとりではなく、どこかに属しているんだなあ。そう思うと、死んだ後くらい、のんびり体を伸ばしてゆっくりしたいなどといった発言も、納得できるような気がする。そういったことを考えながら、一人、黙々とお寿司に箸を運び、きゃっきゃとはしゃぎながら、親戚たちの膝の上を次から次へと渡っているカルガモさんを遠目で見ていたりしていたのだった。


07-05-2010 / Friday [長年日記]

_ ハゴロモジャスミンのつぼみ。庭や散歩途中の家の軒先にあるのを眺めつつ、あれこれと思いを馳せる。人見知りをしはじめたカルガモさん、昨日は39度の熱を出し、慌てて大学から家にとんぼ返りをした。小さい子の熱はすぐに下がることもあるから大丈夫と言われたのだけど、38度台後半を行ったり来たりするので、夕方、かかりつけ病院へ向かった。病院の待合室で検温すると少しだけ下がっている。カルガモさんはどういうわけか、安心しきった顔つきで、寝たり起きたり。小一時間ほど待って診察室へ。看護師さんが、「まあ〜、なんとおおきなおめめ!外人さんなのかな〜」という。純和風の顔をしているカルガモさんなのだが、日頃、子どもをたくさん見ている職業の人の目には、そういうふうにみえるのだろうか。人見知りモードに入っていたはずだったのに、先生にも看護師さんにも愛嬌を振りまく。これだけ笑えるということは熱はあるけれど大丈夫だと思います、でもまだ4ヶ月だから本来は免疫があるため、病気には罹らないはず。罹りかけているのかわかりませんが、明日の朝もまだ熱があるようだったら、もう一度、来院してください、と言われた。夜中も高熱が続くかもしれません。が、お母さんがそれに耐えられるか。今はまだ発熱が始まってから数時間です。様子を見るという心構えがあるようならば、そのほうがいいでしょう。

そして今朝、氷枕やら熱冷まし剤の効果か、頭が冷えて気持ちよく眠れた様子。珍しく、夜中の授乳もなかった。機嫌は悪くなかったけれど、すっかりと甘えっ子モードが全開した様子で、わたしが朝ご飯を食べるのも待てない。抱っこしたまま、パンを齧った。朝食後、また一緒に添い寝をして、雨の朝を過ごした。お昼過ぎ、熱はすっかり下がり、いつもの元気なカルガモさんに戻った。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ pyonpyon21 [こんばんは。カルガモさんのお熱、引いてなによりでした。 はらはらしながら読ませていただきましたが、   >>朝食後、..]

_  [pyonpyon21さん、こんばんは、お見舞いありがとうございます。 はじめてのことで、わたしもちょっとびっくりして..]


08-05-2010 / Saturday [長年日記]

_ 蹴上まで革製製本展を見に行く。偶然、製本の歴史に関する説明が始まったところで、思いがけず興味深い話を聞くことができた。ヨーロッパの市民革命あたりまでは、本といえば製本前の印刷した紙の状態で売られており、それを各「家」(メディチ家とかナポレオン家とかそういう単位)の決まった色や背表紙の文字の色などを入れて完成させたものを、本屋が届けること、それが本を買うということであったそうだ。だからどんな分野の本でも、色や装丁の素材は統一されており、本の内容が装丁に反映されることはなかったという。よく天小口などに金箔などを貼っている本があるが、あれは金持ちの現れとかそういうことではなく、本を丈夫に長持ちさせるための処置なのだそうだ。虫が入りにくい上に小口のところが全体に非常になめらかに処理されているため、ほこりもたまりにくいという。元は、迫害されていたような宗教の啓典など、地下やら洞窟やらそういうところで読むにあたっての措置だったらしい。モロッコ皮はいまではインドで生産されるようになっているとも聞いた。

本の内容に即したような装丁がなされるようになったのは、印刷された本が書店に並ぶような時代になってからのことだとか。それまでは何々家蔵書とわかるような装丁が中心だったため、個性的な装丁というのはあまりなかったらしい。そういう細かい、そしてなにかあらゆる想像力を駆使することを刺激されるような話を聞いた。

欧州では革装丁の本の修復職人がいて、そのギルドで訓練を受けた人が、昔、図書館にいた。ギルドということばの響き。手に職があるというのは素晴らしいことよなあと思いつつ、帰宅。よいお天気だった。緑の葉や花の芳香とともに、新しい本の扉を開いたときの匂いがどこからともなく漂ってくるような気がした。


09-05-2010 / Sunday [長年日記]

_ 某国の客間の風景と言えば、国家元首の肖像写真と並んで、家族写真である。わたしの下宿の大家さんの居間と客間は、ぐるりと四方を5人の子どもの大学卒業写真と結婚写真、そしてそのたび毎に撮影される家族写真で囲まれている。そのたび毎にみな伝統衣装を着衣の上、決められた順序で兄弟姉妹が母親を囲んで立ったり椅子に着席していたりする。この家の父親あるいは夫は、不在である。あるとき、家を出て行ったのだという。末妹が生まれたすぐに、首都に出て行ったきり、帰ってこなくなったのだという。とはいえ、所在は確認されており、それどころか、妻である大家さん以外のすべての子どもは、夜汽車に乗って、それぞれの人生のある時点において、単独で父親の元に家出めいた形で駆け込んだ経験があるのだという。そのことを母親である大家さんは大人になるために必要なステップと考え、子どもを叱るとか泣き暮らすとか、そういうことは一切しなかった。父親である大家さんの夫は、船乗りであり、著名な建築家であり、国家プロジェクトに対するアドバイザーであるという。80歳を越えた今日においてもなお現役として活躍している。大家さんがその妻であるということは、ほとんどの人がもう忘れてしまっているともいう。なぜならば夫が家を出て行ってからすでに40年余り。知己の人びとですら離婚していると思い込んでいるくらいなのだが、実はかれらはずっと別居しているだけなのである。

客間と居間の壁にぐるりと掛けられた数十枚の家族写真には、決して写されていない大家さんの夫は、そこにいないことで一層、顕在化された存在となっている。美貌の妻と聡明な5人の子どもを残し、別の女性と結婚するでもなく所在を隠すでもなく、ある日、ふと出て行ってしまった大家さんの夫である。一体なにがあったのか、尋ねたところで、凡人であるわたしにはわからないかもしれない。ある午後に、大家さんの客間のピアノを弾かせてもらいながら、迫り来る家族写真の威力に、見えない家族の歴史を見たような気がした。

大家さんは、どうやって生きてきたのか。きっとまとまった財産もあったのだと思うのだが、無理をせず、身の回りにあるものを売ったり買ったりまた売ったりした資本を少しずつ増やしていき、自分のお金で土地を買い、子どもを全員大学に入れたという。子どもは全員、地元の国立大学を卒業し、全員がそれなりのポジションについている。そこに父親の見えない力があったかもしれないし、なかったかもしれないけれど、そういう経験を持つ大家さんなので、これまでにこの家に住んできた多くの店子からは絶大なる信頼と讃辞を勝ち得ており、その末席を汚すわたしもまた尊敬してやまない。淡々と強く生きて、恨み言を一切言わないこと。すごいことである。80歳になった今、某国の教育制度や社会福祉について明確な意見を持ち、顔ブックやつぶやき帳の功罪について議論をするのが好きである。わたしにはいろいろなところに母がいるのだが、この一番年長の母ほどいつも新鮮で若い考え方の人もいないように思う。


12-05-2010 / Wednesday [長年日記]

_ 某日。何につけ、人と比べないでいることはなかなかにむずかしいものです(笑)。毎日、暗く落ち込んでいくほうが気楽な気さえしてきている。でも少しずつ、努力。昨日の自分と比べてどうだったかと考えるようにして、がんばって生きていこう。昨日より今日、今日よりも明日。ちっちゃな世界でかまわない。


13-05-2010 / Thursday [長年日記]

_ いろいろがんばってみた。昨日よりは生産的か。

_ 来月の出張のチケット、子ども料金が往復で1万円弱というチケットを見つけてもらった。安すぎる。。もちろん席無しだけど、多分、一番前か真ん中のトイレの前の席あたりに、バシネットの席を取れると思う。もちろん事前に電話して確認しないといけないんだけど。安いチケットだにゃあ〜。


14-05-2010 / Friday [長年日記]

_ ひさびさにヨガなど。ヨガのことをすっかり忘れてしまうほどに煮詰まっていたのか。短い時間だけ、基本のポーズと、自分が一番好きなポーズだけを、軽くならす。そばでみていたカルガモさんが手足をそれふうにばたばたと動かしていたのがおかしかった。ちょっとすっきり。香水を付けることはできないけれど、母乳にも赤ん坊にもよいアロマをちょっと試してみよう。なんかいろいろと忘れていたことを思い出す。というか忘れてしまっていたとはびっくりだったり。


17-05-2010 / Monday [長年日記]

_ ははは。。カルガモさんはわたしが退場してから再度登場するまで、大泣きに泣いて2時間を過ごし、泣き疲れて1時間寝ていたのだそう。おむつは替えさせてくれたけれど、ミルクは飲んでくれなかったです、とのことであった。帰宅してからは、いつもよりもずっと神妙な顔つきで母乳を飲んで、よいこになることを心がけていた風情。こちらはそんなつもりは全然ないのだけど、おいてけぼりにされたのは自分のせい?などと思ったかのように。そんなこと思わせたくないので、思い切り甘えさせてあげた。思えば、わたしが超早朝出勤するようになって、いつもカルガモさんが寝ている間に家を出発したことが原因なのかも。。とかいろいろ考えてしまうけれど、まだ小さいからいちいちそんなことに引っかからないで、単に初めて一人でよそに預けられたのが、さびしかったからなのだと思うことにしよう。

この頃のブームはファド(笑)のようで、ずっと流していると実にリズミカルにミルクを飲みます。

_ カルガモさん、初めての慣らし保育へ。ものの5分ほどで引き渡し完了。先生に抱っこされてきょとんとした顔をしていた。ばいばいっ!と手を振って直ちに退場。だいじょうぶかな。

_ いろいろ。この空き時間に本を読んで提出物書くぞと思うので、ここに宣言しておこう。がんばるんだ!


18-05-2010 / Tuesday [長年日記]

_ 旅行代金を振り込みついでに、カルガモさんと朝の散歩。今日は一駅だけ電車に乗った。乳児の電車賃がただというのはなんとなくわかる。が、今度のカルガモさんの旅行代金が9千円というのが、やはりいまだに信じられず。だって、某国内で国内線に乗ったとしたら、普通にそれくらいかかるわけだ。なのに日本からの国際線の往復チケットがそんな値段?カルガモだから、別送扱いになるのだろうか。そんなこと考えながら、うろうろ歩いてお昼前に帰宅。ごはん食べて、家にいるときは極力観ている、女人天下という韓流ドラマを観て(ナンジョンという悪役がついに正妻さんを毒殺したのであった)、カルガモさんの予防接種へ。今日は三種混合とヒブ。よその子に比べると、みんな泣くからわしもちょっと泣いてみたという感じで、とくに大泣きすることもなく。BCGのときもまったく泣かなかった。ポリオは、ワクチンを口中に投入されたのち、一瞬きょとんとして、その後、よその子が泣いているからわしもちょっと泣いてみるか、という感じで、うわーんと声を上げて、あとはまたきょとんとしてひとりでにっこりとしていたのだった。

明日また早朝出勤なので、資料とか揃えて今日はもう寝る。昔からそうなんだけど、辛いことがあると、寝て忘れてしまうタイプだ。で、明日、解決策を考える。がんばろう。

_ 何度書いたかわからないけれど、わたしが一番好きなのは5月と11月だ。奇数が好きだからでもある。少しまだ早いかなと思いながら袖を通した半袖の腕に、ひんやりとした空気を感じるのだけれど、しばらく歩いているうちに汗ばんでくる5月。ちくちくとする毛糸のセーターの匂いを何度も何度も鼻先で確かめて、ポケットに手を突っ込んで歩く11月。毎日、毎日、綱渡りのような日々で、危うく深い底なしの沼に落ちていきそうになるのだけれど、まだ今は季節の移り変わりを感じる余裕があるようで、そっと窓を開けて空を見上げた。遠くで鶯の声が聞こえた。


22-05-2010 / Saturday [長年日記]

_ 昨日。大学に一緒に行って、夕方、帰宅。みなにちやほやとされてご機嫌な様子で、家でもしばらく一緒にピアノで遊んだりしていたのだが、ふと額に手をやると、また発熱している。検温すると38.3℃もある。30分おきに検温するたびに、0.1℃ほど上がっていき、午後7時半の時点で38.6℃になっている。かかりつけ小児科の夜間の診察時間は午後8時まで。母乳を飲ませてみると、普通にごくごくと飲む。おしっこもちゃんと出ている。が、うーうーと、小さなうなり声というのかいかにも熱が出ているときに出てしまうような声が、止まらない。ときどき、真っ赤になって、うーと低くうなる。午後8時になるのを待って、子ども健康相談に電話をかける。全国共通の#8000に電話を掛けると、住んでいる都道府県の担当部署に電話が通じるのである。看護師や保健師さんなどに病状を話すと、すぐに病院に運ぶべきか、救急車を手配すべきかなどについて、アドバイスをくれるのだ。看護師さんに状況を説明し、一昨日、HibとDPTを接種したことも合わせて報告し、判断を仰ぎたい旨を伝える。曰く、原因はわからないけれど、ミルクが飲めておしっこも出ているのであれば、今は病院に運ぶ必要はない、経過をよく見て、明朝も熱があるならば、病院にいくのがよろしいとの助言をもらう。アイスノンを頭に当て、ガーゼを濡らして額に当てるなど。タオル地のキモノ風寝間着は、某国での遊び着にしようと思っていたのだけど、こういうときにちょうどいいかと思って、着せた。適度に暖かく、汗を吸い取る。午後10時頃、熱がさらに上昇する。が、これまでのところ、本人はまったく病人のような表情は呈しておらず、相変わらず、あやすと全力でにかっと笑うサービス精神を発揮させる。相変わらず、ピアノのをほうをちらちらと眺め、遊びたいという態度まで示す。そのわりにはうーうーとうなり続けている。熱冷ましの座薬を入れて30分後、熱が下がり始めたのを確認して、わたしもやっと横になった。まだ免疫もある時期だというのに、こんなに熱がしょっちゅう出るとは。。もう亡くなられた某先生の息子さん、生後4週間で国際線に乗って、某国へ行ったそうだ。それで頭がすっかり悪くなってしまいましたというのが先生の口癖だったそうだが、この息子さん、今では立派な公務員となっている。カルガモさんは生後7週間目で乗って、10週間目で帰ってきた。

今朝は熱はすっかり引いていたのだが、夕方からまた発熱。しかし本人は相変わらずご機嫌。わたしはものすごく疲れて、一日中寝てしまい、夕方やっと起き出した始末。夕方、夫から電話が掛かっていたことは知っていたんだけど、もう携帯電話を取り上げる気力もなくて、出られなかった。すんません。年いってからの子育てはしんどいで〜と、いろいろな人が言っていたのを思い出す。が、今のわたしの年齢よりもずっと年上で出産した知り合いの人びとの配偶者は、どういうわけかみな、7〜12歳ほど年下であることもまた思い出した。うちのだんなは見た目年齢は20代なのだけど実際は40代だし、鎖骨をいわしているし(苦)。


23-05-2010 / Sunday [長年日記]

_ 朝ご飯を食べて身支度を調えてから、カルガモさんがまた寝てしまうのに付き合って、わたしも二度寝。正午前に起きて、のんびり昼食を取る。

久方ぶりに沢木耕太郎を読んだ。この人の映画エッセーは、まるで一編の短編小説を読むような味わいがある。紹介されている映画をみたくなることはもちろんのこと、その沢木耕太郎のフィルターをとおしてまだ観ぬ映画の主人公たちが勝手に自分の頭の中で動き出して映画を作り上げてしまうような、視覚的な刺激を得るのである。子どもの頃は、新しい本を読む度に、頭の中に主人公の部屋、住む街、食べるものが映像となって、浮かび上がってきたものだった。わたしだけの映画を撮影するような感じとでもいおうか。沢木耕太郎の映画エッセーは、そのような忘れていた読書の刺激を思い出させてくれる筆致が素晴らしい。他の映画と比べることもあるのだけど、悪くいうための比較ではない。どんな映画も素晴らしいんだ、というような深い愛情が感じられるエッセーである。だから実際にその映画を観て、正直なところ映画としてはいまいちだなと思ったとしても、美しい掌編を読んだなあという感想は残る。そういうレビューを書きたいものだ>かれこれ三年越しの書評を抱えていて、わ〜、しまったなあ〜、と今さらながらに思っているわけであります。。もう創作するしかありません。

_ 高齢出産仲間の高校の同級生からのメールを読んで、をを!と思うことがあった。友だちの娘さんも小さい頃、外出や遠出の後、興奮がなかなか冷めなくて、熱を出したり寝付けなかったりということがあったとのこと。あるときは、小児科で鎮静剤を打ちましょうかとまで言われたという。カルガモさんもそういうことなのかも。なるたけストレスがないように、人の少ない時間帯に電車に乗ることを心がけてはいるのだけど、長い距離を移動して、大学に行っても慣れない急ごしらえのベッドに寝かされたりするから、きっと疲れているのだろうな。同級生の娘さんも、保育園が始まり、やはり家に帰ったらほっとしてなのか、熱を出してしまったのだという。ゆうべは、夜中も何度も目を覚まし、うなされているような声を出していた。そのたびにこちらは飛び起きて、様子をうかがい、場合によっては名前を呼びかけるのだけど、本人は目を閉じたままで、半覚醒状態のようだ。今度の某国行きは、だいじょうぶだろうか。飛行機の中で寝ないだろうことは予想されるので、おもちゃなど気晴らしをしっかり準備してあげないといかんかな。


31-05-2010 / Monday [長年日記]

_ 昨日はひとりで大学へ。早朝に行って、脇目もふらずに原稿を書いて、気がつけば午後3時を回っている。飲まず食わず。慌てて帰る。すがすがしい気温の一日だったから、河川敷にはピクニックシートを広げた家族連れや、輪になってギターを弾いている若人の人などがいた。緑は濃く、花の香りがする。カルガモさんを連れてきてあげればよかった。足早に通り過ぎて帰宅。カルガモさんは先々週から鼻水を垂らしたままで、保育園に行った木曜日は、一層、ひどい状況になって帰って来た。保育園に行くようになったらいろいろな病気をもらってくるようになるとは聞いていたけれど。本人はいたって元気で、絵本の中のおつきさんを掴もうとするのに躍起になり、なんでかな?と不思議そうにしている。合間を縫って、保育園に持って行くよだれかけ(今の世の中、スタイとかビブというそうですね。よだれかけ、と検索しても、出てくる結果はスタイとビブであります。なんで日本語とちゃいますねん?)に名前を刺繍。ついでにおむつカバーにも小花刺繍を入れた。わたしは相変わらず、小さなことでくよくよとしまくっていて、勝手に疲れ果てています。

_ わりと疲れ果てています。来週までに原稿ができるんかなあ。無事に出国できるんかなあ−。報告してまたぐさぐさにショックを受けたら、もう立ち直れないよなあ。。発表で転けたことのない人がうらやましい。でももちょっと、がんばってみます。


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