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  1. ぜぶら (09-14)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

12-09-2004 / Sunday

_ 『猫の客』平出隆(河出書房新社)。

自分のねこは飼っていないけど、餌付け猫の友だちがいたり、遊びにくる猫をかわいがっている人にはたまらない本。むかし某国で餌付け猫にしていたきなこを思い出した。おなかが減ると私の部屋まで階段を上がってやってくるくらいだったのに、あんまり抱かせてくれなかった。そしていつの間にか静かに消えてしまったねこ。

ねこをめぐる近所の人びととのつきあいやなくなってしまった庭園の風景などが、幻灯機を回すように浮かび上がってくる。ねこが来ないのをどうしたのかと思いつつ、新しい小鰺を用意しながら待っている夫婦が切ない。

_ ジュンパ・ラヒリのことをもう少しだけ書いておこう。

何かものすごいことが起こるわけではなく、どちらかというと目には見えないけど、大きな自然の流れ、敢えて書くと「運命」のようなものが足下の地中深いところにどっしりと流れているのかもしれないなあと思った。それは「運命」には逆らえないということではない。その流れはちょっと踏み外した程度では、決して「踏み外した」などとはいえない程に深く、幅があるのである。向こう岸などあるかどうかわからないくらいに幅広いのである。だからそんな川が流れているなど思うことなどないのである。しかし、なぜか川は静かに流れている。そして人は、その流れに時には流されているように見えて、案外、自分でも足をばたつかせてみたり、流れを横切ろうとしてみたりする、そんな感じがする。要するに、とても当たり前のことを、ひじょうに丁寧に書いている小説だと思うのだ。

私もどちらかといえば自分の名前が嫌いなので(両親の期待を背負っているわけではないのだが、他人からみればそう見える名前、しかし実は名付けの由来は私の誕生日にある、しかしそんなん、いちいち説明してられへんわな)、ゴーゴリ・ガングリーという名の主人公が、ニコライ・ゴーゴリーにちなんだ名前について、実際の自分とはなんの関連性も相似点もないにもかかわらず、「こんな人生を過ごした人と同じ名前なんて」と思う気持ちはよくわかる。

あと、一人称の小説に読み飽きた人は、とても満足すると思う。よくもまあこれだけいろいろな視点から書いていながら、ひとつにまとめられたものだとひじょうに感心した。とても完成度の高い小説だ。


12-09-2007 / Wednesday

_ 一時帰国中。来月初めには、また機上の人となり、任務遂行のために長期滞在する予定。今回、バックパックひとつで帰国したのだけど、身軽というのが生きていくのに一番大事なことではなかろうかと痛感。ぱっとテレポーテーションできるからね。

例によって、河童国で親友と会い、いつものように「なぜまだ結婚できないのか」について延々と説教を喰らい(もちろんもはやネタと化しているのだが)、ははは、と笑って別れた。実は村を去る際にも、ええ加減、身を固めよとさんざんこれもネタとしてみなに言われた。思わず免税店で、エスティー・ローダーのLOVEとかいう香水を買ってしまいました。あほやなあと苦笑しながら、国境を越えても受信できるSMSを見れば、悪友某嬢が、「道中しっかりと目を見開いて、心を開いて、来るものを拒むな。どこに良縁が潜んでいるかわからぬ故に」と送ってくれていた。華僑の格言だから、きっとそうなんだろうなと思いつつ、笑いながら泣く。

帰国してみれば、別になにも変わらぬ風景。そういえば、てっきりとソニープラザが入ると思っていたところ、GAPが店子になっているんだな。。へえー。そう言えば駅前の近鉄百貨店、ひそかに愛していたのだが、ここから引っ越してきたのだろう。

帰国の報告をとある大先輩へ。深遠なるいくつかの話題。きみももうそろそろ身を固めたまえ、とまた言われる。もう機は十分すぎるほどに熟しているからね、などと。似たような話が奇しくも三人続けて言われると、だんだんとその気になってきたので、身の回りの数名の候補者の顔を思い浮かべながら、荷物の散乱している自室で虫の声を聞きながら眠った。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ぜぶら [おおい! やってますか?ぼちぼちでんな〜〜〜? 私も華僑の格言いただくわ。 長期滞在っていつまでですか? いつか有..]


12-09-2012 / Wednesday

_ 911の翌日に帰国したということもあって、個人的には、自分にも関連があった日であるという思い込みめいた認識がある。たまたま空港で見上げたスケジュール板の、たまたま目にとまった便が、数時間後に墜落したということも、それ以前にあった。なのでそれ以来、空港のフライトスケジュールは、頭を空っぽにして、記憶に留まったりすることがないように、あっさりと見ることにしている。911とはなんの関連性もないけれど、毎年、思い出す事柄である。

身の回りの人や古い友人たちが脱原発に向けて、現実的に行動したり発言したりしている中、わたしはなぜか、もうちょっと慎重に考えるのがいいんじゃないか…と思い続けている。原発はよくないという反射的な反応がある一方で、ずっとそう思ってきた。ただ単に、天の邪鬼だからなのかもしれないし、実際、不勉強でよくわかっていないからというのもある。なので、なにか主義主張・思想があってそう思っているわけではない。むしろ、こういう時こそ、慎重に考えたほうがいいと思うからに過ぎない。たぶん、脱原発はOKだとして、それをどういうふうに進めていくのか、どんなふうに理解していくのか、そのプロセスについてのわたしの情報不足ゆえの慎重論なのであろう。じゃあ勉強したら行動する人になるかということでもない。漠然と思っている、一体、ポスト311の復興プロセスというものは、どんなふうに進行していて、どんなふうに停滞しているのか、もはや安全地帯からは見えなくなってしまったんじゃないかというわからなさと、ちょこっと連動しているような気もしている。どこにどう向かっているのか、よくわからなくなっていることに対する不安なようなものがあるのかもしれない。ずっと蚊帳の外にいるような感じがしている。


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